第1話 俺の前世の職業は、解体師だ
俺の前世の職業は、解体師だ。格好のいい話など、何もない。
勇者が魔物を倒し、俺が処理する。英雄が去った後の、血と臓物の残骸を、俺は毎日黙々と片付けた。
報酬は討伐士の十分の一。見下され、礼を言われることもない。ギルドの廊下で討伐士とすれ違えば視線が上から流れてくる。街の子供に職業を聞かれたら「解体師」と答える前に笑われた。
それでも俺——ルドは二十年以上、この仕事を続けた。
なぜか。
知っていたからだ。
この素材が何になるかを。この内臓が何の薬になるかを。この骨が、この腱が、この鱗が、この世界でただ一人、俺だけが知っていた。
アイアンウルフの第三関節。鎧のように固い外鱗の継ぎ目、その裏側に三センチほどの軟質鱗がある。ここだけが柔らかい。討伐士たちは全身に剣を叩きつけて疲弊するが、俺はその場所を一目で見抜けた。
「また解体師か。ご苦労さん」
銅貨が三枚、地面に落ちた。投げたのは、たった今アイアンウルフを仕留めた討伐士だ。俺はそれを拾い、黙って礼を言った。
銅貨を受け取ったのが、最後の記憶だ。
その日の帰り、処理場で別の冒険者が持ち込んだ魔物が暴走した。俺は爪に貫かれ、倒れた。地面に広がる赤を遠くに見ながら、俺は何を思ったのか。
あのアイアンウルフの封印核を、記録帳に書き残せたか。
それだけだった。
次に気づいたとき、声が聞こえた。
「貴方の記録は、千年後に必要とされます」
女の声だった。俺は死んでいるはずなのに、その声だけがやけに鮮明だった。
「千年後?」
「そうです。貴方自身が、届けに行くのです」
* * *
目が覚めると、知らない天井があった。
体が小さい。手を見ると子供の手だ。頭の中を探ると——記憶があった。前世の、ルドとしての二十年が、丸ごと。
「レン、起きた?」
扉を開けたのは、この体の母親だった。俺の名前はレン。辺境の街ダルムで生まれた、普通の少年。前世の名残で職業を聞かれたときだけ一瞬黙る癖がある以外は、ごく平凡な子供として十五年を過ごした。
ギルドで鑑定を受けたとき、係員が首を傾げた。
「スキル……なし? おかしいな、記録されていない」
俺は「そうですか」と答えた。前世の記憶が全スキルに相当するが、それはギルドの鑑定で測れるものではない。
* * *
問題が起きたのは、ギルドに登録して三日目だった。
武器屋の前を通ったとき、店主と冒険者が言い合っている声が聞こえた。
「だから、スチールアッシュの鱗は加工できないと言っているんだ。どんな工具も通らない」
「ならその死体はどうするんですか」
「焼却だ。使い道がない」
俺は足を止めた。
スチールアッシュ。
聞いたことのない名前だが、「灰色で重装甲の四足歩行の魔物」という会話の断片から、輪郭が浮かぶ。アイアンウルフに近い体型だ。旧種の変異体か——いや、正確には。
「もったいない」
呟きが漏れた。店主が振り返る。
「あん?」
「いえ」
俺は歩き続けた。頭の中でアイアンウルフの解体図が展開される。第三関節の軟質鱗の位置。消化液腺の場所。腱の乾燥加工の手順。
もし変異体なら、構造は近いはずだ。
ギルドの前を通ると、傷ついた冒険者たちが戻ってくるところだった。
「また返り討ちか」
「五人で囲んでも鱗が砕けなかった。あいつら、弱点がどこにあるんだ」
「焼けばいい。素材なんて期待するな」
死体が引きずられていく。灰色の重装甲。体長は二メートルほど。四肢の関節が六つ。
俺はその関節を数えた。第三関節を探す。
「あった」
声に出てしまった。
「何が?」
エリカという名の冒険者が俺を見ていた。Dランクの、まだ少し幼い顔をした女冒険者だ。
「……なんでもない」
「なんでもなくないでしょ。何か見えたんですか、あの死体に」
俺は少し考えた。
「あなたは、次にスチールアッシュと戦いますか」
「戦いますよ。戦わなきゃギルドに借金が増えるだけだし」
「なら、一つだけ覚えておいてください」
エリカが目を細める。
「第三関節の裏です。あの鱗の継ぎ目、その裏側だけが軟らかい。そこだけを狙えば剣が通ります」
「……なんで知ってるんですか」
「本で読みました」
それは嘘だ。前世の記憶だ。だが他に言いようがない。
エリカは俺の顔を見た。信じるか信じないかを計っている顔だった。
「確かめる方法は?」
「あの死体の第三関節を触ってみてください。鱗の継ぎ目の裏側だけ、他と感触が違うはずです」
エリカが死体に近寄る。手を伸ばして、鱗を撫でる。継ぎ目を探して、裏側を押す。
「……本当だ」
小さな声だった。
「軟らかい。ここだけ」
* * *
翌朝、スチールアッシュが現れた。
