第65話 まだ、いる
先生の唇がまた動いた。
今度は少しだけ声になっていた。楓が光の膜の前に膝をついて、耳を傾けた。
「……かえ……」
「先生っ」
楓が声を上げた。先生の目がゆっくりと動いた。焦点が定まらないまま、でも少しずつ何かを認識しようとしていた。
「先生、私たちです。一ノ瀬です」
先生の目が留まった。
「……一ノ瀬……?」
「はい、一ノ瀬です。二階堂さんも三上さんもいます」
先生の表情がかすかに変わった。眉が少し動いた。口元が緩んだ。
「……みんな、来たの」
零司は扉の方を向いたまま、その声を聞いていた。
⸻
「先生、ここで何があったか教えてもらえますか」
澪が静かに聞いた。
先生はしばらく黙っていた。それから、途切れ途切れに話し始めた。
「何かが……私の中を通っていく感じがして……それを増やして、外に出していく……そんな感じが、ずっとあって」
「増幅、してるってことか」
零司が扉の方を向いたまま言った。
「……多分。でも何のためなのかは、分からなくて」
先生の声が途切れた。少し間があってから、また続いた。
「意識が、ほとんど保てなくて……どのくらい時間が経ったのかも、分からない」
⸻
「時々……体の中に何かが流れてきて」
先生がまた話し始めた。
「それが外に出ていくと……どこかから、誰かが来る感じがして」
楓が息を呑んだ。
「召喚……先生が召喚に使われていたんですか」
「……そうなのかも、しれない。術式が体の中に流れてくるたびに、何かを呼び寄せているんだって、感覚で分かって。でも止められなくて……抵抗しようとしても、意識が遠くなって」
零司は扉を見つめたまま、先生の言葉を頭の中で整理した。
召喚のたびに術式が先生の中を流れる。先生がそれを増幅して外へ出す。その力で召喚が行われる。
捕らわれてから最初に儀式が行われた時のことが頭に浮かんだ。先生の体に光が流れ込んで、数倍になって出ていった。あの力で召喚が行われていたのか。
先生は召喚システムの中核にいた。
⸻
しばらく沈黙が続いた。
「みんな……怪我は、ない?」
先生が聞いた。
楓の目が潤んだ。
「大丈夫です、先生」
「そう……よかった」
先生の声が少し安堵したように聞こえた。でもすぐにまた、意識が遠くなっていくようだった。目の焦点がぼやけ始めた。
「先生っ」
「……大丈夫。まだ、いる」
かすかな声だった。でも確かにそこにいた。
零司は扉を向いたまま、奥歯を噛んだ。




