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おまけ5 昔語り 後編

お待たせしてしまってすみません!

そして、なんだか長くなってしまいました・・・。

これでも内容を絞ったはずなんですが(汗)

お楽しみいただければ幸いです。

イリアには頭からすっぽりローブをかぶせ、顔の下半分だけ出るようにした。

これで、すぐにはオッディスとはばれないだろう。

水や火打石など、最低限必要な物だけ持ち、そっと部屋を抜け出る。

グエンとイリアは、すっかり日が暮れた城内を、誰にも見つからないように進んでいった。


「グエン、夕食に出なくて不審がられないの?」


そろそろそんな時間だ。

第二王子であるグエンがいなくて平気なのかと、イリアは疑問を口にする。


「ああ、全員が集まって食べることはない。人数が多すぎるからな」


多すぎる王子や王女が1人1人ちゃんと食事をとったかを管理できていないのだ。

一食抜いたぐらいでは気付かれない。


「それより、イリアがいないと気付かれる方が早いだろう。なるべく今のうちに、遠くに行っておこう」


馬を使えば早いが、そうすると逃げたことがすぐに分かってしまう。

闇に紛れながら、徒歩で進むしかない。

1階の窓から外に出て、城壁に向かう。


「どっち行くの?門はあっちだよ」

「門番がいるからな。こっちに、抜け道がある」


愚王は女たちの気を惹くため、財源をほとんど貢物に費やす。

そのため、城壁の修理もままならないのだ。ずいぶん前に空いた穴を、植木で隠しているのを、グエンは知っていた。

大人が何とか通れるくらいの穴を抜け、城の裏の森に入る。

最低限の会話のみで、月明かりの中をひたすらに進む。


イリアはこのような荒れた場所も歩き慣れているらしい。文句ひとつ言わず、ひょいひょいと身軽に進んでいく。

グエンの方が、木の根に足を引っかけたり、ぬかるみにはまったりしているくらいだ。

どれくらい歩いていただろう、前を行くイリアがグエンを振り返った。


「あそこで休憩しようか」


指差した先の斜面には、洞窟とも呼べないような、ささやかな穴が開いていた。


「少し寝たら、また歩こう。このあたりは獣はいなさそうだから、火は焚かないでいいよ。追っ手に見つかっちゃうだろうし」

「どうして獣がいないと?」

「痕跡がない。糞も、爪痕も、抜けた毛も。あと、まだ人が住んでいる場所に近いから」


てきぱきと答えるイリアを見て、グエンは素直に尊敬の気持ちをもつ。

それに比べ、自分の何と不甲斐ないことか。

ついたため息を疲労のためと思ったのだろう、落ち葉を敷いてクッション代わりにした上に座れと、イリアが促す。


「じゃ、おやすみー」


さらっと言って、体を丸めたまま横になったイリアは、規則的な寝息を立て始める。

いくらなんでも無防備すぎではないか。

こちらはイリアに無体を強いようとした男の息子なのだ。

それを差し引いても、年頃の男だというのに・・・。

まったく意識されていないのが腹立たしくて、到底実行できないことを悔し紛れに呟く。


「・・・襲うぞ」

「どうぞー」

「!?」


まさかの返事に後悔と羞恥で顔を赤くしていると、イリアがにやにや笑って下から見上げていた。


「ばっ・・・!冗談でもそんな返事するんじゃない!」

「そっちこそ、できもしないこと言わないでよねー」


でも、あながち冗談でもないかな、と続けたイリアに、グエンは目を丸くする。


「だってほら、また誰かに捕まったら、今度こそよく知りもしないやつに抱かれるかもしれないでしょ。それよりは、今グエンに抱いてもらった方が嬉しいかなぁって」

「何、後ろ向きなこと言ってるんだ。このままうまく逃げられたら、そのうち、好きになったやつと、その、そう言うことになるかもしれんだろう。その時まで取っておけ」


