#2
夜の帳が辺りを支配する山裾の集落。村の入口は丸太で作られた柵によって防御され、松明の明かりに照らされた農民の男たちが鍬や鋤を手に、おどおどしながらも見張りに就いていた。それがならず者に対する備えであったならば、相対的にではあるが幾分か気が楽だった事だろう。
村は異形の化け物、《マガツタマ》の襲撃に脅かされていた。
《マガツタマ》は人に害を為す。少なくとも縄張りを犯さなければ積極的に人間と関わろうとしない山の獣たちとは違い、《マガツタマ》は人へ危害を加える事こそがその行動原理であった。現世に深い恨みと未練を残した死者の魂が血肉を得たものこそが《マガツタマ》の正体であると人々は信じ、乱世が混迷の度合いを増す程に《マガツタマ》はその数を増やしているという事実がそれを後押ししている。少し前まで武田領だったこの村の周辺に《マガツタマ》が頻繁に出没するようになったのも、自害した武田勝頼公の無念が具現化したものではないかと村人たちは囁き合っていた。
「お絹の娘を助けて下さったそうで」
村の奥まった場所に建っている屋敷、とは言っても他の村人たちのものに比べ少しだけ広いだけの邑長の家で、四人の少女たちは夕げを馳走になっていた。鉄鍋にざく切りにした野菜を入れ少量の味噌で溶いただけの質素な食事であったが、それらの食材は村人たちが《マガツタマ》の襲撃に怯えながらも命懸けで育てたものだ。少女たちは有り難く頂戴し、素朴な味に舌鼓を打った。
白髪の髭を伸ばした邑長が言ったお絹という女性は、昼間に襲われていた少女、綾の母親の事だ。綾は母親の為に薬草を探して山に入り、四人の少女、主に白百合の活躍によって命を救われた。今頃は薬草を混ぜた粥でも共に食べながら母娘の親睦を深めている事だろう。それは偶然目の前で起こった、《マガツタマ》の問題全体に対しては何ら影響を及ぼさない些細な事件でしかない。だが、小さな家庭の平穏をひとつ守れた事は、《マガツタマ》から人々を救う為に戦う彼女たち《歩き巫女》にとっては何よりの誇りだった。
そう言えばまだ名乗っていなかったと、弓矢を脇に置いた少女が邑長に無礼を詫びた。
「わたくしは、めご、と申します。愛と書いてめご、ですわ」
愛は静々とお椀と箸を置き、改めて邑長に対して頭を下げる。軽く癖の付いた色素の薄い長髪がしゃなりと流れ、両手を揃えた優雅なお辞儀は彼女の育ちの良さを物語っていた。愛は垂れ気味の人好きのしそうな視線を隣に向け、鉄扇を武器にしていた小柄な少女が頷く。
「阿国だ」
阿国は目を伏せ軽く会釈する。うなじが見える程に短く切り揃えられた後ろ髪とは対照的に、もみあげ部分だけを異様に長く伸ばした彼女の独特な髪型はまるで兎の様だった。阿国はその一言で黙り、大根を頬張るとまた黙々と食事を再会する。可愛らしい見た目とは裏腹に、随分と寡黙な性格なようだ。
「白百合っ!」
箸を握ったままの右手を挙げて、白百合が元気良く言う。数刻前に《マガツタマ》との死闘を演じ、常人ならば重傷を負っていたはずの一撃を食らっておきながら尚、彼女は誰よりもハツラツとその食欲を満たしていた。人間の範疇を超えたその頑丈さと回復力は、恐らく《鬼降ろし》の能力の一部なのだろう。その天真爛漫さを現すかの様に、彼女の頭の両側で結ばれた癖っ毛がぴょこぴょこと揺れた。
「ちゃ、茶々・・です」
種子島を背負っていた泣き虫の少女がおずおずと頭を下げる。囲炉裏の火に照らされながらも青く流れる長髪と、その下にある整った顔立ちはまさしく絶世の美女だ。この屋敷へ至るまでに若い男衆の視線を最も集めていたのは、間違いなく彼女だった。
茶々が上目遣いに邑長の顔を伺うと、老人はまじまじと彼女を見つめていた。どもった茶々の代わりに愛が、何か?と尋ねると、彼は長い顎髭を撫でながら言う。
「はて・・少し前に亡くなられた信長公の姪御の名も、確か・・」
邑長は四人の顔を改めて見渡した。そう言えばどの娘さんにもどこか気品がありますな、と話を続けようとすると、ぎょっとした茶々と白百合を尻目に愛が変わらぬ微笑みを携えながらばっさりとそれを遮った。
「偶然ですわ」
