71 : Day -23 : Nishi-kasai
ケートは憮然として、チューヤからかかってきた電話を机の端に置き、眺めやった。
その画面の端には、ヒナノの顔もある。
「……で、なんでボクが、お嬢の信仰の問題に手を貸さなきゃなんないの?」
気が進まない感じのケートに、チューヤは問題を一般化して再置する。
「いや、そういうダンジョンなんだよ、ここ。文系の問題はお嬢がチョチョイと解いたんだけど、まさか最後にここまで厄介な理系の問題が出るとは」
「話を聞くかぎり、唯一神とやらの信仰を捨てればいいんだろ? 簡単じゃん」
聞き捨てならないヒナノが叫ぶ。
「簡単ではありません!」
「その場だけでもいいらしいじゃん」
「それこそお断りです!」
ヒナノが怒っている姿を見るのは、それなりに楽しい。
ケートは一瞬だけ笑ったが、すぐにつまらなそうに言い放つ。
「あ、そう。じゃ、チューヤたちだけで進めば?」
彼らだけなら「広い道」から、淡々と入店できる。
ヒナノのわがままで、わざわざ「狭い道」に付き合ってやる必要はないのだ。
「ケーたん、いじわるしないで!」
横から訴えるサアヤのアホ毛には、さしものケートも弱い。
画面を問題文にもどすと、天才の脳が飛躍的に活動を開始する。
「数秘術か……」
ケートはそこに描かれた数字の羅列を見つめる。
「もちろん数学なら、あなたにとっては簡単でしょうね?」
ようやく話が進んだと、ヒナノは短く嘆息した。
当然の結果だと思っているが、それは分業の冷淡さを示してもいる。
──ここはあなたの領分だから、あなたがさっさと解決しなさい。それが当然だし、最低限でしょう。
言うことは理解できるし、それもそうなのだが、なんとなく不愉快に感じることもある。
「…………」
「どうしたのです? 何千年もまえのカバラの秘密くらい、最新の数学なら、すぐに解き明かせるのではなくて?」
「言ってくれるね、お嬢。これはカバラというより、ゲマトリアだ。意味はわかるよな?」
カバラの教えを数秘術化したもの。ヘブライ文字を用いて、聖書に隠された意味を解き明かすことを目的とする。
「古い聖書の解読から発展した、秘密の知識でしょう?」
「まあそうだ。秘密にしておかなければならないと、当時の頭のいいふりをしたバカが考えて、こんな堕落した体系を構築した」
ケートとヒナノの視線が交錯する。
ヒナノの内心には、いやな予感が膨れ上がりつづけている。
「……なにをおっしゃりたいの」
「神のしもべであるお嬢の耳が、ひん曲がりそうなことを言っていいか?」
「やめていただける」
ヒナノは、相手が悪徳セールスだとわかったのでドアを閉じようとしたところ、かわいい顔に反して傍若無人な相手は、ドアの隙間に右足を突っ込み、無理やり押し開けながらお約束の口上を宣った。
「そうかい、そんなに聞きたければ教えよう。──YHVHは、FUCKだ」
日本語でいえば、ヤハウェはおま〇こだ、くらいのニュアンスだろうか。
この瞬間、ヒナノがケートをぶん殴らなかった唯一の理由は、彼がここにいなかったからにほかならない。
そしてケートは、それを知っているからこそ、こういう端的な物言いをする。
「わたくし、やめていただきたいと申し上げました」
「もっと聞きたいって? なら教えてやる。ゲマトリアは各単語を数字に置き換え、その合計数字から、同じ単語同士を類推していくという手法をとる。くそったれの泥棒である古代のユダヤ人は、あからさまに書けない単語を、同じ数値の別の単語に置き換えて書いた」
神の歴史そのものまでも冒瀆しようとしている。
直観的な忌避感に、ヒナノは悲鳴のような拒絶を発する。
「もうけっこう。解読していただかなくて」
「ボクを見ろよ、聖処女! キミは光のなかに住む。それは悠久の秩序だと、多くのひとが信じてきた。つまりボクの仲間なんだろ?」
とても友人とは思えない、冷淡な視線が交わされる。
特進クラスの優秀な友人たちの角逐を、ハラハラして見つめる一般ピープル。
「あなたとは相容れるものと、最初は思っていましたが」
「わるいな、秩序と聖性は別物らしいや。──そりゃそうだよな。聖なる行軍と称して、あんたたちが破壊してきた多くの理性、教会の蛮行をリストにしただけで反吐が出る。ニュートン、ガリレオ、コペルニクス!」
両手を挙げ、キリスト教の罪を数えるケート。
ヒナノは氷のように表情を凍結させ、敵を指弾する。
「けだもの」
「666か? お嬢の言いたい、獣の数ってやつだ」
「いったいなんなの、あなたは!?」
するとケートは、言葉を止め、ヒナノをじっと見つめてから、くすくすと笑いだした。
「ほんとに楽しいな、お嬢をいじめると」
「…………」
「さて、解読を開始しよう。カバラやゲマトリアの基礎知識についての教授は、もういらないな?」
必要なのは結果だけだ。
