おまけ ・ た な ば た
七夕の日の夕暮れ時、商店街の通りはいつも以上の熱気に包まれていた。
頭上には色鮮やかな巨大な吹き流しが並び、軒先からは風鈴の音が涼しげに響いている。遠くの広場から聞こえる祭囃子の音に混じって、浴衣姿の子供たちがリンゴ飴を手に走り抜けていく。その雑踏の中で、ひよりが突如として足を止めた。
「……ひより? どうした」
直哉が怪訝そうに振り返る。ひよりが黙って指差した先には、色とりどりの短冊を重そうにぶら下げた立派な笹竹が立っていた。
「七夕じゃん」
「見ればわかるよ。それがどうしたんだよ」
「私、書く」
その隣で、玲は小さく肩をすくめた。
「勝手にすれば。……まあ、せっかくだし私も一枚もらおうかな」
笹の脇には、自由に使える色短冊の束と油性マジックが用意されていた。三人はそれぞれ好みの色の紙を手に取る。
玲は迷うことなくペンを走らせ、直哉も一分と経たずに書き終えた。しかし、ひよりだけは五分近くも真っ白な短冊を凝視したまま、微動だにしない。
「……何、遺書でも推敲してるわけ?」
玲の辛辣な問いかけに、ひよりは真顔で首を振った。
「玲ちゃん、宇宙へのオーダーっていうのはね、緻密な言語化が必要不可欠なの。適当な電波を飛ばすとバグるから」
「要するに、何もアイデアが浮かんでないんだろ」
「それも一理ある」
さらに数分後、ようやく書き終えた三人は、それぞれの短冊を笹の葉の間に結わえ付けた。
生ぬるい夜風が通りを吹き抜けていく。色とりどりの細長い紙が、笹の葉と擦れ合ってサワサワと微かな音を立てた。
そこから二、三歩歩き出したところで、ひよりが唐突に振り返った。
「ねえ、見に行こうよ」
「見に行くって、何をだよ」
「みんなの願い事」
直哉が呆れたように眉をひそめる。
「お前な、他人の願い事を覗き見る趣味はねえよ。普通は神様への秘密だろ」
「見られたくないなら、最初からこんなオープンな場所に吊るさなきゃいいじゃん。ネットの公開アカウントで呟いてるようなものだよ」
「……」
ひよりの歪んだロジックは、こういう時に限って妙な説得力を持ってしまう。
直哉が反論の言葉を探している隙に、ひよりは素早い手つきで玲の短冊をめくって読み上げていた。
「『締め切りまでに原稿が落ちませんように』。……うわ、生々しい」
「ちょっと、大きな声で読まないでよ!」
玲が慌ててひよりの手から短冊を奪い返す。それを見た直哉が、鼻から息を抜いて笑った。
「玲さん、意外と現実的だな。てっきり『リテイクがこの世から滅びますように』とでも書くかと思った」
「……そんな不可能な奇跡、織姫と彦星でも処理しきれないでしょ」
「じゃあ、次は直哉くんね」
ひよりはすでに直哉の短冊に目を移していた。
「『あいつら二人が、ちゃんと最低6時間は寝ますように』。……はい、却下」
「まだ叶ってもいないのに却下するなよ」
「難易度が高すぎる。睡眠時間を削ってこそクリエイターの魂が磨かれるわけだし」
「おい、ただのブラック企業の思想だろそれは」
不毛なやり取りに、三人から自然と軽い笑いが漏れる。
残るは最後の一枚。ひよりの短冊だ。
今度は玲がそっと手を伸ばし、折れ曲がっていた短冊を開いた。そして、ピタリと動きを止める。怪訝に思った直哉も横から覗き込み、玲と全く同じように固まった。
そこには、油性マジックの太い文字でこう書き連ねられていた。
『拝啓 織姫様
お時間ありましたら、私たちの新作のレビューをお願いします。
お忙しければ、ブックマークだけでも可』
「……あなたさあ、神様にまで販促活動してんの?」
玲が信じられないものを見る目でひよりを睨む。
「使えるプラットフォームは全部使うのが鉄則じゃん。せっかく年に一回のコンタクトが取れる日なんだから」
「七夕の機能の私物化がひどすぎるだろ」
「もしレビューを書くのが契約上難しいなら……」
ひよりは顎に手を当てて、真剣な表情で付け足した。
「……せめて、星五つの高評価だけでも」
「プラットフォームが混ざってるんだよ!」
直哉が耐えかねたように腹を抱えて爆笑する。
ひよりはそんな二人をよそに、夜風に揺れる笹竹の先を見上げていた。
「でもさ」
「何がだよ」
「織姫と彦星って、一年に一回しか会えないんでしょ?」
「まあ、伝説の上ではな」
「じゃあ、あの二人なら絶対に分かってくれるはずだよ。読者が『次の更新』をひたすら待ち続ける、あの切ない気持ちの解像度を」
数秒の間、スタジオの二人は言葉を失った。
あまりにも斜め上、それでいて一瞬だけ納得しかけてしまうその最悪な説得力に、玲はただ深い溜息を吐き出すしかなかった。
「……ひより」
「何?」
「次から神様に神頼みする時はね……」
「うん」
「……ついでにアルゴリズムの優遇まで欲張るの、やめなさいよ」




