第2章「FINAL_REAL_LAST」
翌日の午後。
YLSスタジオには静かなキーボード音が響いていた。
雨は止んでいる。
代わりに窓から柔らかな光が差し込んでいた。
珍しく明るい。
それだけで、
同じ部屋なのに別の場所のように見える。
レイはモニターを見つめていた。
正確には。
モニターの中のフォルダを見つめていた。
数分前からずっと。
「……」
何も言わない。
動かない。
ただ見ている。
フォルダ名。
FINAL_REAL_LAST。
FINAL_REAL_LAST_2。
FINAL_REAL_LAST_FIXED。
FINAL_REAL_LAST_FIXED_2。
FINAL_REAL_LAST_USETHIS。
FINAL_REAL_LAST_USETHIS_FIXED。
FINAL_REAL_LAST_USETHIS_FIXED_REAL。
そして。
FINAL_REAL_LAST_USETHIS_FIXED_REAL_2。
「終わる気あります?」
背後から声がした。
振り向かなくても分かる。
ヒヨリだった。
いつの間に起きたのか。
缶コーヒーを片手に、
レイの椅子の後ろへ立っている。
寝癖はまだ残っていた。
「終わってる」
「終わってないじゃないですか」
「終わってる」
「八回くらい終わってますけど」
レイは無言でフォルダを閉じた。
ヒヨリは缶コーヒーを飲む。
そして少し考えたあと。
「人類って面白いですよね」
「急に何」
「終わった物に終わったって名前を付けて」
「さらに終わった物を作るんですよ」
レイは反論できなかった。
実際その通りだったからだ。
創作を始めた頃は違った。
ファイル名はもっと単純だった。
chapter01。
chapter02。
character_design。
それだけ。
分かりやすかった。
管理もしやすかった。
なのに。
いつからだろう。
修正が増え。
描き直しが増え。
保存回数が増え。
気付けば。
ファイル名が願望になっていた。
FINAL。
本当に最後であってほしい。
LAST。
もう終わっていてほしい。
USETHIS。
今度こそ使いたい。
FIXED。
もう修正したくない。
その全てが。
ファイル名の中に残っている。
ヒヨリはモニターを見ながら言った。
「歴史ですね」
「黒歴史」
「歴史です」
「黒歴史」
「歴史です」
どちらでも良かった。
少なくとも。
消してしまうには惜しい気もする。
レイは一番古いファイルを開いた。
数年前のデータだった。
線がぎこちない。
バランスも悪い。
背景も簡単だった。
今見ると粗が目立つ。
それでも。
しばらく眺めていると。
不思議な感覚になる。
下手だった。
間違いなく今より下手だった。
けれど。
あの頃の自分は。
今の自分より必死だった気がする。
少しでも上手くなりたくて。
少しでも面白い物を描きたくて。
毎日描いていた。
数字なんて見ていなかった。
ランキングも。
閲覧数も。
おすすめ欄も。
存在は知っていた。
でも。
今ほど気にしてはいなかった。
ただ描いていた。
それだけだった。
「レイさん」
ヒヨリが呼ぶ。
「なに」
「昔の絵見てます?」
「うん」
「どうです?」
レイは少し考えた。
そして答える。
「下手」
「でしょうね」
「でも」
言葉が続く。
少し意外だった。
「なんか楽しそう」
ヒヨリは笑った。
缶コーヒーを揺らしながら言う。
「描いてた人ですからね」
「え?」
「絵じゃなくて」
「描いてた人が見えるんですよ」
レイは画面へ視線を戻した。
昔のPSD。
古いレイヤー。
雑なメモ。
修正跡。
描き直した線。
その全てが残っている。
完成したイラストだけを見れば分からない。
でも。
作業ファイルを開けば分かる。
迷った場所。
悩んだ場所。
諦めた場所。
こだわった場所。
全部そこにある。
まるで。
描いた人間の足跡みたいに。
レイは小さく息を吐いた。
そして新しいファイルを開く。
作業中の原稿。
まだ完成していないページ。
修正箇所は山ほどある。
きっと今日も終わらない。
明日も終わらないかもしれない。
それでも。
ペンは自然と動き始めていた。
カリカリ。
線が引かれる。
少し迷う。
少し消す。
また描く。
その繰り返し。
背後ではヒヨリが欠伸をしていた。
「ちなみに」
「なに」
「次のファイル名決まりました?」
「決まってない」
「FINAL_REAL_LAST_USETHIS_FIXED_REAL_FINAL」
「長い」
「おすすめですよ」
「嫌」
ヒヨリは笑う。
レイも少しだけ笑った。
窓の外では風が揺れている。
スタジオの中ではペンが動いている。
そしてまた一つ。
新しい修正が増えていく。
完成にはまだ遠い。
けれど。
創作というのはたぶん。
そういうものだった。
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