それができるのが、数学のすばらしいところでもある。
一瞬あっけにとられてから、大人げなかった自分の姿を思い、かすかな羞恥をおぼえつつ小声でぼやくヒナノ。
「最初からすなおに……」
「まあまあヒナノン、ケーたんは好きな子にいじわるするタイプなんだよ」
適当なことを言うサアヤたちの見守るさき、ケートの天才が結果を出す。
安藤丸夫は五十代後半、当年還暦の老人だった。
死ぬまで少年の心を貫きたいと心に決め、壮大な遊びの空間を生み出しつづけている。
「なるほど、毎夜、呪いの首が飛んでくると」
安藤は粘土のようなものを捏ねながら言った。
その背後にはガーディアン、邪神アンドロマリウス。
彼は自分の役割を理解し、他者にどう思われようと、自分の道を貫く生き方を選んだ。
「そればかりではありません。祖母が呪われていることは、信頼に足るいくつもの……」
「いいよ、もうわかった。そうだろうな、そいつは呪いの生き人形のせいだろう」
安藤は作業をやめない。
チューヤたちが地下から出てくる段階で、太陽はとうに高く昇り、芸術家が土曜の午前を仕事に費やす道を選べば、そうすべき作業時間にはいっている。
──彼は人形師。
依頼を受けて、あるいはその芸術的インスピレーションにしたがって、「魔次郎」という一連の人形シリーズを制作している。
「人面ジローだね」
「そんなラーメン屋はおまえに食わせねえ!」
バカな一般ピープルが、制作途中の人形の飾られた作業場を見学している。
ヒナノは作業をやめる気配のない安藤の背中にむけ、問いつづける。
「ならば制作した責任を負ってください。とても強力な呪いで、ヴァチカンのエクソシストすら手に負えないと……」
「そうだろうな、文化圏がちがう。──下に供養のための霊堂があったろう?」
そこでふりかえったチューヤが、
「はいれませんでした。フラグ立ってなくて」
「はいるのは自由だ。ただ話は進まないだろうがね」
にやりと笑うゲームマスター。
メタ発言のようでいて、シンプルな現実でもある。
安藤は、自分のゲームをおもしろくしてくれそうなチューヤにだけは、どうやら一目置いているようだ。
深層心理で誇りを傷つけられたヒナノは、自分がただの「依頼人」であるという立場から脱して、製造物責任を援用した対応を「要求」しようと決めた。
「あなたには対応する義務がありますよ、安藤丸夫氏。この工房で生み出された呪いなのですから」
「だとしても、わたしにその責任はないね。件の生き人形はわたしの父か、もしかしたら祖父が制作したものかもしれない。名刺にもあるだろう、わたしはただの三代目だ」
息子が親の責任を負う義務は、近代法理ではありえない。
血縁の権利義務は、せいぜい遺産相続において一括相続か相続拒否かを選べる程度だ。
それを「債務」として承認すべきかどうかさえ、疑問の余地がある。
ヒナノは唇を噛んだ。ともかく呪いの事実、正体の確認から進めようと思った。
「毎夜、このようなものが夜の屋敷内を飛び交っていたら、どう思いますか?」
ヒナノが取り出した「心霊写真」をはじめてみたサアヤは、思わず跳びあがった。
「ひゃあぁ、なにそれ、怖!」
隣から覗き込んだチューヤも、思わずビビッてサアヤと手を握り合った。
髪を振り乱した首だけが、廊下を飛んでいる。
ちらりと一瞥した安藤は、一瞬だけ動きを止めた。
「……なるほど。どうやら、そいつは祖父の作品らしい」
「わかるのですか?」
「等身大の人形をつくっていたのは、祖父だけだ。父はいろんなものをつくったが、わたしの知るかぎり、その手の作品には手を染めていない。……そして、わたしのつくるものはごらんのとおり、すべてミニチュアだ」
かなり大きいものもあるが、たしかに等身大ではない。
初代安藤丸夫は明治の人形師で、当時はじめて輸入されたマダム・タッソーに影響を受け、日本人形の技法と合体させた特殊な人形を多く制作していたらしい。
この長寿の明治男は、戦後まで制作をつづけていたが、晩年の作品はきわめて少ないとされている。
そこでヒナノは、ようやく踏み込む決意を固めた。
「……その、あなたのお父上が、わたくしの祖母と恋愛関係にあったということは、ご存じですか?」
一同の動きが止まった。
これは名家の矜持にとって、きわめて深刻な問題をはらんでいる。
オフレコで済ませる決意と覚悟が必要だった。
彼らは場所を移し、応接室でお茶を囲んだ。
紅茶もいいけどやはり日本人はお茶だね、とチューヤはサアヤの分まで飲もうとしてひっぱたかれた。
最高級の玉露ですぞ、と言いながらサアヤはヒナノの分も飲んだ。
「きみの家に、首のない人形はないか?」
はじめて能動的に、安藤が質問する側にまわった。
ヒナノは首をかしげつつ、
「膨大な量の人形があるようですから、もしかしたらあるのかもしれませんが」
