4 ……俺に、教えるって?
誤字や不自然な表現などがありましたら、教えていただけると助かります。
レミナは机の下で手を握りしめ、爪がそっと手のひらに食い込む。
――決めた。 やる。
彼女はゆっくりと顔を上げ、アルタイルの方へ向き直る。
少年は退屈そうにペンを回しながら、どこでもない空間をぼんやり見ていた。
さっきの「5点」なんて、まるでどうでもいいみたいに。
「……アルタイルくん、この数学のテスト問題――」
彼女の声はとても小さく、少しだけ緊張が混じっている。
それでも、静かな教室でははっきりと届いた。
アルタイルの手が止まる。
怪訝そうに振り向いたその目には、いつもの苛立ちに加えて、あからさまな疑問が浮かんでいた。
口を開きかけた、その瞬間――
「おおっ!?」
後ろの席から、やけに大げさな声が飛んできた。
ゼロスが身を乗り出し、わざとらしく窓の外を見上げる。
「見ろよ……“勉強の鬼”が自分から話しかけてるぞ。
今日、太陽西から昇ってんじゃね?」
レミナは一瞬だけ固まった。
つられて、窓の外を見る。
――紺色の空。
……夜なのに。
「太陽、出てないのに。どうやってわかるの?」
「……」
ゼロスが言葉に詰まる。
後ろから、くぐもった笑い声が漏れた。
レミナは気にせず、もう一度アルタイルを見る。
ゼロスが必死に笑いをこらえる声を無視し、真剣にさっきの言葉を繰り返し、完成させた。
今度は逃げない。
「この数学のテスト問題……私が教えてあげる」
まっすぐ、そう言い切った。
アルタイルは、あからさまに目を見開いた。
眉がわずかに上がる。
まるで、意味のわからないことを聞かされたみたいな顔。
「……俺に、教えるって?」
彼は自分を指さして、次に、あの「5点」の答案用紙を指す。
信じていない声だった。
「うん」
レミナの視線はその答案用紙に落ちたまま、言葉を探すように、少しだけ間を置く。
「その……点数、ちょっと……よくないみたいだから」
言いかけて、止めた。
「悪い」とは、言わなかった。
――直接すぎる。
たぶん、アルタイルくんを傷つける。
さっきから頭の中に引っかかっている、曖昧な基準。
“そういうのはよくない”という感覚に、なんとなく従う。
アルタイルは、レミナの視線を追った。
自分の答案用紙へ、目を落とす。
もう一度、見直す。
正解は、たった一問。
「……5点、か」
口元がわずかに引きつる。
ちょっとよくない、どころか。
思わず、笑いそうになる。
――いや。
「クソみたいな点数」って言わないあたり、あいつなりに気ぃ使ってんのか。
そんなことをぼんやり思った。
でもいい子だから、そんな言葉使いはしないか?
彼の相席、彼と会ったことをすっかり忘れていた相席。
この半年、まともに言葉を交わした回数なんて、両手で足りるくらいだ。
最近じゃ、ほとんど“いないもの”みたいに扱っていた。
この優等生が自分からかけてきた、最初のまともな一言が――
「教えてあげる」?
思わず、眉がわずかに動く。
突拍子もない、なのに妙に引っかかる。
――面白い。
どこまでやる気なのか、見てやろう。
「……いいぜ」
アルタイルはペンを机に放り、背もたれに体を預けた。
「やってみろよ」
レミナは小さくはっと息を吐く、すぐに動いた。
椅子をわずかに寄せる。
計算用紙を取り出し、彼の答案用紙を引き寄せる。
間違っている問題から、順番に。
……というのは、1から順番に。
迷いなく、説明を始めた。
彼女の声は落ち着いていて、無駄がない。
必要なところだけを丁寧に拾っていく。
ときどきペン先で、問題の条件を示す。
その横顔は灯りの下でやわらかく、真剣だった。
アルタイルは、最初こそ軽い気まぐれだった。
けれどその様子を見ているうちに、いつの間にか、視線が止まる。
彼女の動く唇、わずかに震れるまつげ。
気づけば、そこばかりを追っていた。
「教える側がちゃんと教えてて、聞く側もちゃんと聞いてる」
そんな当たり前みたいで当たり前じゃない光景があっという間に、教室の注目をさらった。
「あらま……レミナがアルタイルくんに教えてるんだけど!?」
「ほんと? あの人に絡みに行くとか、勇気ありすぎだね。机蹴られないか心配なんだけど」
「ていうかさ……あいつ、ちゃんと聞いてるぞ。寝てもないし、キレてもない!」
ひそひそ声があちこちから漏れる。
驚きと好奇心が隠しきれていない。
シエラはそのざわめきを聞きながら、こっそりと指先に力を込めた。
爪が手のひらに食い込む。
それでも、顔には変わらずやわらかな笑みを浮かべる。
「だから言ったでしょ? アルタイルって、ほんとは優しいんだよ」
「それ、シエラちゃんにだけでしょ!」
すぐに別の声が返る。
「あなただから許されてるだけだって。他の人がやったら絶対アウトでしょ」
「ね、もしかしてさ、シエラちゃんの顔立ててるだけで、レミナにはちょっとだけ付き合ってあげてるとか?」
「えー、それだったらさ。アルタイルくん、シエラちゃんのために我慢してるってことじゃん。なんかそれ、普通に恋じゃない?」
「ちょ、やめてよ……そんなの、違うって……恥ずかしいよ」
シエラは照れたように笑って、視線を落とす。
頬に、ちょうどいい赤みが差す。
けれど伏せられたその奥で、一瞬だけ、固く冷えた色がすっと走った。
自分の領域に、踏み込まれたような。そんな不快感が静かに滲んでいた。
一方で、男子数人はそのやり取りを聞いて、顔を見合わせた。
同時に、呆れたように眉を上げて、小さく笑う。
「アルタイルがそんなタイプかよ」
「女の子のために我慢? ねーだろ……」
「いや、でもさ。これはそれだけの話じゃなさそうじゃね?」
ざっくりとした違和感がどこかに引っかかっている。
「まぁ……恋っぽく見えなくもないけどな。相手、違う気しかしねーけど」
ゼロスは顎に手を当てたまま、前席を眺めていた。
今にも触れそうな距離にある、二つの頭。
その様子を見つめる目には、これから何かが起きるとでも言いたげな、妙な期待が滲んでいる。
教室の灯りの下。
少年と少女の影が長く伸びて、わずかに重なった。
――5点の答案から始まった、小さな変化。
不器用で、ぎこちないそれが。
静かに、動き出そうとしていた。
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