第8話 セリムの川と、暗闘の中
夜を待った。
宿の食堂でエリカが魚の煮付けを頼んだ。俺も同じものを頼んだ。
「美味しいですよ、これ」
「そうですか」
「食べてますか、ちゃんと」
「食べています」
「……レンって、食事中もあまり喋らないですね」
「食べるときは食べることに集中していました、前世では」
「前世」とエリカが繰り返した。今日で何度目かだ。「そういえば、約束してくれましたよね。いつか話してくれるって」
「しました」
「いつかって、いつですか」
「……まだ準備ができていません」
「準備?」
「証明できるものが手元にない。信じてもらえないかもしれない」
エリカが箸を置いた。
「信じますよ」
「そう言ってもらえると助かりますが、信じてもらえるかどうか、俺には判断できません」
「じゃあ試しに話してみたらどうですか。ちょっとだけ」
「ちょっとだけ」
「今日じゃなくていいです。でも——ダスクサーペントを倒したら、帰りの道中で少しだけ」
俺は川の方角を見た。夜の川は暗い。
「……分かりました」
「約束ですよ」
エリカがまた箸を取った。
約束を守れるかどうか、俺には確信が持てなかった。だが、言った。
* * *
日が落ちると、案内役の冒険者ガイルが迎えに来た。
「出る準備ができました。松明を十本用意しています」
「強い光源が多いほど有利です」
「なぜですか」
「暗視特化の変異体なら、強い光が苦手なはずです」
ガイルが松明を分担した。俺とエリカとガイルを含む六人で川沿いに向かった。
夜の川は静かだった。水面は黒く光を反射している。
俺は岸に立ち、暗い水面を見た。
昼間に確認した「底の揺れ」——今もあるはずだ。水面を見る。わずかに波紋が広がっている。光源のない、波のない場所に。
「いる」と俺は言った。「動き始めています」
「どこですか」と後ろのガイルが言った。
「真ん中より左側。十メートルほど先」
「見えるんですか」
「水面の波紋の動き方が不自然です。何かが水中を動いている」
エリカが松明を掲げた。揺れる光が水面を照らした。
「あれ」と彼女が言った。
水面に、長いシルエットが浮かんできた。
体長は十メートル以上。蛇に近い形状で、ゆっくりと水面を移動している。旧種のサンダーイールと骨格が同じ——電撃器官があった首の後ろが、わずかに膨らんでいる。
「首の後ろ」と俺は言った。「変色している部分——そこが電気器官の痕跡です。変異して音響化しているはずです」
「どうやって確認しますか」
「鈴を鳴らします。持っていますか」
「……荷物の中に」とガイルが言った。「魔物除けの鈴が」
「貸してください」
小さな鈴を受け取り、鳴らした。
ダスクサーペントの首が向いた。
俺の方に、正確に。
「音に反応した。首の後ろの器官が音を感知しています。そこが弱点です」
「どうやって攻撃しますか。あの首に届く距離まで近づくのは」
「誘き寄せます。光で」
俺は松明を高く掲げた。ダスクサーペントがゆっくりこちらに向かってくる。
「暗視特化なら強い光は不快なはずです。でも音の方向と光の方向が一致すれば、混乱する。エリカ、松明を持って右に動いてください。俺は鈴を鳴らして正面に留まります」
「分かりました」
エリカが右に移動した。ダスクサーペントの首が揺れた——光の方向と音の方向が別になった。生物としての本能が揺らぐ。
「今です!」
ガイルが動いた。岸に近い部分まで来ていた首の後ろに、長い槍を突き込んだ。
低い音がした。水中に響く、鈍い振動。
ダスクサーペントの体が激しく揺れた。波が立った。が、動きが鈍い。
「もう一度、同じ場所に!」
ガイルが槍を抜いて再び突き込んだ。
今度は音がしなかった。動きが止まった。
水面が揺れ続け、やがて静かになった。
* * *
死体を岸に引き上げるのに、六人がかりで小一時間かかった。
体長十二メートル。重さは相当なものだ。
俺は首の後ろを確認した。電気器官の痕跡部位——音響器官に変異していた。周囲の組織と違う、細かい網目状の構造が見える。
「弱点の構造、確認できました」
「これで次に出たときも対応できますね」とガイルが言った。
「首の後ろの変色部分を狙えば通ります。ただし、鈴で気を引いてから——直接近づくと音で位置を把握される可能性があります」
「了解です」
俺は解体を始めた。
体が大きい分、素材量が多い。皮が防水素材として使える。骨が構造材に使える。音響器官は——初めて見る素材だ。記録帳に照合する必要がある。可能性としては、音響増幅装置に使えるかもしれない。
「全部取り出すのは明日の朝まで続きます」
「手伝います」とエリカが言った。
「睡眠は取った方がいい」
「レンは取らないんですか」
「俺は慣れています」
「前世から?」
俺は手を止めた。
「前世から」と答えた。
エリカが何も言わずに隣に膝をついた。
「教えてもらいます、解体の仕方」
「……今からですか」
「今ここで一番役に立てることをします。それが解体の手伝いなら」
前世で、こういう人間はいなかった。隣に来てくれる人間が。
「骨と皮の境界を見てください。刃をここに入れます——」
俺は教えた。川の音が、夜に静かに聞こえていた。
* * *
翌朝、解体が終わった。
素材を全て記録して、ギルドへの持ち帰り分を荷造りした。
「ありがとうございます」とガイルが言った。「一年間、手が付けられなかったものが、一晩で片付きました」
「片付いただけではありません。素材になります。廃棄しないでください」
「はい、全部持っていきます」
俺とエリカはダルムへの帰路についた。
馬に乗って南向きの道を進みながら、エリカが言った。
「ダスクサーペント、倒しましたね」
「倒しました」
「約束、覚えていますか」
俺は少し黙った。
「……覚えています」
「どこから話してくれますか」
前世の話。転生の話。千年前と千年後の話。
どこから話せばいいのか分からなかった。だが、エリカは聞くと言った。信じると言った。
「……俺の前世の職業は、解体師です」
「それは聞いています」
「千年前の。この世界の、大狩猟時代の」
エリカが馬の速度を落とした。俺の方を見た。
「……続きを聞かせてください」
風が草地を渡った。
俺は話し始めた。
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