第2話 解体師には、やることがある
スチールアッシュの死体は、まだそこにあった。
東門外の草地、昨日の位置から動いていない。夜明けの光が灰色の鱗を照らしていた。体長二メートルの重装甲は、地面に横たわったままでも威圧感がある。
俺は道具袋を肩から下ろした。
解体用の刃物が五本。骨用の鋸が一本。内臓を受ける皮袋が三つ。乾燥防止の塩が小瓶に二本。
前世から持ち越した習慣で、道具の状態を一つずつ確認する。刃の欠けはないか。鋸の歯は。皮袋に穴はないか。
「おはようございます」
エリカが来た。昨日と同じ革鎧で、剣を腰に下げている。背後に昨日のパーティの冒険者が二人ついてきていた。
「見ていてもいいですか。どうやって解体するのか、知りたくて」
「構いません」
俺は死体の前に膝をついた。
* * *
まず外観の確認から始める。
「全体を見る。どこに何があるかを頭に入れてから、刃を入れる」
声に出したのは、クルトに教えるときの癖だ。今は誰もいないが、染みついている。
スチールアッシュの体表を手のひらで撫でた。硬質鱗と軟質鱗の境界を指先で確認する。境界は体の構造に沿って走っている——腹部、四肢の付け根、首の下、尾の付け根。
「鱗には二種類ある。硬質と軟質です」
エリカが近づいてくる。
「触ってみてください。ここが硬質——」俺は背中の中央部を示す。「——ここが軟質」腹部の内側を示す。
エリカが指先で両方を触った。
「本当だ。全然違う」
「硬質鱗は武具の素材になります。軟質鱗は加工して防具の内張りに。それぞれ用途が分かれます」
俺は腹部から刃を入れた。軟質鱗の継ぎ目に沿って、一本の線を引く。前世では百回以上やった動作だ。手が覚えている。
「腹部から開くのが基本です。内臓を傷つけないように——」
丁寧に切り開く。体腔が露わになった。
「においは?」とエリカが聞いた。
「これはまだ穏やかな方です。アシッドスライムを開けると、もっとひどい。慣れます」
「解体師って、大変な仕事ですね」
「慣れれば何ということもない」
前世でも同じことを思っていた。慣れてしまえば、もう見下す気も起きないほどに、俺は自分の仕事が当たり前になっていた。
* * *
消化液腺は胃の後ろにある。
アイアンウルフの時より一回り大きい。変異で消化器官が発達したらしい。前世の記憶と照らし合わせながら、慎重に周囲の組織から切り離す。
「この器官です」
俺は皮袋に慎重に納めた。
「消化液腺から精製した液体は、金属を溶かします。鱗の加工工具が刃を立てられない素材でも、液体をかければ溶解できる。旧種のアイアンウルフから採れたものと同じ性質のはずです」
「……試したことあるんですか」
「以前、別の場所で採れたものを使いました」
嘘ではない。前世の記憶の中でのことだが。
次は腱の取り出しだ。四肢の主要な腱を切り出して、皮袋の外側に並べる。
「腱は乾燥させると弓弦の素材になります。旧種のものより伸縮性が増しているかもしれない。後でヴィン老人の工房に持っていって確かめます」
「ヴィン老人?」
「王都の素材師です。まだ会っていませんが——記録帳に名前が出てきた」
言ってから気づいた。記録帳はまだほとんど読んでいない。前世の記憶の中での話だ。
「……別の本に書いてあったかもしれません」
エリカが少し首を傾けたが、深くは聞かなかった。
* * *
一時間ほどかけて内臓の各器官を取り出し終えた。
消化液腺、腱、肺組織(魔力吸収素材になる可能性がある)、心臓(強化食品の原料)、眼球(視覚補助薬の材料)。
全部を皮袋に分けて並べると、地面に十以上の袋が並んだ。
「こんなに使えるものがあったんですか」とエリカが言った。
「もちろんです。死体を全部焼いていたのか」
「ギルドの規定で、未確認の新種は焼却処分です。どこに毒があるか分からないから」
「……」
前世では考えられなかった。どんな魔物でも、俺は解体した。「分からなければ解体して調べる」が基本だった。
