おまけ 1 PV監視員ヒヨリ
午前二時丁度。
橘麗は、暗い部屋の片隅で管理画面の数値と睨み合っていた。親指の先で、スマートフォンの液晶を上から下へと執拗に引っ張る。画面中央で小さな輪が回り、データの再読み込みが走る。
43PV。
リロード。やはり、43PV。
もう一度、リロード。びくともしない、43PV。
「……」
深夜のYLSスタジオは、重苦しいほど静まり返っている。
薄暗いフローリングの床の上では、ひよりが毛布を頭まですっぽりと被って転がっていた。規則的な微かな呼吸音。傍から見れば、世界のいかなる喧騒とも隔離された深い眠りの底に沈んでいるようにしか見えない。
リロード。
――44PV。
「あ」
麗の唇から、本当に小さな、漏らすような声が出た。
「44」
途端、床の上の毛布の山から、平坦な声が響いた。
麗の身体が、ワークチェアの上でびくりと跳ねる。
「……起きてたの!?」
「さっきまでは眠ってました」
「じゃあなんで今喋れるわけよ」
「PVが動くと、自動的に覚醒するシステムなので」
「なんで画面を見てないのに分かるのよ」
「野性のインスティンクトです」
「そんな不穏なインスティンクトがあるか!」
ひよりは毛布に包まれたまま、ピクリとも動かずに言葉を繋いだ。
「それはそうと」
「何よ」
「麗さん、この一時間でリロードボタンを百二十三回叩いてますよ」
「……なんで数えてるわけ?」
「暇つぶし、あるいは環境音のサンプリングです」
「寝てたんじゃないの?」
「脳を休めながらカウントする高等技術を駆使していました」
「ホラーの領域よ、それ」
麗は気まずさを紛らわすように、また画面を引っ張った。
44PV。リロード。44PV。
「……」
「あと七回叩けば、大台の百三十回に到達しますよ」
「なんでそんな実況プレイみたいなことされなきゃいけないのよ」
「キリの良い数字というのは、それだけで健康に良いですから」
「これっぽっちも健康に良くないわよ」
リロード。44PV。リロード。変わらない、44PV。
「動かない……」
「動きませんね」
「って言うか、あんた完全に起きてるじゃない」
「いいえ、これは麗さんが見ている夢です」
「音声の解像度が高すぎる悪夢だわ」
ひよりは毛布の中で、芋虫のように僅かに身悶えした。
「麗さん」
「何よ」
「さっきの読者、逃げちゃったかもしれませんね」
「なんでよ。何か悪いことした?」
「気配を察知されたんですよ」
「察知って、画面の向こう側の相手に?」
「ええ。麗さんのリロードの周波数が、通信回線を通じて読者のスマートフォンを微かに震わせた。あるいは、サーバーに負荷をかけた。読者は本能的な恐怖を覚えて、ブラウザのタブを閉じたんです」
「サーバーの視点から人間関係を語るのやめなさい」
麗はがっくりとデスクに突っ伏した。しかし、ひよりの容赦のない追撃は止まらない。
「読者が作品を開く」
「ええ」
「麗さんがリロードする」
「してないわよ、そんなタイミングよく」
「読者が画面をスクロールする」
「ええ」
「麗さんがリロードする」
「してないってば!」
「読者がコメント欄に入力しようとする」
「ええ」
「麗さんがリロードする」
「いい加減にしなさい!」
「そして読者がページを閉じる」
「ええ」
「麗さんがリロードする」
「もう喋るな!」
「……という、ただのイマジネーションです」
「ストップ。完全に心にダメージが来てるから」
スタジオに短い静寂が戻った。窓の外からは、いつの間にか降り出した細い雨の音が、がたがたとガラスを叩いている。
リロード。
――45PV。
「あ」
「45」床から声が降る。
「だから、なんで分かるのよ!?」
麗が半ば悲鳴に近い声を上げると、ひよりは毛布の隙間から、片目だけを薄く開けてこちらを睨んできた。
「麗さん」
「何よ」
「白状します」
「……何をよ」
「実は、私も叩いてました」
「作品のページを?」
「はい。麗さんが一回引っ張るたびに、私も手元のスマホで一回リロードしていました。いわゆる、シンクロニシティです」
「え……?」
「というわけで、43PVのうち、およそ二十回くらいは私のアクセスです」
「……出てって」
「ここは私の家でもあるのですが」
「あ、そうだったわね」
ひよりは満足したように、再び両目を完全に閉じた。
「安心してください」
「何に不吉な安心を求めてるのよ」
「46PVまでは、私の手によって確実に保証されていますから」
「本当にやめて、お願いだから」
指先が勝手に動く。リロード。
画面の数字が、乾いた音を立てて切り替わる。
――46PV。
「ほらね」毛布の山が言った。
「もうリロードしない!!」
雨の降る深夜、YLSスタジオは、今夜も妙に騒がしく、そして平穏だった。




