61話 マシュマロ大破からの天使降臨
――葵視点
何としてもキャンプ決行を死守する為に車に乗り込んだ。とはいうもののあいつ、中々の握力だったな。あのままやってたら肩が砕かれてたかも。マジで店長様様だ。
「葵先輩っ!」
車のドアが開き勢いよく鈴宮さんが飛び込んで来た。きっと俺の事を心配しての事だろう。
「ど、どうしました? これぐらい大丈夫ですから」
とりあずしらばっくれておこう。こんな所で水を差す訳にいかな――
「シャツを……脱いで下さい!」
「え?」
真っすぐな瞳でこちらを見つめて、想像していた遙か斜め上のセリフが出た。脱ぐの? おっぱい見えちゃうよ?
などとふざけている場合じゃない。車の中とは言え流石にそれはちょっと……川とかに入るなら何の抵抗も無いんですが……。鈴宮さんが横に居るのにそんな事――
「早く脱いで下さい!」
「はいっ!?」
ひいっ! は、初めて鈴宮さんの事を怖いと思ってしまった。こ、ここは逆らわずに従おう。こんな事が原因で楽しいキャンプが台無しになるのはご免だ。
右肩に痛みを感じながらもなんとかシャツを脱いだ。改めて自分でも痣を見たが、中々……多分あいつリンゴぐらい潰せる握力持ってたんじゃないかな。まあ、店長はパイナップルぐらい簡単に破壊出来そうだけど。
でも脱ぐ必要ってあったのだろうか……ま、まさか!? さっき俺が冗談で『舐めときゃ治る』なんて言ったから!? ダ、ダメですよ!? ここには店長と梓が居るんですから!
思わず視線が鈴宮さんの唇の釘付けになった。あの口で……そして舌で……。
まあ、そんな妄想も僅か数秒で消し飛び、鈴宮さんは保冷剤を自分のハンカチで包んで肩にそっと置いてくれた。
「っつ……あ、あの」
「ダメです。病院に行ってくれないなら私が横でアイシングしておきます!」
えっと、くだらない事考えてすみません。クソみたいな考えを持ってすみません。AVを見過ぎてすみません。
心配そうに肩に手を置く鈴宮さんに思い付く限りの謝罪を唱えておいた。それにしても鈴宮さんってやたらと怪我に対しての処置が詳しいな。何か昔やってたのかな……。
しばらくすると店長と梓も車に乗り込み改めて出発となった。どうやら鈴宮さんが手当てをしてくれているので病院には行かないみたいだ。
車のエンジンがかかり、クーラーの風が体に吹きかかった。この時期なので寒い訳ではないが、ずっとこの状態では流石に……。
うん? 鈴宮さんが俺の体を見てる? なんか顔がだんだん赤く……。
「きゃあっ!! えっちですうぅ~!!」
「ぐあああっ! 鈴宮さんっ!? そこ痛いとこ!」
思いっ切り押さえつけられたぁ!? しかもえっちって!? 鈴宮さんが脱げって言ったんじゃないですかぁ……しかもこの前包丁で指を切った時も同じような事しましたよ!?
とりあえずTシャツは着てその中からアイシングしてもらう事で落ち着いた……これはこれで少しエッチな気もしますが。ちょっとポジションの具合が……。
一時間程車を走らせただろうか、その間一度も手を離さずにずっと俺の肩に保冷剤を当て続けてくれている。なんて献身的な子なんだ……こんな子絶対に他にはいない。俺はなんとしてもこの子を手に入れたい。
だけど鈴宮さんは物じゃない。アザラシちゃんみたいにお金を出せば手に入るものではない。俺の気持ちを受け取ってもらえるだろうか……今の俺じゃ弱いかも知れない。でも、このチャンスは生かさないと。
「もう一山超えたら到着だからね~、この先はちょっと急なカーブが多いからね~」
梓から踏ん張れの指示が出た。確かに90度コーナも増えて来て道幅も狭くなってきている。まあ、山奥だから当然と言えば当然だし、いつもなら道無き道をバウンドしながら走ってるぐらいだからこんな舗装された道は苦でも何でもない。
「どうですか? 痛みの方は?」
「ええ、大丈夫です、ありがとうございます」
保冷剤を肩から外してシャツを少し伸ばして状態を確認してくれている……近い。もう目と鼻の先に鈴宮さんの顔がある。いい匂いがする……り、理性が……。
「じゃ、じゃあ、今度は暖めますね!」
あっぶな!? 危うく締まりの無い顔を晒すところだった! そんな醜態を見せようものなら途中下車待った無しだ。緊張感を持たねば……邪念よ去れ!
「温めるといっても……いいっ!?」
鈴宮さんの手が肩に触れた。その行為と少しの痛みで思わず声を上げてしまった。いや、傷の痛みというより鈴宮さんの手に驚いたな。
これは完全なるボディータッチですよ!?
「だ、大丈夫ですから――」
おい! 俺! なんてもったいない事を! じゃない、そ、それでいいんだ俺。今更好感度がどうのと言うレベルじゃ無いが、流石にこれは申し訳が無さ過ぎる!
「大丈夫じゃないですっ! 触られるのは嫌かもしれませんが……我慢して下さい……」
なあに言っちゃってるんですか!? 願わくばずっと触ってて欲しいですよ! それにこんな冷え切った肩に手を当てて――まてよ、もう片方の手は? 一時間ぐらい保冷剤を当てっぱなしだったんだぞ? くそ、俺ってやつは!
