第18話 役に立てること
夕方の光が傾いて、ダンジョン入口の石畳に長い影を作り始めた頃、一ノ瀬楓はまだそこにいた。
澪と瑠奈とは「また明日」と別れて、そのまま居住区へ戻るつもりだったのに、足が勝手に引き返していた。
入口の脇、邪魔にならない位置へ寄って、行き交う冒険者たちを目で追う。ダンジョンから出てくる人の流れはもう落ち着いていた。遅い時間に潜る人間はあまりいない。
荷物を持ち直す。石壁に背中を預けて、また入口を見る。
今日はもう、出てこないかもしれない。それとも、もう帰ったのか。
そう思いながらも動けなかった。夕焼けが完全に落ちて、入口に灯された魔道具の明かりだけが白く浮かぶ頃、楓はようやく踵を返した。
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翌日の夕方、ダンジョンの出口で九十九零司の背中を見つけた。
「九十九くん」
呼びかけると、少し間があってから振り返った。
「……一ノ瀬さん」
それだけだった。
なんとなく並んで歩き始めて、なんとなくそのまま居住区の方向へ向かった。どちらが誘ったわけでもなかった。会話は続かなかった。砂利を踏む音と、遠くの食堂から流れてくる誰かの笑い声だけが、二人の間を通り過ぎていった。
九十九は横を歩く一ノ瀬をちらと見た。何か言わなければという気持ちはある。しかし何を言えばいいのか分からなかった。前に図書館で「何かあったら言ってください」と言われた時も、結局何も答えられなかった。
前を向き直す。
居住区の入口が見えてきた頃、一ノ瀬が急に立ち止まった。
九十九も止まって振り返る。
「……本当に、困ってないですか」
夕方の光の中で、一ノ瀬は真っ直ぐこちらを見ていた。眼鏡の奥の目が、少し潤んでいた。
「別に」
答えた声が、自分でも思ったより低かった。
「大丈夫、って言いたいだけじゃないですか」
九十九は何も言えなかった。一ノ瀬はそれ以上追いかけてこなかった。ただそこに立って、九十九を見ていた。
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気がついたら、九十九の部屋にいた。
どちらが先に動いたのか、よく覚えていない。一ノ瀬が鍵を開けるのを待って、九十九が先に入った気もするし、逆だった気もした。
一ノ瀬は部屋の真ん中あたりに立って、少しの間黙っていた。それから口を開いた。
「私、他の人のステータス見られるんです。……スキル、ないですよね」
九十九は黙ったまま、壁際に立っていた。
「怒ってないです。ただ……どうしたら役に立てるか、分からなくて」
一ノ瀬の指先が、スカートの端をわずかに握った。
「こういうこと、って……関係って、こういうことですよね」
言い終わらないうちに、距離が縮まっていた。
気がついたら抱きつかれていた。
九十九は一瞬固まった。頭の中が空白になって、次の瞬間、ふわりと甘い香りが鼻に届いた。花とも石鹸とも違う、一ノ瀬の匂いだった。
とっさに浄化の生活魔法を自身に発動した。
ダンジョンから出てそのままだった。汗臭くなかっただろうか。
そんなことをぼんやり考えながら、柔らかくて温かい感触が、じわりと伝わってくるのを感じていた。
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一ノ瀬が帰ったのは、部屋の外がすっかり暗くなってからだった。
「誰かに見られたら、嫌なので」
扉の前でそう言った。こちらを見ないまま、耳まで赤かった。
扉が閉まって、足音が遠ざかって、部屋が静かになった。
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翌朝、目が覚めてすぐ、天井を見ていた。
昨夜のことが断片的に浮かんでは消えた。眼鏡を外した一ノ瀬の顔。外見に似合わず豊かな胸。抱きしめられたときの温度。
ぼんやりしたまま、なんとなく自分のステータスを確認した。
指が止まった。スキルポイントが、ゼロのままのはずだった数字が、増えていた。
ステータスのスキル欄を確認しながら、胸の中で何かが静かに確定していく感覚があった。しかし次の瞬間、眉が寄った。
足りない。
スキルを取得するにはポイントが足りなかった。何度確認しても、結果は変わらない。
視線が宙に浮いた。
どうすればいい。
考えかけて、昨夜の扉の前の一ノ瀬の横顔が、ふと頭に浮かんだ。
ステータスから意識を切った。




