30 最後の告白……私、死ぬよ
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レミナは静かに彼を見ていた。
あまりにも落ち着いたその目は、彼の言いかけて飲み込んだ言葉まで、全部わかっているみたいだった。
口元にはあの柔らかな笑みがまるでただの世間話でもするみたいに。
「アルタイル、ほんと、バカだね。わざわざ来なくてもよかったのに」
軽い調子だった。ただ――
「私、死ぬよ」
アルタイルの表情が固まった。
次の瞬間、理解を拒むみたいに。
「……は? 違う……そんなわけないだろ……!」
ほとんど反射だった。
「ふざけんなよ……そんなの、あるわけ――」
「アルタイル」
同じ声のままで遮る。
静かで、軽くて。
「私、死ぬの」
言い直す。
その響きだけがやけに現実だった。
「前に入院したとき、わかったの。心臓の病気」
言葉を飾らない。
やさしくもない。
ただ事実だけを並べる。
「医者、言ってた。……あと、数日だって」
アルタイルの中で、何かが止まる。
音が消える。
時間も、感覚も、その代わりに、押し寄せてくる。
――キスのあと、やけに荒かった、彼女の呼吸。
――何度も、胸に手を当てていた仕草。
――走るのを嫌がったときの、あの一瞬の顔。
かすかな恐怖。
それでも、笑ってごまかして。
「もっとあなたとゆっくり歩きたいな」って言った声。
――未来の話をしたとき、ふっと黙り込んだ理由。
全部。
全部繋がる。
遅すぎるくらいに、鋭く容赦なく頭の中に、突き刺さってくる。
一つ一つ。
思い当たるすべてが彼女の体が上げていた、無言の悲鳴だった。
それなのに、彼は一度も気づけなかった。
後悔が一気に押し寄せる。
ようやくわかった。
彼女が何度も距離を取った理由と、あの「冷たい」別れ方、全部自分を遠ざけるためだった。
終わりまでの時間が決まっている中で、巻き込まないために。
守るために。
あんなやり方で。
「……っ」
視界が歪む。こめかみが痛い。
何も考えられない、何も言えない。
言葉なんてこの場では何の意味も持たない。
「アルタイル、こんなこと言うの、ずるいけど、
……嬉しいよ。来てくれて」
それだけで、十分だった。
もう耐えられなかった。
アルタイルは手を伸ばす。
そっと布団の外に出ていた彼女の手に触れる。
冷たく軽い、あまりにも頼りなくて、力を入れたら壊れてしまいそうで。
握ることすら、怖い。
それでも離せなかった。
ゆっくりと額をその手に押し当てる。
彼女の匂いがし、けれどどこか違う。
薬の匂いが混ざっている。
それが現実だった。
押さえていたものが全部あふれ出す。
涙が止まらなく、彼女の手の上に落ちる。
肩が震え、息が乱れ、もう取り繕えない。
「……レミナ……」
声にならない。
かすれて、崩れて。
「……ひどいよ……」
――どうして、一人で抱えたのか。
――どうして、あんなやり方で突き放したのか。
――どうして、今まで何も言わなかったのか。
彼を遠ざけようとした、その優しさが――
あまりにも、残酷だった。
レミナの手がゆっくりと持ち上がる。
アルタイルの黒髪の上に、そっと落ちた。
震えている頭をなぞる。
指先がするりと髪をすり抜けていく。
「……アルタイル、私ね……わがままだったの。
もうすぐ死ぬって、わかってたのに……それでも、離したくなかった」
レミナは薬の匂いが混ざった空気を細く吸い込む。
視線は天井へ。
焦点の合わないまま、漂う。
「本当は……誰にも言わずに、消えるつもりだった。
嫌われて、そのまま忘れてもらうほうがいいって……そう思ってた」
指先がわずかに震える。
口元がかすかに歪む、笑っているのに、苦い。
「でも……無理だった。
思ってたより、私は全然強くなかった。
少しずつ、なくなっていくのがわかって……怖くて……
一人で……消えるのが……」
ゆっくりと、彼女の視線が戻る。
アルタイルをまっすぐ見る。
その目にあるのは消えきらない感情。
「あなたは……一度も、私を捨てなかった人よ」
そこで、息が詰まる。涙がにじむ。
「……だから、やめたの。
止めなかった。 あなたが来るの。 ごめん……わがままだよね。
最後くらい……」
静かに願うみたいに。
「……一緒に、いてほしかった。……いい?」
「うん! ごめん、ごめん……来るのが遅くて、俺はバカだ……」
アルタイルはこらえていた涙がこぼれた。
「……いいえ、ごめんで言ったら、私よ」
レミナが息を詰まらせながら、それでも続ける。
「私に出会って……ついてなかったね。
あなたの人生……ぐちゃぐちゃにしちゃった、ごめんね」
アルタイルは首を振ったまま、涙を止められなかった。
「そんなことないよ……レミナ……レミナ……」
窓の外へ灰色の空だ。
「……アルタイル」
レミナの声に、少しだけ光が混じる。
「Y国の大学……きれいだったよ。
写真で見た……レンガの校舎と、芝生……」
息が浅くなる。
指先がアルタイルの手の中でかすかに縮こまる。
「……嫌だな。
……悔しいよ、私……まだ十八なのに」
小さく、ぽつりと落ちる。
「せっかく……あなたに出会たのに、どうして……
どうして、私が……死ななきゃいけないの……」
答えは、どこにもない。
そのまま、空気に溶けていく。
焦点が少しずつぼやける。
それでも――
もう一度だけ、アルタイルを見る。
やわらかく。
「……アルタイル、もう……あなたよりいい人には会えない」
ゆっくりと、まぶたが落ちていく。
「……ありがとう、私のこと、好きでいてくれて、
……会えて、よかった……」
視線が最後にもう一度だけ合う。
深く、刻みつけるみたいに彼を見る。
そして、静かに目を閉じた。
ベッドの脇で、アルタイルは崩れ落ちていた。
膝をついたまま、彼女の手を両手で包む。
その手を頬に押し当てる。
静まり返った病室。
規則正しい機械音だけが淡々と続いている。
ピッ、ピッ、と。
変わらないリズム。
そこに混じるのは途切れない嗚咽。
それだけだった。
誰にも届かないまま、ただ、そこに残り続ける。
まるで終わりを告げるための、静かな音みたいに。
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