そんな高貴なお姫様が化け物と戦っているだなんて有り得ませんと、愛はにっこりと笑い、邑長もそれもそうですなと目尻の皺を深くする。茶々と白百合ははあっ、と息を吐き、阿国だけは悠然とお椀の中身を平らげていた。
はっきり言おう。偶然などではない。彼女たちはまさしく彼女たちその人だ。
愛は陸奥田村氏、白百合は常陸佐竹氏の出で、茶々は近江浅井氏に生まれ今は表向き羽柴秀吉の保護下に置かれている事になっている。阿国は出自こそ定かではないが、母は毛利氏によって滅亡した出雲の尼子氏に連なる者であったらしい。
そう、彼女たちはいずれも正真正銘のお姫様だったのだ。
それぞれの事情と数奇な運命に導かれ、姫たちは特別な能力を獲得。《歩き巫女》として《マガツタマ》との戦いに明け暮れていたのである。
「あ~びっくりした・・」
白百合と茶々は二人、村の中央の通りを並んで歩いて行く。満月が夜道をほんのりと明るく照らし、二人は松明を持たずとも夏の夜の涼やかな散歩を楽しむ事が出来た。
白百合は夕方ぐっすりと眠った事で未だ元気があり、邑長に食事の礼を言うと見張りを手伝おうと屋敷を飛び出した。茶々は逃げるようにそれに付いて行き、今は大人の対応が得意な愛と阿国が邑長の話し相手になっている。
「《マガツタマ》によって往来も減っているでしょうに」
山奥の寒村と言えども、さすがは邑長と言ったところかしら、と茶々は情報通な翁の屋敷を少し恨めしそうに振り返った。
「茶々は有名過ぎるんだよ」
「好きで織田の家系に・・っ!」
声を荒らげた茶々に、彼女の経てきたものを知る白百合は自らの失言を詫びる。
「・・・ゴメン」
しゅんと項垂れる白百合の姿に、茶々は却ってバツが悪そうに視線を逸らした。
「・・・いいわよ別に。仕方のない、事だもの」
ふぅ、と溜息を吐いて茶々は青白く輝く満月を見上げる。茶々もまた白百合の過去と想いを知っていた。付き合いもそこそこになる。白百合のその発言に含みが無い事くらい、彼女にはすぐに理解する事が出来た。
「素性がバレたらきっと、家に連れ戻されちゃうよね」
「・・それだけじゃないわ。私たちの存在は、格好の取引材料になる」
彼女たち《歩き巫女》は化け物と戦っている。しかし世は戦国時代。人間同士の熾烈な戦いもまた依然として続いていた。
特別な能力を持っているとは言え、有力大名家の姫君が碌な供も付けずにフラフラとしている。それぞれの実家と敵対する勢力がそれを見逃そうはずもなく、彼女たちは自分が良家の生まれである事を何としても隠さなければいけないのだった。
「偽名を名乗っても、咄嗟の時には名前呼んじゃいそうだしね」
まぁ、古今東西の姫の名前に通じている者などそうは居ないだろうし、愛が今回のように取り繕ってもくれるだろう。稀な状況に出会ったものと、変に身構える事などないのかもしれないが・・。
「アンタは・・って、あれ?白百合?」
茶々が隣を見ると、そこにあったはずの白百合の姿が消えていた。《マガツタマ》の気配は無く、彼女が襲われたとは考え難い。元より白百合という少女は気分屋なところがあり、時折気紛れに行動してしまう癖があった。
「えっ・・ちょっ・・冗談はよしなさいよっ!」
月が明るく辺りを照らしていたが、それが却って木々や家々の作る影をより一層濃くしていた。夏の生暖かい風が吹き、枝鳴りはザワザワとまるで「何か」の声の様な音を立てる。周辺に見張りに立った村人の姿は無く、近くに建っていた家はよくよく見てみると廃屋だった。村の通りを歩いていたはずが、いつの間にか少し外れた場所へ来てしまったようだ。「・・し、白百合さ~ん・・?」
応えてくれる者は無い。茶々は暗い夜の森にひとり取り残されてしまっていたのだった。
「は、はんっ!・・《マガツタマ》に比べれば?獣だろうが、お・・お化けだろうがっ!」
彼女は誰に向かって言う訳でもなく早口で気丈に振る舞い、視界の端に松明の明かりがある事を確かめる。やや距離があるが、その方向を目指せばそこには見張りに立っている村人たちがいるはずだ。この際、勝手に消えた白百合を構ってはいられない。少々怖い目に遭ったとて、それはあのお転婆の自業自得。自分は御免だと茶々は思った。