それにマシだからという理由なんかで俺を巻きこむんじゃない、と言うと、素直にごめんと返ってきた。


「・・・どうして、そこまで俺を信じられるんだ?」


数時間前に出会ったばかりの、しかもあの愚王の息子である自分を。


「んー、勘」


単純明快な返答に、グエンは面食らう。


「いやさーほら、私こんな目だからさ、一所にずっといなかったの。あっちの村こっちの村って、流れてたわけ」


よっこいしょ、と上体を起こして、イリアは話し続ける。


「だから、たくさんの人に会ってきた。いい人にも、悪い人にも。人を見る目には自信あるのよ。グエンは、いい人」


目を覗きこまれながら言われ、グエンは頬が熱をもつのを感じる。


「人が良すぎて、心配になるけどねー」

「放っとけ!」


背を向けてグエンが横になると、イリアも寝転ぶ気配がした。


「ねえ」

背中合わせらしい。距離は近いはずなのに声は遠く感じる。


「なんだ」

「なんでグエンって、女慣れしてないの?」

「は!?」

「だって王族でしょ?女とっかえひっかえして遊んでるんじゃないの?」

「・・・王族だからと言って、誰でもそういうわけじゃない」

「そうなの?」

「そうだ。それに、俺は身分が低いからな。貴族たちも、自分の娘をくれてやろうという気にならんだろう」


母親の身分の高い第一王子や第三、第四王子のもとへは、しょっちゅう貴族の娘が売り込まれているらしい。


「だからそんなに初心うぶなんだ」

「うっ・・・うるさい!なんか文句あるか!」

「ううん。そういうグエンでよかった・・・」


そう言ったか言わないかのうちに、イリアは眠ってしまったらしい。

すー、すー、と寝息が聞こえる。

思えば、誰かと一緒に寝るなんて物心がついてからは初めてではないだろうか。

うんと小さい頃は、乳母がいたらしいのだが、記憶の中には残っていない。

母親と一緒に寝た記憶もない。

彼女は今、第二王子を産んだということだけを支えに王の寵愛を得ようと必死なのだ。

息子であるグエンに会いに来ようともしない。


イリアの規則正しい寝息を聞いているうちに、グエンも寝てしまったらしい。

ぺちぺち、と頬を叩く感触で目が覚めた。

グエンがうっすらと目を開けると、イリアの美しい目が目の前にあった。


「わっ!」

「グエン、おはよー。おなかすかない?」


はい、と出された棒には、肉が刺さっていた。よく焼けて肉汁が滴っている。


「これ、どうしたんだ?」

「ん?ちょっと狩ってきた。鳥だよ。結構おいひい」


むぐむぐと食べながら、イリアは答える。近くには、いつ用意したのかたき火もある。


「日が昇ったから、たき火も目立たないかと思って」


ぺろりと食べ、イリアはさっさと火の始末をする。

森で1人で生きていける、と言ったのは過言ではないらしい。


「さ、今日はもっと遠くまで行くよー」


朝日を受けてイリアの目はキラキラと輝いている。

それを見て、グエンは文献の一説を思い出した。


『オッディスは、”生きる宝石”と呼ばれている』


虹彩の美しさだけではない。

イリアの場合、その強い生命力が、目に輝きを与えているのだろう。


「ほら、さっさと食べてよー!」


人がいた痕跡を消すため、敷いていた落ち葉を蹴散らしながらグエンを急かす。

慌てて肉を食べ、出発の支度を整えた。


「今日は、なるべく急いだ方がいい。たぶん、雨になるよ」


空を見上げて、イリアが言う。

グエンも同じように見上げるが、空は大部分が晴れていて、とても崩れそうにない。

そうは言っても、先を急いだ方がいいので、イリアについて、グエンも歩き出すのだった。




「思ったよりも、早かったか・・・」

「イリア、あそこ!洞穴になってないか!?」

「グエン、ナイス!あそこまで走ろう!」


午後になり、急に日が陰ってきた。これはまずい、と思った途端、ぽつぽつ降り始めた雨が、数分後には土砂降りになった。

