29 ……ちょっと、ひどい顔?
誤字や不自然な表現などがありましたら、教えていただけると助かります。
Y国の晩秋は湿り気を帯びた重たい寒さに包まれていた。
病室の中は静かで、どこか息苦しいほどに冷えている。
薄暗い光の中、レミナの携帯が小さく震えた。
画面に映っているのは――シエラ。
細くなった指で、ゆっくりと携帯を取る。
「……もしもし」
少しの沈黙、やがて向こうから声が届く。
「……彼、そっち行った」
レミナは窓の外へと視線を向ける。
灰色の空。
どこまでも重く、動かない。
まつげがかすかに揺れた。息のような声が漏れる。
「……そう……ありがとう」
通話の向こうで、シエラが何か言いかける。
「あなた――」
「切るね」
静かに遮る。
かつてのことで責める気もない。
かといって、受け入れることもできない。
通話が切れる。
携帯が手から滑り落ちて、白いシーツの上に沈んだ。
拾わない。
そのまま、動かない。
***
レミナを見つけること自体は難しくなかった。
ただそこにたどり着くまでに、アルタイルはほとんど限界だった。
何度も乗り継いで、探して、走って。
やっと辿り着いたのはY国郊外のホスピスだった。
中に入った瞬間、違和感があった。
消毒液の匂いがきつい。
静かな廊下、足音さえやけに響く。
心臓の音がうるさい。
アルタイルがドアの前で立ち止まる。
一瞬躊躇う。
それでも、手を伸ばして押した。
扉が静かに開く。
その瞬間、頭の中で何かが切れた。
今まで抱えていた怒りも、焦りも、疑いもが全部、途切れで消えた。
ベッドの上にいる、その姿を見た瞬間に。
「……は?」
声が出たのかもわからない。
彼の視界が揺れる。
何かで殴られたみたいに、頭の中が真っ白になる。
思わず一歩下がる。
もう一歩、背中が壁にぶつかる。
その鈍い衝撃で、ようやくわかる。
――夢じゃない。
目の前にあるのは現実だ。
「……レ……」
喉がうまく動かない。
「……レミナ?……か……?」
三ヶ月。
たった、それだけで。
教室で、からかえば少し頬を膨らませて。
小さな林で、不器用にキスをしてきて。
あんなふうに笑っていた、あの子が。
あのときの、あの子が。
――どこにもいない。
目の前にいるのはまるで別人だった。
頬は落ち、手足は細くなりすぎて、骨の形が浮き出ている。
肌は白く血の気がない。
それなのに体は不自然にむくんでいる。
特に脚と手、張りつめた皮膚が鈍く光を返していた。
あまりにも、アンバランスで、現実感がない。
アルタイルは目を逸らせなかった。
触れたらどうなるか考えなくても、わかってしまう。
指で押せば、そのまま戻らない跡が残る。
そんな感触が嫌でも想像できた。
「……っ」
胸が詰まる。
彼女の体にはいくつもの機器が繋がれている。
電極、チューブ、細い管が当たり前みたいに彼女の体に入り込んでいる。
そして酸素マスクは呼吸に合わせて、内側が白く曇る。
すぐに消えて、また曇る。
弱くて不安定なリズムで繰り返す。
アルタイルはその場に立っていられなかった。
壁に手をついて、ずるずると崩れる。
床に座り込む。
両手で頭を抱えた。
指先に力が入る。
爪が食い込む。
痛みで、どうにか自分を繋ぎ止めるみたいに。
――そのとき。
頭の中に声が流れ込んできた。
「アルタイルくん、この数学のテスト問題、私が教えてあげる」
真剣な目。
「私、あなたのIQがこんなに低いって思っても、嫌ってないよ、だから、あなたも――私のEQのこと、嫌わないでよ」
どこかずれた“慰め”。
「アルタイルくんって、やっぱりバカなんだね」
まっすぐな視線。
「私のこと、好きなの?」
からかうような笑み。
「アルタイル、意外と恥ずかしがりなんだね。ちょっと可愛い」
次々に、浮かぶ。
止まらない。
全部――
どれも鮮やかで、同じ人間のものとは思えないくらいに生きていて。
それなのに、もうどこにも戻らない。
胸の奥を何度も何度も抉られる。
思い出がそのまま刃みたいに突き刺さってくる。
逃げ場なんて、どこにもなかった。
アルタイルはぐっと体を丸めた。
やがて、力を使い切ったみたいに、ゆっくりと体を起こす。
病室は静かだった。
機械の電子音だけが一定のリズムで鳴っている。
ピッ、ピッ、と。
画面に走る波形がかろうじて命を示している。
細い管がいくつも繋がれている。
意味なんて、わからない。
わからないけど……
ベッドの上で、レミナのまつげがわずかに震えた。
ゆっくりと、目が開く。
焦点が合う。
アルタイルを捉える。
そして口元が動いて、笑っている。
気づかなければ見逃してしまうくらい、小さくて淡い笑み。
レミナは彼を見たまま、かすれた声で言った。
「……ちょっと、ひどい顔?」
アルタイルは強く首を振る。
涙を振り払うみたいに。
口を開く。
声を出そうとして気づく、喉がまともに動かない。
それでも、絞り出す。
「……全然」
それだけで、精一杯だった。
信じさせるために、笑おうとする。
けれどうまくいかない。
口元が少し歪んだだけで、それはもう笑顔じゃなかった。
泣き出す寸前の、ひどい顔。
「……」
言いたいことは山ほどあった。
元気なのか。
医者は何て言ってるのか。
聞きたい。
全部、聞きたいはずなのに、言えない。
喉の奥で全部止まる。
わかっているからだ。
どの答えもきっと――聞いたら、耐えられない。
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