「あ・・アンタがいけないんだからねっ?!」
茶々は怯えを怒りの表情で誤魔化しながら吐き捨て、松明の明かりの方向に向かって歩き出した。
が、その目の前の茂みがガサガサと揺れた事で彼女はビタッと動きを止める。白百合?と血の気の引いた顔で問いかけるが、応答は無い。茶々は背負った種子島をあたふたしながらも両手に持ち替え、戦闘中の慌ただしい中でも発射体勢に入れるよう、何百回と繰り返し訓練してきた手順を反芻する。しかし、動揺した彼女はいつも通りのその作業に幾分か手間取ってしまっていた。
もうっ、と自らの腑甲斐無さに涙目になった茶々が火種を作ろうとしたその瞬間、茂みの中の何かが彼女に向かって飛び出した。茶々は小さく悲鳴を上げると尻餅をつき、暗闇の中で妖しく光る二つの光点に向かって撃てない種子島を構える。
果たして震える銃口の先に佇んでいたのは、狸であった。
狸は茶々から視線を外すと鼻を地面に沿ってひくひくと鳴らし、その周りを子狸たちがじゃれ合いながら駆けていく。あまりにも平和なその光景に茶々は肩で息を吐き、ぐったりと項垂れる。やがて狸の親子は再び森の中へと消えていった。
「・・そ、そうよね、そんな訳ないわよねっ!馬鹿馬鹿しい・・」
「茶々ぁ」
「ひゃああっ?!」
へたり込んだ茶々のすぐ後ろから声が掛けられ、彼女は飛び上がるようにして草の上に倒れた。そんな茶々を月明かりに照らされた白百合がきょとんとした表情で見下ろし、彼女の感じていた恐怖などどこ吹く風であっけらかんと手を伸ばす。茶々は真っ赤になった顔で白百合を睨みながら、しかし割と素直にその手を掴んで立ち上がった。
「どこ行ってたのよ、馬鹿白百合っ!」
「ん~、これっ!」
ニカッと笑った白百合が茶々の顔の前に差し出したのは、ただ一枚の広葉樹の葉。暗闇で見え難くはあったものの、その葉の上にはうねうねと蠢く小さな影があった。
毛虫だ。
またも悲鳴を上げて仰け反った茶々を尻目に、白百合はうっとりとそれを眺めている。
「かわいい・・」
恍惚の表情で毛虫を愛でる白百合。茶々はしばらく茫然としていたが、やがて再び頬を紅潮させ涙目になると、夜の森中に響き渡るかという大きな声で馬鹿ぁっ、と叫ぶのだった。
「賑やかなご友人をお持ちのようで」
邑長の屋敷。愛と阿国の二人と囲炉裏を囲んでいた老人は、微かに聞こえた茶々の叫びにカカ、と笑みを溢す。愛はクスクスと巫女装束の袖で口元を隠しながら、ええ、と頷いた。
「それで、しばらくの間この村にご厄介になりたいのですが・・」
「それは構いませぬが、何故かような何も無い村に?」
「・・ご老体、酒を少しばかり頂けないだろうか?」
邑長の話し相手は専ら愛がしていたが、それまでそのやり取りを黙って眺めているだけだった阿国が唐突に口を開いた。どう見ても酒が飲める歳ではないだろう彼女の突然の発言に、邑長は戸惑いながらも棚の奥から人の頭の大きさくらいの瓶を取り出す。
阿国は白い濁り酒が注がれた盃を囲炉裏の縁に置くと、白百合の匕首と同様、鉄扇に結ばれていた鈴の紐を解いて酒の上に浮かべた。そして祝詞らしきものを呟くと、独特の模様が刻まれた鈴が振動し、酒は波紋を広げながらぱしゃっと一点の方向に雫を飛ばす。
「・・丑寅、まさしく鬼門の方角だな。波紋の大きさから見るに、かなり近い」
言って、阿国は鈴を引き上げ着物の袖で拭うと、再び鉄扇にそれを結びつける。そして盃を持ち上げるやいなや、ぐいっとその中身を一気に飲み干した。
「あら、いいのかしら?」
「・・これは般若湯だ」
「さっきお酒って言ったわ」
「・・さて、どうだったかな」
阿国は能面の様だったその顔を小さく綻ばせ、愛もまたクスリと笑う。
誰の手も触れられる事なく動き出した鈴、あるいは酒。そんな不可思議な現象を目の前で見せられた邑長は目を丸くし、未だこの少女たちが化け物を退けたとは信じられてはいなかったが、少なくとも神通力の類があるのだろうと妙に納得した。そして愛に説明を求める視線を送ると、彼女は微笑みではなく真剣な顔つきでそれに応える。