ダルムの東門の外、三百メートルの草地だ。俺はエリカに呼ばれて来た。
「一緒に来てほしいと言ったら来てくれると思って」
「なぜ俺を」
「昨日の情報が本当かどうか確かめたい。あなたに見ていてほしい」
冒険者が六人いた。エリカを含む混成パーティだ。うち三人は昨日返り討ちにあったメンバーらしく、包帯を巻いている。
スチールアッシュは草地の中央にいた。
体長二メートル。灰色の鱗が全身を覆い、朝の光を鈍く反射している。目が細く、警戒心が強い。前世のアイアンウルフに比べて体型がやや細い。適応の結果だろう。
「やっぱり似てる」
俺は声に出さずに言った。封印期を経て変異した体型。だが骨格の基本は同じはずだ。
「行きます!」
エリカが先行した。スチールアッシュが向き直り、前足を踏み出す。
剣が鱗に弾かれる音が続く。横から槍が入るが、やはり弾かれる。二人が吹き飛ばされた。
「第三関節! 右の後ろ足の第三関節だ!」
俺は叫んだ。
「裏を狙え! 鱗の継ぎ目の内側、指一本分!」
エリカが振り返る。一瞬だけ、目が合う。
彼女は走った。スチールアッシュの側面を駆け抜け、右の後ろ足に回り込む。
剣を逆手に持ち替え、継ぎ目に差し込む。
鱗が割れる、乾いた音がした。
スチールアッシュが膝をついた。
全員が止まった。
エリカの剣が第三関節の軟質部を貫いていた。神経が断たれたのか、後ろ足が動かない。そのまま横倒しになる。
誰も声を出さなかった。
「……嘘だろ」
後ろの冒険者が呟いた。
「本当に通った。あそこだけ、剣が通った」
エリカが俺を見た。
「どういうことですか」
「変異してもアイアンウルフと骨格が同じだった。旧種なら第三関節の裏が弱点です。推測ですが」
「推測で教えたんですか」
「確率が高いと判断しました」
エリカがしばらく俺を見た。それから、死体を見た。また俺を見た。
「……ありがとう」
礼を言われた。
俺はうまく返事ができなかった。
前世のルドとして生きた二十年間、一度も言われなかった言葉だった。銅貨を地面に投げられた日々、視線を上から流された日々、「解体師」という単語だけで笑われた日々。あの積み重ねを知っているのは、俺だけだ。
ここには誰もいない。ルドを知る者は千年前に死んでいる。
それでも、何かが——報われた気がした。
「素材も使えますよ。焼却しないでください」
声が、少しかすれた。
「消化液腺から精製した液体は、金属溶解に使えます。腱を乾燥させると弓弦の素材になる。鱗は軟質部と硬質部で用途が分かれます。全部記録しておくので、今後の参考にしてください」
誰も何も言わなかった。
俺は死体の前に膝をついた。解体師として、最後の仕事をするように、丁寧に各部位を確認し始めた。
* * *
「少し、話せますか」
解体を終えて立ち上がったとき、声をかけてきた男がいた。
四十代、がっしりした体格。冒険者ではない。腰に武器がない代わりに、胸ポケットに分厚いメモ帳を差している。
「ガルダといいます。ギルドの調査員です。大消失以前の記録を調べています」
俺は男の顔を見た。
「その知識は、どこで得ましたか」
「本で読みました」
ガルダは少し黙った。
「嘘をつかなくていい」
静かな声だった。
「千年前の解体記録は、ほぼ全て焼失しています。国立文書館に断片が残るのみです。あなたが今示した知識——弱点の位置、素材の活用法——それは現存する文書のどこにも記載がない」
俺は答えなかった。
「話してもらえるなら、ギルドは守ります」
ガルダが一歩近づく。
「今、その知識は……国家が喉から手を出すほど欲しているものです」
風が草地を渡った。
俺は死体を——スチールアッシュを——もう一度見た。
前世では、処理が終わって礼を言われたことはなかった。銅貨を地面に投げられた。名前を覚えられたこともなかった。
千年後の世界で、俺は初めて礼を言われた。
そして今、初めて「必要とされている」と言われた。
「……一つだけ、確認させてください」
俺はガルダを見た。
「国立文書館に、大消失以前の解体記録が残っているとおっしゃいましたね。それは——どのような形で?」
ガルダが目を細める。
「手書きの帳面です。何百冊もあったとされますが、残っているのはほんの一部だけ。それも大半が判読不能で」
「著者は」
「記録されていません。ただ」
ガルダが少し間を置いた。
「表紙の裏に、必ず同じ一文が書かれているそうです」
俺の心臓が、跳ねた。
「素材を無駄にするな。命を無駄にするな。——と」
前世の俺の、口癖だった。
「……見せてもらえますか」
俺は言った。
「その帳面を」
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