「毒の有無は解体すれば分かります。分からないから焼くのは、俺には理解できない」
「でも危ないから」
「危なくない方法で解体する技術が、解体師の仕事です」
エリカが黙った。
俺は鱗を外す作業に入った。硬質鱗と軟質鱗を一枚ずつ外して、種別ごとに袋に入れていく。単純作業だが、一枚ずつ丁寧にやらないと素材が傷む。
前世でも、この作業が一番時間がかかった。一番報われなかった作業でもある。
「解体師って、こんなにすごかったんですか」
エリカが小さな声で言った。
「すごい、とは?」
「こんなに多くのことを知っていて、こんなに丁寧に仕事をして」
俺は手を止めなかった。
「知っている人間が、誰もいなかっただけです。俺がすごいのではなく、千年間——誰も引き継がなかっただけです」
エリカは何も言わなかった。
俺は鱗を外し続けた。
* * *
三時間後、解体が終わった。
死体は骨格と皮だけになっていた。骨格は——前世では廃棄したが、今は調査用に持ち帰る価値がある。「新種の骨格標本」として文書館に保管できるはずだ。
地面に並んだ素材の袋を数えると、十六個あった。
「全部で何に使えるんですか」とエリカが聞いた。
俺は一つずつ指差した。
「消化液腺——金属溶解剤。腱——弓弦素材。肺組織——魔力吸収材。心臓——強化食品原料。眼球——視覚補助薬。硬質鱗——武具外装。軟質鱗——防具内張り。爪——刃物素材候補。尾の骨——装飾素材。皮——鞄や外套の材料。胆嚢液——染料原料。脾臓——消炎薬の素材……」
数えると十六種類あった。
「昨日まで焼いていたものが」とエリカが言った。
「全部捨てていた。もったいない」
俺は立ち上がった。
「素材を無駄にするな、命を無駄にするな——」
声に出してしまった。
エリカが振り返る。
「今、何か言いましたか」
「……口癖です。昔から」
前世のルドから引き継いだ口癖だ。いや、俺がルドで、ルドが俺だから——引き継いだというより、そのままだ。
* * *
素材を担いでギルドに戻ると、受付の係員が目を丸くした。
「それ全部……スチールアッシュの?」
「はい。使い道がある素材だけ持ってきました。骨格は調査用に別便で運びます」
係員が絶句している間に、ガルダが奥から出てきた。
「うまくいきましたか」
「全十六種類。ヴィン老人に確認してもらいたいものがいくつかあります」
「ヴィン老人? 王都の素材師ですか。接触があるんですか」
「まだですが、記録帳に——」
また言いかけた。止める。
「近々、会えると思っています」
ガルダが少し考える顔をした。が、何も言わなかった。
受付に素材の袋を並べて、一覧を書き出す作業を始めた。そのとき、袋の一つを開けながら、俺は手を止めた。
「……これは」
心臓の隣から採れた小さな袋だ。中に、直径一センチほどの透明な結晶がある。
「何ですか?」エリカが覗き込んだ。
「アイアンウルフには、なかった」
前世の解体図を頭の中で広げる。心臓の位置、周囲の器官の配置——アイアンウルフの解体図には、この結晶に相当する構造がない。
変異で生まれた新器官か。あるいは——
「何か気になることでも?」とガルダが聞いた。
「旧種にはなかった構造です。詳しく調べる必要があります」
俺は結晶を光に透かした。中心に何か、微細な文様のようなものが見える。
見覚えがある気がした。だが前世の記憶のどこにも、これと同じものは——
ドアが開いた。
受付の係員が、ギルド長室から出てきた男の後ろから顔を出した。
「ええと、レンさん? ギルド長が呼んでおられます」
俺は結晶を袋に戻した。
「分かりました」
あとで、もっとよく見よう。
このとき俺は、この小さな結晶が、全てのことの核心に繋がるとは思っていなかった。
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