「《黄泉比良坂》」
《マガツタマ》はこの冥界の門を通って現れる。それは日本中に点在しており、そのうちのひとつがこの村の近くの何処かにあるという。しかし具体的な場所はまだ判明していない事から、探し出す為の拠点が欲しいのだと、愛は三度邑長に頭を下げた。
「《比良坂》を封印出来れば、これ以上の《マガツタマ》の出現を食い止められます」
「・・後は、残党を駆逐するのみだ。それで、村には平和が訪れる」
成程と邑長は頷き、愛は宿と食事の礼として村人たちの護衛を買って出た。何時如何なる場所から現れるかもわからない《マガツタマ》に対し、村人たちは住処を柵で囲む事しか出来ない。多くの田畑はその外にあり、山へ狩りに出るのも勿論危険だ。人の行き来は激減し、流通は滞っている。現在の状況がこのまま続けば、やがて村は《マガツタマ》の脅威よりも先に飢えによって死滅していく事だろう。
「綾は真っ直ぐな子です。下手な嘘をつくような娘ではありませぬが・・」
「ええ、子供の言う事ですものね。無理もありません」
「・・だが、我々が貴方たちの前で能力を振るう状況とはすなわち、この村の危機だ」
「信用して頂きたいとは思います。ですが・・」
そのような事態にならない事を願っておりますわ、と愛は再びその顔に微笑みを宿した。
果たしてその願いは、けたたましい足音によってすぐさま砕かれたのであったが。
家の戸を勢い任せに開いたのは村の若い男だった。その強張った表情を見るだけで、愛と阿国、そして邑長の三人は何が起きたのかを瞬時に悟る。愛と阿国はそれぞれの獲物を手に屋敷を飛び出し、邑長は女子供を外に出すなと若者に指示を飛ばした。
村の入口付近。先を尖らせた丸太で組まれた柵の前には、緊張した面持ちの男たちに混じり既に白百合と茶々が到着していた。
愛は驚くべき跳躍力で左手側にあった茅葺き屋根の上に飛び上がる。その忍者の如き軽業に男たちは唖然としつつ、裾から覗かせた見目麗しい少女の白い脚に何故だか一部からはおお、と吐息が漏れた。愛はごめんあそばせ、と男たちに微笑むと、林の向こうで蠢く異形の者たちの姿を捉える。
子供程度の大きさの《マガツタマ》が列を成し、じわじわと村へと近付いて来ていた。笠と蓑に身を包んだそれら化け物たちは赤黒い手に錆だらけの鉈を持ち、血に飢えた双眸を爛々と輝かせている。
《マガツタマ》の一種、『豆笠』だ。個々の戦闘力では昼間の『百目』には幾分劣るが、数を頼みとしたその戦術は十二分に脅威と言える。それが大挙して押し寄せて来ているとなると、さすがに骨が折れそうね、と愛は目を細めた。
白百合と阿国は武器を取り出して構え、茶々は今度こそ冷静に種子島を準備している。そこへ降り立った愛は敵の数が百を優に超える事を皆に告げ、それを何食わぬ顔で受け止める少女たちとは対照的に村人たちの間には衝撃が走った。
村に対する襲撃は、大抵の場合数匹の小勢によるものだった。それでも追い払う程度がやっとの事で、それは男たちにとっては命懸けの戦いだ。だが今回ばかりはその規模を遥かに凌ぐ、まさしく戦の様相を呈していた。
おめぇたちが呼び寄せたんでねぇか?と、いつもと違う状況に理由を求めるとすればやはり、その矛先は少女たちに向けられる。白百合と茶々は一瞬悲しそうな目をするが、恐らく行く先々で似た経験をしてきているのだろう。すぐさま表情を戦士のそれに戻し、男たちの胡乱気な眼差しをさらりと受け流した。
「・・半々、だな」
阿国は冷静な分析を口にして、愛が弓の弦を弾きながらそれを補足する。
「私たちの能力の残滓に感応した可能性を否定はいたしませんわ。ただ・・」
これ程の数の《マガツタマ》が一箇所に集まる事は非常に稀だ。幾つかの要因が重なった結果としての化け物の大量発生ならばそれは、可哀想だがあの綾という少女にも責任の一端があると見るべきだろう。白百合が隣の阿国に尋ねる。
「ひょっとして・・昼間のあの子、ちびってた?」
「・・体液の匂いは強いからな。特にシモのは」
「あんなちっちゃい娘のおしっこの匂いに誘われてとか・・とんだ変態集団だぁね」
