第36話 なんで俺なんかが
夕方、デバイスを手に取って、また置いた。
また手に取った。
二階堂になら決まりねと言われてから、ずっとこうしていた。文章を考えては消して、また考えた。結局シンプルな文字を打った。
「九十九くん今大丈夫ですか」
既読がついた。すぐに返信が来た。
「大丈夫」
一ノ瀬は続きを打った。
「神殿の庭園で会えませんか。あそこなら目立たないと思うので」
少し間があった。
「わかった」
デバイスを伏せた。心臓が少し速かった。
⸻
神殿の庭園は静かだった。石畳の小道の両側に草木が植えられていて、中央に小さな噴水があった。夕方の光が木の葉を透かして、地面に細かい影を作っていた。参拝客が時折通り過ぎるが、立ち止まる人はほとんどいなかった。
九十九が先に来ていた。噴水の縁に腰を下ろして、水面を見ていた。
「こんにちは」
「……どうも」
隣に座った。しばらく二人とも黙っていた。噴水の水音だけが続いた。
「この庭園、落ち着きますね」
「そうだね」
また少し黙った。一ノ瀬が口を開いた。
「そういえば神殿に蔵書室があるようですね。有料みたいですけど、ポイントで入れるのかな」
「どうだろうね」
九十九は水面を見たまま答えた。ポイントで入れるとしたら、また制限されるということだ。便利なようで、全部管理されている。そう思ったが、口には出さなかった。
会話が途切れた。噴水の音が戻ってきた。
⸻
一ノ瀬は少し息を吸った。
「あの、九十九くんも私たちと一緒に行動しませんか」
九十九が顔を上げた。一ノ瀬は眼鏡の奥の目をまっすぐ向けていた。いつもより少し声が大きかった。
「え……なんで俺なんかが」
一ノ瀬は答えなかった。ただ見ていた。
「実は」
男子学生に見られていたこと、絡まれたことを話した。ルーヴェ村での出来事、アルヴェナの門を出たところでのこと。九十九は黙って聞いていた。
「ごめん、俺のせいで」
「大丈夫です」
一ノ瀬が遮った。
「で、一緒に行動しますよね」
九十九は少し間を置いた。
「わかった」
⸻
少しの間、また沈黙が続いた。噴水の音が聞こえた。
一ノ瀬が視線を落とした。
「その、この街に来てからスキルポイントのお手伝いできてないから……」
九十九は何も言わなかった。
「一緒に行動してれば、その……そういう機会もあるかもしれないから……」
言葉が途切れた。一ノ瀬は膝の上で手を重ねたまま、九十九の方を見なかった。
「わかった」
それだけが精一杯だった。
一ノ瀬は小さく頷いた。それから立ち上がって、おやすみなさいと言って庭園を出た。
九十九は噴水の前に一人残った。水面を見ながら、さっきの言葉を繰り返した。
なんでそこまでしてくれるのか。
答えは出なかった。噴水の音だけが続いていた。




