◆5◆
支度を終え、マルティナが馬の背中を撫でていると、そこにライナスが現れた。自分の乗る馬に荷物を括り付けている彼を見て、ふと昨日のクライヴ卿のことを思い出す。
彼はライナスが旅立つことを知っているのだろうか。そしてその旅の原因が、マルティナであるということを――
「ライナス……やっぱり休んでいた方がいいんじゃないの?」
彼は手を止めてマルティナを見ると、機嫌が悪そうに眉間に皺を刻んだ。
「何度も言わせるな、休息など必要ない。それから……父上の言ったことは気にするな」
ライナスの言葉にどきりと心臓が跳ねた。
「……クライヴ卿がライナスになにか言ったの?」
「いや……その、部屋の前で話していたからな」
ライナスは片手で口元を隠しながら、ばつが悪そうに続ける。どうやら、あの時の会話は全て筒抜けだったらしい。
かあっと頬に熱が集中し、マルティナは思わず俯いた。
まさか、全部聞こえていたなんて……だってライナスは寝ていたと思ったのに。
「父上は騎士団を支配することしか考えてないんだ。俺にどうしても跡を継がせたいらしい。自分の血筋が、クライヴ家の事がよっぽど大事なんだよ。そんなこと頼んでもいないのに――」
「でも、ライナスの身体を心配するのは当然だわ、父親だもの。それに、あなたが騎士団に必要なのは確かだと思う」
オールブライト伯爵やジャスティンからも信頼の厚いライナス以外に、次期騎士団長はいない。マルティナだってそう思っている。
「俺の代わりなんていくらでもいるよ」
「そんなことない! あたしにとって、ライナスの代わりは他にいないわ。もちろんジャスティンにとっても!」
大きな声できっぱり言うと、少しだけ驚いた顔をしたライナスは、ありがとう、と静かに微笑んだ。
「まあ、そうだな。身分なんてどうでもいいが、将来もしも騎士団長という任に就くことができるのなら、それなりに強くならなければならないな。こんな怪我で休んでなんかいられない。俺は今以上に強くなりたい。皆が納得するくらいに……それに」
ライナスが地面の石ころを蹴飛ばしながら、気恥ずかしそうに頭をかいた。
きょろきょろと視線を泳がせ、それからちらりとマルティナを見る。
「――それに、ティナにも認めてもらいたい」
ライナスの強い視線に、マルティナは射すくめられてしまう。彼の強い意志がひしひしと伝わってくる。
「ふふっ、あたしの父様が昔の騎士団長だったからって、あたしに認められなくても大丈夫よ。ライナスは立派な騎士だわ」
そんな真面目なライナスに笑みが零れた。やっぱり、ジャスティンを支え、騎士団を率いることができるのはライナスしかいないのだ。
「あのさ、そういう意味じゃなくて……いや、間違ってはいないが…………クソ、何で伝わらないんだ!」
けれど、ライナスは何故かがっかりした様子で、小さく悪態を付いた。
意味がわからず、マルティナは首を傾げた。
「ライナス、マルティナ。二人とも準備完了だね」
「おい、ジャスティン、お前……」
「なんでそんな格好をしてるのよ?」
現れたジャスティンは旅装束だった。
「変かな?長旅になるだろうから、厚めの外套にしたんだけど」
二人の顔を見てジャスティンはあっけらかんと言う。
「そうじゃないだろう、ジャスティン! まさかついてくる気か?」
「ははっ、嫌だなあ。誰も行かないとは言ってないじゃないか。見てごらんクリスティーヌ、ライナスったら口をぽかんと開けて面白い顔をしているよ」
そう言いながら、ジャスティンは連れていた白馬の首を撫でる。
「考え直せ、ジャスティン!」
「どうして考え直さなきゃいけないんだい? マルティナを独り占めしようったってそうはいかないよ」
「ばっ馬鹿なことを言うな!」
ライナスは色々と説得し始めたけれど、ジャスティンはまったく聞く耳など持たないようだった。
「よお、お三方。準備できたならぼちぼち出発するぞ。これ以上もたもたしてたら太陽が真上にあがっちまう」
地図を手に現れたヴィンセントは、その場にいるジャスティンに驚くこともなく話しかける。
「経路なんだが、まずは北東のデザーリ村に向かおうと思うんだが」
「いいんじゃないかな。あそこなら日が落ちる前に着けるはずだよ」
普通に話す二人に、マルティナとライナスは顔を見合わせた。
「――だって、僕も行くって言ったら二人とも反対するだろう?」
「当たり前だろう! 何を考えてるんだ!」
「そうよジャスティン!」
ライナスとマルティナの様子に、ジャスティンは肩をすくめる。
「ほうらね。だからぎりぎりまで内緒にしてたんだ。大丈夫だよ、父上には許可を取ってあるし、僕だって剣術は得意だよ?」
「……まあ、伯爵様が許可したのなら、あたしはもう何も言わないけど」
それでもマルティナは心配そうな視線をジャスティンに向けた。
そして四頭の馬は北東を目指しオネット村を出発した。
「ジャスティン、どうやってオールブライト伯爵を説得したんだ?」
前を行くマルティナとヴィンセントの背中を視界に入れながら、ライナスは隣のジャスティンに尋ねる。
「簡単さ。魔女の集落に行って、ティナと結婚できるよう取り計らってくると言ったら、あっさり行くことを許してくれたよ」
その言葉にライナスが目を瞠る。それを見て、ジャスティンはくすくすと笑を漏らした。
「本当に結婚なんてするわけないだろう? そんなに驚かないでよ」
「……ジャスティン!」
「ははっ。でもまあ、父上もただの人間だったってことだよね。マルティナが魔女だと知った途端、自分の息子と結婚させようなんて考えるんだからさ」
ジャスティンは微笑んではいるが、もはや目は笑っていなかった。
彼は時折、こうして静かに怒りを募らせることがある。こういう表情のジャスティンは、ライナスでさえ近寄りたくないと思うほどだ。
「……クライヴ卿が私欲のために、ローレンス家最後のひとり、マルティナを追い出した時は、見て見ぬ振りをしたくせにだよ?
「ああ……俺たちはあの頃は子供で、何もできなかった」
ライナスは低い声で、小さく呟いた。
ジャスティンの言いたいことはわかっている。
マルティナが大人になり、いつか男子を産んでローレンス家が再興してしまったら、今の自分の身分が危うくなる――そう考えたライナスの父、クライヴ卿はマルティナを追い出した。 そして、ジャスティンの父、オールブライト伯爵は知っていてそれを咎めなかったのだ。
数年後にその事実を知った時、二人は愕然とした。
こんな馬鹿げた理由のために、マルティナは城を追い出されたのか、と。
「だが、今は昔とは違うんだ……」
ライナスは、手綱を握る手にぎゅっと力を込める。
「自分の力で、俺たちでティナを守ることができる」
「うん、そうだね」
そして二人は、先を行くマルティナに視線を向けた。