第89話 零司くんは
先生の体調はまだ本調子ではなかった。隠れ家での滞在が続く中、三人はまた自然な流れで席を外していった。今度は誰も言葉を交わさなかった。それでいいのだと、皆が分かっているようだった。
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先生は膝を揃えて座り、しばらく黙っていた。それから、先に口を開いたのは先生の方だった。
「今日は……」
言いかけて、少し言葉に詰まる。それでも前回とは違い、視線はまっすぐ零司に向いていた。
「無理、してませんか」って、前に零司くんが聞いてくれたでしょう。今度は、私から聞いてもいい?」
零司は少し驚いた。「大丈夫です」
「そう」
先生は小さく頷いた。手の震えはまだ残っていたが、視線の逃げ方が前回とは違って見えた。
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「零司くんは、大学で何を勉強してるの」
唐突な問いに、零司は戸惑いながらも答えた。文系の学部にいること、特にこれといって熱心な分野もないこと。話しながら、こんな話をするのは久しぶりだと思った。
「読書が好きだったわよね。講義中も、たまに本を読んでたでしょう」
「見られてたんですか」
「後ろの席、よく見えるのよ」
先生が小さく笑った。零司もつられて口元が緩む。
会話は途切れながらも、少しずつ続いた。先生の趣味、零司の好きな本、他愛のない話が積み重なっていく。
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ふと、先生が呟いた。
「私、今、先生としてじゃなくて……零司くんと、話してる気がする」
零司は目を上げた。先生はどこか照れくさそうに、視線を少し逸らしていた。
「変なこと言った?」
「いえ」
零司は首を振った。肩の力が、少しだけ抜けていくのが分かった。長く息を吐く。
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灯りが落ちた。
前回よりも、静かな時間だった。
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事後、二人はしばらく並んで横になっていた。沈黙は続いていたが、前回よりも柔らかい沈黙だった。
視界の端にステータス表示はまだ浮かばなかった。零司はそれを気にしながらも、今はそれでいいような気がした。
「零司くん」
先生が小さく呼んだ。
「なんですか」
「……ありがとう」
それだけ言って、先生は目を閉じた。
零司はしばらくその横顔を見つめていた。先生としてではなく、一人の人として、今その姿を見ている自分に気づいた。