どうにか洞穴までたどり着いたが、服はびしょびしょ、燃えそうなものがないために火を起こすこともできない。

気温が低くないため、そこまで寒くはないが、濡れた服を着たままでは体調を崩してしまうだろう。


「はーよいしょっと」

「い、イリア!?」


何のためらいもなく服を脱ぎ始めたイリアを見て、グエンの方が後ずさってしまう。


「濡れたの着てるよりましだもん。ほら、グエンも脱いだ脱いだ」


そう言いながらぎゅっと服を絞るイリアはすでに下着姿だ。

グエンは顔を真っ赤にしながら、イリアに縫い止められたように動かない顔を無理矢理横に向け、何とか自分の服を脱いで絞った。

服からは思ったよりたくさんの水が滴る。

絞っただけましだが、火が起こせないのに乾かすのは難しいだろう。

このまま夜を迎えたら、さすがに冷えるのではないかとグエンが考えていると、イリアがくしゃみをひとつした。


「ぶへっくしょ!」

「・・・オヤジか」

「だって冷えたんだもん。グエン、そのままそっち向いてて」

「え?」


何をする気だと問う暇もなく、グエンの背中に温かく柔らかいものが触れた。

それがイリアの体だと気付くのに、長い時間はかからなかった。


「はーぬくい」

「ば、ば、バカ!イリア!何やってんだ!」

「え、暖取ってる」

「そんなことは分かってる!そうじゃなくてだな!嫁入り前の娘が、は、裸同然の格好で男に抱きつくなど・・・」

「だって寒いんだもん。グエン、お父さんみたーい!」


からから笑うイリアに、グエンはどうしていいか分からず硬直する。

触れている背中だけが熱い。


「・・・誰にでもするなんて、思わないでね」

「え?」


イリアの言葉とともに出た吐息が、グエンの背中をくすぐる。


「グエンだからだよ。グエンじゃなきゃ、こんなことしないから」


どくん、と、心臓が大きく跳ねたのが分かる。

イリアにも、聞こえてしまっているだろう。みっともなく速くなる鼓動を。


どうしてこんなに翻弄されるのだろう。

どうしてそれが、嫌ではないのだろう。

背中から感じる熱をもっと味わいたい。


そんな風に思ったのは、初めてだった。


「イリア」

「ん?」

「・・・こっちに来い。それじゃイリアの背中が冷える」


それらしい理由を作って、イリアを正面から抱き締める。

小柄なイリアは、男性の中ではそこまで大きくないグエンの体でもすっぽり収まる。

自分にはないすべすべで柔らかな肌に、触れているすべての部分が熱を持ったように感じる。


「・・・グエン」


頭も抱え込むようにしていたため、イリアの声はくぐもって聞こえた。


「何だ」

「・・・グエンの心臓、壊れちゃいそうだよ?」

「言うな。分かってるから」


心臓が、全力疾走後もこうはならないだろうというくらいバクバクしている。


イリアはどう思っているのだろうか。

出会ったばかりの男に抱き締められているなんて。

怖くて顔が見れない。抵抗されないということは、とりあえず嫌ではないのだろうか。


悶々としていると、イリアがグエンの背中に手を回し、ぎゅ、と抱きしめ返した。


「ありがと、グエン。雨やんだよ。薪探してこよう」


そう言うと、手をパッと離す。

グエンが腕の力を緩めると、その腕からさっと抜け出し、まだ濡れたままの服をとりあえず着て、1人でさっさと薪探しに行ってしまった。


「・・・何をやってるんだ俺は・・・」


イリアの熱が残る手を見ながら、ため息とともに呟くのだった。




雨が降りこんでいない場所から見つけたと、乾いた薪を持ってきたイリアは、洞穴で火を起こす。

日は少し暮れかけているが、それよりも服を乾かすことを優先した。

今度は脱がずに、着たまま乾かす。

グエンも座って火に当たりながら服を乾かす。


先程から、お互いにあまり言葉を発していない。

ばち、と大きく火が爆ぜたのをきっかけに、グエンが声をかけた。


「なあイリア」

「何?」


