第10話 束の間の休日
今日は休みにした。
理由は単純だ。レベルが上がりすぎた。皆がまだ必死にレベルを上げている中、俺だけ先へ行きすぎると目立つ。だから今日はダンジョンには潜らないことにした。
向かったのは図書館だった。
扉を開けると、静かな空気が迎えてくれる。並んだ本棚。紙の匂い。人の少ない午前中はとくに落ち着く。
いつもの席へ座り、本を開いた。
午後になった。
ダンジョン帰りの学生たちが村へ戻り始める時間帯になると、図書館の扉が開く回数が増えてくる。ほとんどは少し覗いてそのまま出て行く。図書館に用がある学生はそう多くない。
だから扉が開いて、そのまま人が入ってきた時、思わず視線が向いた。
一ノ瀬さんだった。
ダンジョン帰りらしく、少し疲れた様子だった。扉を閉めて、室内を見渡す。俺と目が合った。
一瞬、足が止まる。
「……あ」
小さな声が漏れた。
一ノ瀬さんは正面の席へは座らなかった。少し離れた、斜め前の席へ静かに鞄を置く。本棚へ向かい、一冊選んで戻ってくる。
ページを開く音がした。
俺も本に視線を戻した。
しばらく沈黙が続いた。
気づいたのは、本のページをめくりながらだった。
「……眼鏡、どうしたんですか」
思ったより自然に言葉が出た。
一ノ瀬さんが顔を上げる。
「あ、気づきましたか」
「召喚の時に消えてたはずだけど」
「装備をもらった時に一緒にもらったんです。魔道具で」
「魔道具か」
「たまたま元のと似たデザインのものがあって。視力も自動で合わせてくれるので助かりました」
「……そうか」
沈黙。
二人とも本へ視線を戻す。ページをめくる音だけが響く。
何か言わなければと思うほど、何も出てこない。一ノ瀬さんも本を読んでいるのか読んでいないのか分からない様子で、時々ページをめくっている。
「その本、面白いですか」
一ノ瀬さんが先に口を開いた。
「まあ……悪くない」
「そうですか」
また沈黙。
俺は本のページに視線を落とした。文字が頭に入ってこない。斜め前に人がいるというだけで、どこか落ち着かなかった。
限界だった。
本を閉じる。
「……今日はもう帰る」
「あ、はい」
立ち上がった時、一ノ瀬さんが顔を上げた。何か言いかけた口が、そのまま閉じられた。
俺は本を棚へ戻して、図書館を出た。
⸻
夕方の空気は少しだけ涼しかった。
石畳を歩きながら、腹が減っていることに気づく。そういえば昼も食べていなかった。食堂へ向かうことにした。
近づくにつれて、声が聞こえてくる。
入口から中を覗いた瞬間、足が止まった。
陽キャグループが固まっていた。笑い声。盛り上がる声。テーブルを囲んで、全員が楽しそうだった。
入れる空気じゃなかった。
踵を返す。
「やっぱりいい」
誰に言うでもなく呟いて、来た道を戻り始めた。部屋に戻って携行食で済ませればいい。それだけのことだった。
石畳の上を、一人で歩く。
⸻
図書館に一人残った。
九十九くんが出て行ってから、しばらくそのままページをめくっていた。でも文字が頭に入ってこなかった。
気づいたら、鑑定を使っていた。
視界に文字が浮かび上がる。
九十九零司
レベル:10
職業:ハーレム王
状態:正常
アクティブスキル:なし
パッシブスキル:高速成長
スキル欄は相変わらず空欄のままだった。
眼鏡の位置を直す。
レベルは上がっている。それなのにスキルは何もない。何が足りないのか、どうすれば変わるのか、私には分からない。でも。
このままでいいとは思えなかった。
ふと、高校の図書委員の時のことを思い出した。
重い本を一人で運ぼうとしていた。何冊も抱えて、それでも棚まで運ぼうとしていた。気づいたら半分を誰かに持たれていた。
九十九くんだった。
何も言わなかった。ただ一緒に棚まで歩いて、本を収めて、それだけだった。礼を言う前にもう次の作業へ向かっていた。
本を閉じた。
椅子を引いて立ち上がる。鞄を持って、図書館を出た。
夕暮れの石畳に、九十九くんの姿はもうなかった。