「・・大人の女のそれでも、立派に変態だ」
この絶望的な状況であってさえ軽口を叩き合う少女たちの元に、若者を引き連れた邑長が合流する。愛は邑長に村の周辺の地形の説明を求め、老人は手に持った杖で土の上にその見取り図を描いた。
険峻な尾根と切り立った崖、幅の広い川。成程この村は非常に防御に適しており、《マガツタマ》の存在さえなければどこぞの大名が確実に砦を築いていたであろう、天然の要害であった。
「別方向から村に侵入される心配はありますまい。戦力の分散は避けられるだろうて」
「つまりこの村の入口さえ死守すれば良い、という事ですわね?」
愛はそう言って顔を上げると、いつになく真剣な表情で仲間たちと視線を合わせる。白百合、阿国、茶々もまたそれに無言で頷き、四人の少女たちは迫り来る《マガツタマ》の軍勢を静かに見据えた。
「私たちが前に出ます」
皆様方には柵の内側での迎撃をお願いいたしますわ、と愛は村人たちに微笑む。彼女たちがしようとしている事を悟った村人たちは、皆一様に動揺していた。
事ここに至り戦う以外の選択肢が無い事くらいは、村人たちも充分に理解出来る。少女たちの強さには未だ半信半疑であったが、共に戦ってくれると言うのであればこれを断る理由も確かに無かった。
しかし、決死の覚悟と身投げには天と地と程の差がある。永らく《マガツタマ》の襲撃に脅かされてきた彼らにはその恐ろしさは骨の髄にまで刻まれており、余所者と言えども年端もいかない少女たちが化け物に蹂躙されるのを黙って見ていられる程薄情でもなかった。
「本気かね」
邑長の問いに少女たちは静かに笑う。そこには熱気も悲壮感も無く、まるでただ通い慣れた奉公先へ出立するだけかの様な、至極自然体な娘らの姿があった。
困り果てた顔を見合わせてざわめく村人たち。邑長は黙ったまま深い瞳で少女たちをじっと見遣り、そして息をひとつ吐くと嗄れた声で男たちに向かって叫んだ。
「娘の言う通りにせよ!急げ!化け物が来るぞ!」
当初はその指示に困惑する村人たちであったが、邑長が喝を入れた事で肚が座ったのかすぐさま各々の持ち場へと散っていく。彼らの動きは兵士には及ばないものの、幾度となく《マガツタマ》の襲撃を経てきた事によって効率的で洗練されていた。迷いの無い村人たちの姿に、少女たちは却って勇気づけられる。自分の仕事に集中出来る環境を整えてくれた事は非常に有り難い。彼らならばきっと、持ち堪えてくれるはずだと確信出来た。
少女たちは柵を超え、村の前に広がる開けた場所に出た。大波となって蠢く『豆笠』たちは笠の下から殺意に満ちた双眸を覗かせ、血に飢えた喉からは不気味な唸り声を発する。
目前に広がるその光景はまさしく、現世に顕現した地獄の軍勢だった。
「畏み畏み、申し奉る」
白百合が祝詞を唱え出すと、昼間と同様に彼女の匕首の柄に結ばれた鈴が鳴動し始めた。茶々、愛、阿国がそれに続き、同じく彼女たちの武器に付けられた鈴も反応を示し、そして光を放つ。村人たちは強烈な光に目を眩ませ、しかし瞼に残像が焼き付いたままの瞳でその光景に魅入り、やがて呆然と口を開いていた。
四人の少女たちの背中からは、神か仏か、いずれも尋常ならざる力を感じる何者かが悠然と《マガツタマ》の集団を睨み付けていた。
《鬼降ろし》。
彼女たち《歩き巫女》が《マガツタマ》に対抗する為に用いる、無慈悲で圧倒的な純然たる戦いの能力。鉄の塊の様でいて人の形をしているその《鬼》の姿に、村人たちは直感的に成程、彼女たちなら勝てるかも知れないと思った。その力の正体がなんであれ、本能的な恐怖を呼び覚ます《鬼》の存在感は、しかして味方であるならばこれ程心強いものは無い。
若い男が自然と雄叫びを上げ、他の村人たちも釣られて鬨の声を発した。少女たちは歓声を背中に受けながら、刻一刻と距離を詰めてくる濁流に対して身構える。
「さぁ、張り切っていこうっ!」
白百合の号令一閃、少女たちはその背に《鬼》を従えて《マガツタマ》の軍勢へと突撃して行く。
時は戦国末期。少女たちは、人々を守る為に戦い続けていた。
ここをキャンプ地とする。