火に照らされた黄昏色の瞳は、いつもよりオレンジ色に見える。


「これから、どうするんだ?」

「あぁ、家族と待ち合わせしてる場所があってね。そこに行くつもり」

「待ち合わせ?」

「うん。いつかはオッディスであることがばれて、捕まるかもと思ってたから・・・その時に備えて、決めていた場所があるの」

「一緒に、行っていいか?」

「・・・え?」

「イリアと一緒に、俺も行っていいか?」

「な、何言って・・・。グエンは王子サマでしょ。無事私が逃げられたら、城に返したげるよ」

「あんなところ、帰りたくない」

「・・・グエン・・・」


吐き捨てるように言ったグエンの言葉に、イリアは戸惑う。


「あそこは、俺にとって家じゃない。大切な場所でもない。行ける所、行きたい所がないからいるしかなかった。でも、今は違う」


イリアの目をまっすぐ見る。


「イリアと、いたい。・・・だめか?」


動揺の色が浮かぶ。それはそうだろう。

出会って丸一日しか経っていない男に、一緒にいたいと言われても困るはずだ。

彼女の心中を察し、口を開こうとしたグエンより先にイリアが呟いた。


「だめじゃ・・・ない」


その返事に、頬が緩む。


「ででででも、私、こんな目だから大変だよ!堂々とした暮らしはできないし・・・」

「こんなって言うなよ」


イリアの頬に手を触れ、その目を覗きこむ。


「綺麗な目なんだから。・・・誰にも、見せたくないくらいに」


イリアの目が潤む。

そのまま、ゆっくり目が近づいてくる。

ふっと、触れるだけのキス。


「・・・見せない。他の人には、もう、誰も」

「そうしてくれると、嬉しい」


目を合わせて、2人で照れ笑いを浮かべる。

いつものカラカラとした笑い声や笑顔も好きだが、この笑い方もどこか色気があって可愛い、と考える自分は相当イリアにやられているようだ。

そんなことを考えていると、イリアが目を大きく見開いた。

どうした、と聞こうとした瞬間、背中に強い痛みを感じ、体を支えていられずに崩れ落ちた。


「グエン!」


イリアの焦る声が聞こえる。

何が、どうなった?

その答えはすぐに、背後からやってきた。


「やっとみつけた。黄昏の姫君」

「あんた・・・」


洞穴に入ってきた人物の顔が、たき火を受けて浮かび上がる。


「覚えておいででしたか。私はシューケント王国第一王子、シャレン・フォン・シューケントと申します」

「シャ、レン・・・?」


なんとか顔を向けると、汚らしいものでも見るような目で、こちらを見下ろす視線とぶつかる。


「まったく、グエナレンティハルト。おとなしく自分の身分を考えて引っ込んでいればいいものを」

「グエン、動かないで、血が・・・」


シャレンの後ろには数人の兵士が控えている。

先頭の兵士は、剣を握っていた。それで斬られたのだろう。


「シャレン、と言ったわね?あの愚王の命令?珍しいオッディスの女を逃がすなとでも言われたの?」


怒りの滲むイリアの声に、シャレンは大きなため息をつく。


「あんな男、どうだっていい。あなたには利用価値がある。連れて行け」


シャレンが軽く右手を上げると、2人の兵士が両側からイリアを掴み、無理矢理立たせる。


「ま、て・・・シャレン、彼女を、どうするつもりだ・・・」


シャレンの足に何とかしがみつくが、空いている方の足で腹を蹴られる。


「がはっ」

「グエン!」

「触るな、汚い犬が」


出血量がかなり多いらしい。視界がぼんやりする、意識を保つのが難しくなってきた。


「まあ、お前も気になって安心してあの世に行くこともできないだろうから、教えてやろう」


シャレンの声が聞こえる。自分が絶対的に有利だと確信している声が。


「グエナレンティハルト、シューケントは変わるべきだと思わないか?腐った国王、腐った重臣、疲弊した国民・・・このままでは、誰が跡を継いだところで、立て直すのが難しい」


