第12話 小さな勇気
ダンジョンから出た瞬間、見慣れた人影が目に入った。
九十九くんだった。
いつもと何かが違った。うまく言葉にできないけれど、歩き方が少しだけおかしい。右腕をわずかにかばうような、気づかなければ分からない程度の違和感だった。
「楓、どうしたの?」
澪さんが振り返る。
「……ううん、なんでもない」
「先に戻ってて。少しだけ」
澪さんと瑠奈さんが顔を見合わせたが、特に何も言わずに歩いていった。
九十九くんはもうダンジョンの入口へ向かっていた。
声をかけるべきか迷った。今まで自分から話しかけたことはほとんどない。図書館での一件も、結局まともに会話できなかった。
それでも。
足が動いていた。
「九十九くん」
振り返った顔に、驚きの色があった。
「……一ノ瀬さん」
「怪我、してますよね」
少し間があった。
「問題ない」
「でも」
「慣れてる」
それだけ言って、九十九くんは出口へ向かった。引き止める言葉が出てこないまま、背中を見送った。
⸻
居住区への帰り道を一人で歩く。
夕暮れの石畳が赤く染まっていた。
慣れてる、か。
あの言葉が頭から離れなかった。一人でダンジョンへ潜って、一人で怪我をして、それでも問題ないと言って帰っていく。スキルがないから無理をしているんじゃないか。だから怪我をするんじゃないか。
そこまで考えて、ふと別のことが頭をよぎった。
職業特性の文字。
『女性と関係を持つことでスキルポイントを獲得する』
慌てて打ち消した。
そういうことじゃない。そんな簡単に考えていいことじゃない。そもそも私には関係のないことだ。
でも。
打ち消しても打ち消しても、また浮かんでくる。
この世界では人が死ぬ。ダンジョンで、魔物に、あっけなく。それは知っている。怪我をするたびに思い知らされる。スキルがなければ戦えない。戦えなければ。
考えるのをやめた。
石畳を踏む足音だけが響いた。
⸻
部屋に戻って、鞄を置いた。
ベッドに腰を下ろして、ぼんやりと壁を見つめる。頭の中がうまく整理できなかった。
ふと、高校の図書委員の時のことを思い出した。
重い本を一人で運ぼうとしていた。何冊も抱えて、それでも一人でやろうとしていた。気づいたら隣に誰かがいた。
九十九くんだった。
何も言わなかった。ただ半分を持って、一緒に棚まで歩いて、本を収めて、それだけだった。礼を言う前にもう次の作業へ向かっていた。
大したことじゃない。
本当に、大したことじゃないはずだった。
それなのに、ずっと覚えていた。今もこうして思い出している。
眼鏡の位置を直して、天井を見上げた。
答えは出なかった。
でも考えることをやめられなかった。