「……はい。じゃあそっちの手を貸して下さい」
返事も聞かずに鈴宮さんの手を取った。やっぱり驚くほど冷たい。すみません、俺の為に……。
「ずっと冷やしてくれてましたもんね、こっちの手は俺が暖めておきます。嫌かも知れませんが我慢して下さいね。おあいこです」
鈴宮さんと目が合った、お互い視線は外さずに鈴宮さんは肩を、俺は手を握っていた。まるで時間が止まったかのように――
「あの~、私達居るんですけど~、車内でのイチャイチャはお控え下さ~い」
「……ふん」
運転席と助手席から声が上がった。はい、時間は止まりませんよね!
梓と店長が見かねて口が出た所で俺の口からも悲痛の声が上がった。
「えっ!? あっ、そ、そんなつもりじゃ!」
「あだだだっ! 鈴宮さん!? 二回目! 二回目ですよぉ!?」
直接ぎゅっ! はマジで痛いです!
「はい、急カーブだよ~」
梓の声と共にバランスを崩した鈴宮さんが俺の方に寄りかかって来た。なんとか左腕で支え体制を保った。危うく巨大マシュマロに接触してしまう所だった。
「だ、大丈夫ですか? 結構急ですから気を付け――」
不意に反対方向に力がかかり、踏ん張りが効かなくなって鈴宮さんに当たってしまった。いや、厳密にいえばマシュマロに。
よし、このジープには次止まりますのボタンは無いのかな? 俺はここで降りなければならないみたいですから。
キャンプ終了と恋の終了の鐘が同時に俺の中で鳴り響いていたところ、鈴宮さんが腕を絡ませてきた。そのおかげでマシュマロは大破してしまっている。
「んはっ!? 鈴宮さん!? そ、その、あ、当たって――」
「……当ててるんですぅ」
小さな声だったが確かに聞こえた……そこから先はあまり覚えていない。ただ俺の中では『……当ててるんですぅ』がエンドレスリピートで頭の中で流れていた。
かつて俺はこんなに時間を惜しんだ事は無い。着いてしまった……キャンプ場に。梓よ……後三時間ぐらい外周回ってくれないか?
無常にも車は止まり、外の景色に目をキラキラさせたマシュマロさん――もとい鈴宮さんは車から飛び降りて行った……さよなら、感動をありがとう。
「うわあっ! 見て下さい! 山ですぅ、あ、川もあるんですね! それにオシャレなコテージですぅ」
渋々車を降りたのだが、先程までの邪な感情は一気に気失せた。
山の緑を背景に無邪気にはしゃぐ小柄な女性。白いワンピースと麦わら帽子が風景と相重なり幻想的であり、贔屓目無しに俺には天使に見えた。
「……綺麗だ」
「どう? いいところでしょ。さ、荷物を下ろして早速BBQと行きましょうか!」
梓は勘違いしているようだが、幸いだ。鈴宮さんの姿に本当に心を射貫かれた。
「ごほん、店長、俺も荷物持ちますよ?」
完全に見惚れていたが、店長が全員の荷物とクーラーボックスを4個担いでる姿を見て現実に戻った。もはや人間じゃ無いですね。
「何を言ってる、お前は嬢ちゃんに肩を見て貰っておけ。まあ、的確な応急処置のおかげで大した事にはならなさそうだがな」
その言葉に反応し、鈴宮さんがこちらに走って戻って来てそのままコテージの中に入って行った。どうやら天使タイムは終了したようだ。くそ、動画に残しておきたかった。
「ほら、葵」
店長からビールの缶が投げられた。ちなみにちゃんと加減してくれている。本気で投げられたサスペンス劇場が始まってしまう。『コテージ殺人事件』の。
「ねえねえ、葵? 桃華ちゃんと良い感じじゃん?」
「お、おい、こ、後輩だぞ? そんな邪な感情はだな……でも仮にそうだったとしても俺には不釣り合いかもな……」
あんな天使、俺の手には余るし肩を並べれる気がしない。身長差的な意味でなくて。
「ふ~ん、じゃあ課長と付き合ったら?」
「おい、課長は関係無いだろ? 俺は鈴宮さんと――って何言わすんだ!」
「ふっふ~ん。いい事聞いちゃった! 言っちゃおっかな? 桃華ちゃ~ん!」
こ、こいつ! 口を滑らせた俺が悪いんだが……それに課長はお互いに恋愛対象じゃないぞ?
まあ、いつもの冗談だろう。しかしこんなゆったりとしたキャンプは始めてだ。さてビールを頂こうかな……くっはぁ! 美味い!
「もう、怪我してる時にお酒はダメですよ! といっても我慢は出来なさそうですね」
「はは、すみません、鈴宮さん。なんかこんな楽しいキャンプ、俺初めてで……あ、あれ、涙が……」
なんだろう、今までの地獄と今の天国を比べたら自然に涙が……。
荷物を置くや手慣れた手つきで店長はBBQ用のコンロに炭を入れ、あっという間に火を熾した。流石は梓の師匠兼彼氏だ。
「お~い、店長がもう炭を熾してくれたぞ! まずは腹ごしらえといこうぜ? 店長、お疲れ~!」
「葵、あのお嬢ちゃんは本当にいい子だ」
「分かってますよ。でも梓だって最高の女性だと思ってますよ?」
二人でニヤつきながら缶と缶を当ててビールを飲み干した。さあ、キャンプの始まりだ!