それはグエンも常々思っていたことだ。


「だからな?一掃しようと思うのだよ。そして、一からやり直すんだ」

「何、言って・・・?」

「鈍いなグエナレンティハルト。残しておいても仕方がないものは、葬り去るしかないだろう?」

「!・・・でも、そんなこと、できるわけが」

「できるさ。トゥック国が、手を貸してくれる」


トゥック国は、シューケントの北側にある大国だ。西側の、同じく大国であるラルテ国とはいさかいが絶えないと聞く。


「・・・バカじゃないの?トゥック国に、クーデターの加担を頼んだっていうわけ?そのまま国を乗っ取られて終わるわよ」

「そうならないように、私が動いているんじゃないか。そして、そう、あなたにも一役かっていただくことになった」

「・・・どういうことよ」

「黄昏の姫君。トゥック国には、あなたのご先祖がコレクションされているそうだよ。王家の秘宝なんだそうだ」

「なっ・・・!」


思わず声をなくしたイリアの顎を、シャレンが掴む。

イリアの目をうっとりと見つめながら、シャレンは笑顔を浮かべた。


「この、美しい黄昏色もコレクションに加えたいそうだ」

「・・・この、下種げすが・・・!」


残忍な笑みを湛えるシャレンに、イリアは怒りがこみあげてくる。


「だ、めだ・・・イリア・・・!」

「ああグエナレンティハルト、君はすっかり黄昏の姫君の虜だね。もう寝たの?一応、先方は生娘でなくてもいいって言ってはくれてるけど。状態はいいに越したことはないもんね?」


まあ、目さえ無事ならいいか、と続けるシャレンに、イリアは侮蔑のまなざしを向ける。


「私は、あなたの思う通りにはならない」

「さあ、それはどうだろうね?・・・おい」


後ろに控えていた兵士に合図を送ると、2人がかりでグエンの体を持ち上げる。

かろうじて意識はあるが、グエンはもう、一言も発することができない。

シャレンは腰の剣をゆっくり抜いた。


「やめて!グエンに何をするの!?」

「縋るものがなければ、私の言うことを聞いてくれるかと思ってね」

「やだ・・・グエンは助けて!私はどうなってもいいから!」

「ふふ、ありがとう。では、グエナレンティハルトの命をとることまでは、やめておこうか」


満足そうにイリアの言葉を聞きながら、シャレンは剣をしまう。


「連れて行け」

「待って、グエンをどこに連れていくの!?」

「そうだな、どこにしようか。・・・ああ、先程の雨で、川が増水していたな。あのうねる様な濁流の中にでも放っておけ」

「約束が違う!」

「違わないよ、姫。私は直接手を下して、グエナレンティハルトの命をとらなかったんだから。それにほら、もしかしたら生き延びるかもしれないよ?万に一つも、ありはしないだろうけどね」