「こういう現象は、首と胴を切り離したときに起こりやすい。日本の怨霊話にも、よくあるとおりだ」
安藤は西のほうに視線を投げた。
その意味をチューヤだけが敏感に察した。
『デビル豪』に耽溺した高校生にとって、京都・三条河原から故郷まで飛んで帰ってきた「マサカド」の首塚がある大手町ほど、最強の心霊スポットはない。
「首が胴体を探して飛んでいる、と?」
「そういえば、アネリスがそんな話をしていたな……」
再び考え込む安藤。
「アネリス? そんな話、とは?」
アネリスは安藤の芸術仲間であり、同じ「人形師」という職能に誇りをもっている仕事仲間でもあるらしい。
ヨーロッパから日本に蝋人形の技術をもちこんだマダム・タッソーの系脈で、お台場に本拠をかまえる有名な芸術家でもあるという。
「首のない死体が毎夜、倉庫を歩いているんだとさ。その手の話は日常茶飯事だから、たいして気にもしていなかったが」
「うちと関係があるのですか?」
「さあな。すくなくとも事実、祖父のつくった人形を買ったのは、あんたの家族だけじゃない。その人形が、どこかの段階でバラされて、別々の場所に保管されているとしたら、お互いに探している気持ちもわかる、ってだけだ」
顔を見合わせるチューヤたち。
理屈としてはそうかもしれないが、だとしたら迷宮入り、推論の糸は全方位に拡散したままだ。
捜査は端緒についたばかり、といってもいい。
「わかりました。それでは、ともかくそのアネリスという方にお話をうかがいたいと思います。紹介していただける?」
「かまわんよ。住所は、お台場のマダムX、ザ・ロウだ」
ぴくり、とチューヤの肩が反応した。サアヤもなんとなく眉根を寄せた。
どこかで聞いたことがある。
それに気づいた安藤は、しだいに表情に広がる笑みを抑えられないかのように、
「もしかしたら、彼女の人形を見たことがあるのかね?」
「あ、えっと、たしか……荒川ゆうえんとかで……」
決定的に、安藤の表情が「破顔」した。
彼は楽しそうに膝を打ち、笑った。
「そうか、やはりきみだったか。あちら側に行ったんだね? 彼女は元気だったか?」
ヒナノはいぶかしそうに、チューヤたちを見ている。
情報共有が不十分であることに、内心忸怩たる思いのようだ。
「えっと、彼女というか、人形みたいなのが、首を切り落として、剥製にしていたような」
「怖いこと思い出さなくていいよ、チューヤ……」
安藤は満足げにうなずき、引き出しから取り出した葉巻に火をつけた。
チューヤにも勧めたが、当然のように謝絶すると、もっておいたほうがいい、と言って「安藤の葉巻」を3本セットでくれた。
狐や狸に化かされそうになったときに吸えば役に立つ、という。
「そんなことより、そのマダムXのほうは」
割り込もうとするヒナノのほうを一瞥し、安藤は義務的に説明した。
「直接、館のほうに行ってくれればいい。わたしの名刺を出せばわかるようにしておく。……さて、ところできみが、もし私が小耳にはさんだことのあるアクマツカイだとしたら、ひとつ頼みたいことがある」
安藤はチューヤに視線をもどす。
チューヤは葉巻を道具袋にしまいながら、軽く首をかしげ、
「まあ、できることなら」
「ここは人形町だ。隣は小伝馬町だ。そこのラビュリントスに住んでいる友人がね、引きこもってどうしようもない息子をかかえて、よくわたしに相談にくるんだよ。解決の手助けをする気はないかね? きみにとっては渡りに船だと思うが」
ぞくり、と背筋がふるえた。
──ミノタウロスの角をとってくるですよ、来週までに。
ブブ子の声が脳裏をよぎる。安藤がどこまで知っているのかはわからないが。
「そう、ですね。たしかに、小伝馬町には用事があります」
「だろう。その用事を最短距離で片づけるための鍵を、わたしはきみに提供できる。もうひとつ、アネリスとの交渉が有利になる鍵もある。……どちらか選んでくれ」
安藤は楽しそうに「選択肢」を提示した。
毎度のことだ。もちろん、そういうことになる。
人生で「両方」を得ることなどできない。どちらかを選ぶしかないのだ。
チューヤに視線が集まる。
多くの選択をくりかえしてきた悪魔使いは、両方ください、と言いかけて言葉を呑んだ。
「マダムXのほうの鍵をください」
安藤は一瞬、鼻白んだように眉を上げたが、短く嘆息し、黙って道具を差し出した。
──「デュラハンの片眼鏡」を手に入れた!
「それをかけて見れば、見えなくていいものが見えてくる」
「手にしたことを後悔しそうなアイテムですけど……ありがとうございます。小伝馬町のほうも、できることはしたいと思ってますけど」
「そっちは自力でやってくれ。自分の選んだ道だろう?」
最後に安藤はいたずらっぽく笑い、席を立った。
多くを一足飛びにこなすことはできない。
シナリオは、ひとつずつ。




