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誰が描いた?【マンガ・アニメ制作のリアルを描く業界ドラマ】  作者:
ARC I — 描いている

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第11章 「読了の報」

 午後三時四十分。

 YLSスタジオの室内は、重苦しい静寂に満たされていた。

 窓の外の空は一面の曇天。今にも雨が降り出しそうな気配を漂わせながら、結局は降らない。そんな、半分湿って半分乾いたような、どっちつかずの空気が部屋の隅々にまでまとわりついている。

 橘麗は、液晶ペンタブレットの前に座り込んでいた。一本の線を引く。データを上書き保存する。手元の缶コーヒーを一口啜る。そこまでは、いつも通りの、何の変哲もない日常のルーティンだった。

 ただ、一つだけ普段と違うところがあるとすれば、彼女が五分おきにスマートフォンへ視線を走らせていることだった。

「……」

 画面を点灯させる。通知のアイコンはない。消灯する。そのわずか数分後、また液晶に光を灯す。やはり、画面は空白のままだ。再び消灯する。

 傍から見れば、何か重大な密輸の連絡でも待っているかのような不審な挙動だった。床の上に転がっていたひよりが、爆発した黒髪の間からその様子を冷ややかに観察していた。

「麗さん」

「何によ」

「なんだか、巣作りをしている小動物みたいですよ」

「どういう意味?」

「三分おきに、まったく同じ場所をそわそわと確認していますから」

 麗は答えず、無言で再びスマートフォンに目を落とした。当然、通知ランプは眠ったままだ。そんなことは分かっている。百も承知だ。

 それでも、見ずにはいられない。

 昨日投稿したばかりの新作のURL。それに添えて送った、個人的なメッセージ。「読んだら感想を教えてほしい」と伝えた相手からは、未だに何の音沙汰もない。

 返信を強要したいわけではない。急かして困らせたいわけでもない。ただ、ほんの少しだけ、胃の腑のあたりが落ち着かないだけだ。


 ひよりは床の上で毛布を抱き締め直した。「まだですか?」

「……まだよ」

「なるほどね」

 短い沈黙。

「生きてるんですかね」ひよりが天井を見つめたまま呟く。

「誰がよ」

「その、お相手の人です」

「生きてるでしょ、普通は」

「何か確実な証拠でも?」

「……あるわけないじゃない」

 ひよりは深く頷いた。「まあ、人間ですからね」

 麗の唇から、かすかな苦笑が漏れた。彼女はもう一度スマートフォンに目をやったが、画面には自分が最後に送ったメッセージの文字列が、虚しく残されているだけだった。


 創作の世界には、奇妙なタイムラグが存在する。

 作品を世に送り出す。誰かがそれを画面の向こうで受け取る。そして、そこから果てしない「待ち時間」が始まるのだ。返信、コメント、あるいは何らかの反応。

 相手にそんな義務はない。他者には他者の生活があり、仕事があり、学校があり、あるいはただ泥のように眠りこけている時間かもしれない。そんなことは理屈では分かっている。完璧に理解できている。

 それなのに、指先は吸い寄せられるように、何度も通知画面を開こうとしてしまう。


 ひよりが珍しく、床の上の定位置から上体を起こした。彼女はスリッパをパタパタと鳴らしながら麗のデスクの横まで歩いてくると、丸椅子に腰掛け、何も映っていないスマートフォンの画面を覗き込んだ。

「静かですね」

「ええ、そうね」

「平和です」

「……そうかもね」

「人間が忙しいだけですよ」

 それだけ言い残すと、ひよりは満足したように再び床の上へと帰還していった。やはり彼女の拠点はあそこらしい。


 麗は小さく溜息をつき、デジタルペンを深く握り直した。

 待てど暮らせど通知は来ない。コメントの数字も動かない。しかし、目の前の原稿だけは、彼女の手を待つことなく冷酷に締め切りへと向かっていく。

 線を引く。歪みを修正する。保存する。また次のコマへ進む。

 その時、手元でスマートフォンが短く、鋭く震えた。

 麗の右手が、条件反射のように完全に静止する。

 視線を液晶へと落とす。新着メッセージのポップアップ。焦る気持ちを抑えて画面をタップした。

 そこに並んでいたのは、きわめて簡潔な一行だった。


『読んだよ』


 文字通り、それだけだった。

 丁寧な書評があるわけでもない。長文の考察が添えられているわけでもない。詳細なフィードバックなどどこにもない。

 それなのに、麗の口元には、自分でも気づかないほどに柔らかな笑みが浮かんでいた。

 読んだ。その事実が、網膜を通じて脳へと染み渡っていく。ただそれだけで、十分だった。


 床の中から、ひよりの声が響いた。「生存確認、取れました?」

「ええ、取れたわ」

「それは重畳ちょうじょうです」

「何がよ」

「世界に、まだ人間が存在していたという証拠ですから」

 窓の外では、夏の終わりの湿った風がスタジオのガラス窓を小さく揺らしている。

 液晶画面の上の通知は、再び元の静寂に戻っていた。けれど、届いたばかりのたった四文字の残響が、この薄暗い部屋の空気を、ほんの少しだけ明るく塗り替えてくれたような気がした。

 麗は再び、馴染みのあるペンの重みを感じながら、キャンバスへと向かった。


挿絵(By みてみん)

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


今回の更新より、試験的に各話へイラストを追加してみました。


もともと『誰が描いた?』は文章のみで進行する作品として執筆していましたが、書き続けるうちに「この場面の空気を一枚で残してみたい」と思う瞬間が少しずつ増えてきました。


特に今回の第11章は、大きな出来事が起こる章ではありません。


曇り空の午後。

机の上のブラックコーヒー。

何度も確認してしまう通知画面。

床の上で転がるひより。

そして、ようやく届いた短い一言。


『読んだよ』


たったそれだけの出来事ですが、創作を続ける人間にとっては不思議と忘れられない瞬間でもあります。


今回のイラストは、そんな「待つ時間」の空気を少しでも伝えられたらと思いながら制作しました。


もちろん、物語はこれからも文章が主役です。

ですが、物語の隙間にある静かな風景や空気感を補う形で、今後も気まぐれにイラストを添えていくかもしれません。


もし楽しんでいただけたなら、とても嬉しく思います。


それでは、また次回の更新でお会いしましょう。


橘 レイ

YLS Studio

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