「やだ!やだ!グエン!グエンーーー!」

「うるさい」


ばしっと音がし、頬が熱くなる。

頭がくらりとした後、イリアは意識を失った。


「・・・行くぞ」


兵士たちは、男と女を抱え、洞穴を出た。

途中、泥水がごうごうと流れている川に男を投げ入れる。

水はあっという間に男を飲み込み、その姿は見えなくなった。

兄である男はそれを見て笑みを深め、川に背を向けた。

自身が潰そうとしている、王城へと向かうために。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 


「それで!?それで、おうじさまとおひめさまはどうなったの!?」


さすがにそのままを話したわけではないが、オブラートに包んだりぼかしたりしながら語った物語は、子どもたちの心にも響いたらしい。

今にも泣きそうな瞳が3対、グエンをじっと見つめてくる。


「お姫様は、お城の塔に捕まったのじゃ。でも、悪い王子様の言いなりにはならないと、自らその塔から飛び降りて亡くなったそうじゃ」

「うぇっ・・・おひめさま、かわいそう・・・!」

「おうじさまは?おうじさまもしんじゃったの・・・?」

「えぇっ、おうじさまも、しんじゃったの?かわいそうだよ、そんなのやだよぅ・・・!」


女の子が泣き出し、つられて双子の弟も泣きだす。


「ば、ばかだな、シュナ!ゲイル!こういうおはなしは、てんごくでしあわせになるんだよ!な、グエンじいちゃん!?」


兄は弟妹を慰めるためだろう、必死に自分なりのハッピーエンドを考えたらしい。


「・・・さあて、わしも、王子様がどうなったのかは、知らんのじゃよ」

「えぇっ!」


子どもたちの目に失望が浮かぶ。


「じゃが、きっと、幸せになったと思うぞ?」


その言葉を聞いて、ほっと安堵したのもつかの間。


「お前たちは・・・またこんなところで・・・!」

「やっべ、父さんだ!」

「ギミー!シュナ!ゲイル!勝手に家を抜け出すんじゃねぇっ!」


ドアから入ってきたのは、3人の父だ。


「だってー、グエンじいちゃんのおはなしききたかったんだもん」

「聞きたかったんだもんじゃねぇ!夕食の後勝手に抜けだしやがって・・・おまえらがいらねぇ心配かけたら、あいつとおなかの赤んぼに影響すんだよ!」


3人の母は現在身ごもっている。

数か月後に生まれる子を、3兄弟も楽しみに待っているのだ。


「ようし!かあさんのところまできょうそうだ!よーい、どん!」

「あ、バカ!夜道を走んじゃねぇって・・・」


父の声など気にも留めずに、3人はダッシュで家まで走っていく。

グエン宅とは目と鼻の先なので、迷子になったりする心配はないのだが。

大きくため息をつくと、グエンが愉快そうに言った。


「お前の小さい頃を見ているようだよ、ザント」

「・・・うっせぇよ」


グエンはゆっくりロッキングチェアを揺らす。

ザントはその横顔を見ながら、先程聞こえたものを思い出す。


「・・・なあ、さっきの話って・・・」

「ん?なんじゃ?」


グエンの静かな笑みを見て、ザントは諦める。

この笑顔は、何があっても話さない時の顔。

物心ついた時から一緒にいたのだ。それくらいは分かる。


「・・・なんでもねぇ。さっさと寝ろよ。体に響くだろうが」


グエンに毛布を掛けながら言う。

最近では、グエンは一日中ロッキングチェアで過ごしている。

時々、ひ孫代わりのギミーたち兄弟が遊びに来て、話をするくらいなのだ。

もう、いい年だもんな・・・とザントがグエンを見やると、グエンがほほ笑んだ。


「ナオの様子は?」

「ああ、安定してるよ。さすがに3度目だしな」

「楽しみじゃのう・・・」

「そうだな。今度は男だか女だか・・・・・・ジジイ?」


すー、すー、と寝息を立てているグエンに、ザントはほっと息をつく。

今日は冷える。もう一枚毛布を掛けてから、部屋の明かりを消し、ザントはそっとドアを閉めた。




うとうととしながら、グエンは当時のことを思い出していた。

背中を切られ、濁流に飲まれたグエンは、奇跡的に助かった。

川の下流の方にある村で発見され、そこの村長宅で介抱されたらしい。

グエンが目を覚ました時には、発見から5日経っていた。

朦朧とした頭で、シューケント国について聞けば、数日前にクーデターが始まったとのこと。

そして、それを機にトゥック国が攻め入り、事実上、シューケントは壊滅したとのこと。

おそらく、王族は誰も残っていないだろう。

あの、シャレンさえも。


イリアはどうしたのか。

それとなく尋ねてはみたが、何の情報も得られなかった。

だが、グエンは何となく感じていた。

もうイリアが、この世にはいないであろうことを。

彼女の最期をもう少し詳しく知ったのは、それから数十年後・・・つい数年前のことだ。


それから、グエンはあてもなく旅をし、誰も住んでいない森で生活を始めた。

獣を狩り、植物を育て、時々は街に行商に出て、必要な物を買う。

イリアが家族と約束をしていたという場所を聞いていれば、尋ねることもできただろうが・・・。

しかし、自分一人が尋ねていっても意味がないだろう。

そうして何年も経ち、気付けば自分の周りには訳ありの者が身を寄せていた。

身分の違いから駆け落ちしてきた男女。

覚えのない罪をかぶせられ、国を追われた男。

口減らしのために捨てられた子ども。

少しずつ増えていった人数に合わせ、村を名乗ることにした。


『タシバ村』


”タシバ”は、古語で、『黄昏』の意味だ。

グエンが唯一愛した女の目の色---。


『あんた、ずいぶん老けたわねぇ』


ふいに、懐かしい声がして周りを見ると、ずっと、ずっと会いたかった人の姿がそこにあった。


「・・・イリア」


口が乾いて、うまく声が出せない。

何とか絞り出してその名を呼ぶと、目の前の彼女がカラカラ笑った。


『覚えててくれたんだ、名前。結局、ちゃんと名前で呼んでくれたのはあんただけだったね、グエン』

「忘れるわけないだろ。忘れられるわけ・・・・・・ごめん。助けられなくて、ごめん」


うなだれたグエンを、イリアはぎゅっと抱きしめた。

いつかと同じように体温を感じ、グエンは体が震える。

最近は動きの鈍くなってきた体が、軽く感じた。


『助けてくれたよ。グエン。グエンは、私をオッディスじゃなく、イリアとして見てくれた。それが、嬉しかった。それに、ほら、あの子。助けてくれたんでしょ?兄貴の、ひ孫、だっけ?』

「ナオか。俺がと言うより、ザント---ナオの今の夫が、だけどな」

『まさか崖から落とすとは思わなかったよ。もう少し、安全な方法はなかったわけ?あの子が死んでたら、私、あんたの所に化けて出ようと思ったんだから!』

「ナオが死ぬのは困るが、イリアが出てきてくれるなら、そんな嬉しいことはないな」


腕にぎゅっと力を入れてイリアを抱き締める。


『・・・・・・バカ』


彼女も、同じように抱き締め返してくれた。


『私ね、ちゃんと、約束守ったよ。この目、あれ以上他のやつには見せなかったから。死ぬぎりぎりまで、ううん、死んでからも、グエンだけのものだよ』

「聞いたよ。目を突くなんて・・・痛かったろうに」


体を少し離し、イリアの瞼をそっと撫でる。

その指は、年数を重ねて固くしわがれたそれではなく、まだ苦労と言うものをほとんど知らなかった頃の指であった。


『あれくらい痛くないよ。あんな奴らの好きなようにさせておく方が、私には痛かった。頑張ったでしょ?私』


えへん、と得意げに言うイリアの髪を、くしゃりと撫でる。


「イリア、ずっと言えなかったことがあるんだ」

『なに?』

「・・・愛してる。これからは、ずっと一緒にいよう」


黄昏の目が一瞬、大きく見開かれた。

頬が徐々に赤くなると同時に、イリアは少し悲しそうな困ったような表情を浮かべる。


『・・・いいの?まだ・・・』


グエンは唇でイリアのそれをふさいだ。

優しく、触れるキス。


「もう、十分生きたよ。それに、後のことは、あの子たちが自分で切り拓くことだ」


そうして、もう一度唇を重ねると、2人の体は光に包まれた。

光は細かく分散し、徐々に消えていく。

後には静かな夜の闇だけが残っていた。

あああああ・・・。

作者は悲恋が苦手です。

悲しい思いは、現実だけで十分でしょ?←何があった!(笑)

グエンとイリアの分は、ザントとナオに幸せになってもらうとして。

・・・でもやっぱり、生きてるうちに幸せになってほしかったなぁ・・・

ごめんね、グエン、イリア。

損な役回りで・・・。


これにて、『その目に映すもの』完結です。

初めての異世界ものでしたが・・・

あれですね。

きちんと世界観作ってから書き始めろって、執筆中に何度自分に突っ込んだことか・・・。

なんでもありだわ、だって異世界だもの。

なんでもありな分、自分が作る世界は、何があって何がないのか、ちゃんと決めておくべきだったなーと思いながらも、ごまかして書ききってしまいました。

次回は、ちゃんと頑張りたいところです。

でも次は、現実かな?


また読んでいただけたら嬉しいです。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

ブクマ・評価いただき、ありがとうございました!!!

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