70 : Day -23 : Ningyocho
「しかし、このへんくるとワクワクすんね」
クルマを飛び出してまっさきに、チューヤは駅名標を見つけて目を輝かせた。
ゆっくりと降車してきたサアヤは、静かに冷水を浴びせる。
「しないし、理由を聞くつもりもないぞ、チューキチ」
「そっか、じゃあ教えるけど、日本橋エリアは駅の宝庫なんだよ。たとえばこの人形町駅の周囲なら、町名に日本橋を冠する範囲だけで、日本橋、茅場町、水天宮前、三越前、小伝馬町、新日本橋、馬喰町、馬喰横山、浜町と、アホみたいに駅があってだね」
「アホはおまいだ」
すぱーん、と鉄ヲタの脳天をどついてあげることが、サアヤのやさしさだ。
──日本橋という地名には、強いブランド価値があるらしい。地域の住民や議員は、隣接する地区との合併においても「日本橋」に執着した。
日本国道路元標や、日本銀行、日本郵便発祥の日本橋郵便局、東京証券取引所など、全国的に有名な歴史的「地点」「施設」は、たしかに多い。
「祖母には人形趣味がありましてね」
「そういえばお部屋には、いろんな人形が置いてあったね」
サアヤが肯って言う。ヒナノはうなずき返し、
「あそこは寝室ですから、まだ少ないほうです。倉庫一杯の人形が、たしかあったはずですよ」
「お金持ちはいろいろと規模がちがうね」
「そういえばママもお嬢さま♪」
クルッとまわって歌うサアヤ。
こんどはチューヤが突っ込んであげるのが、彼らの役割分担である。
「黙れ昭和の歌娘」
「いやこれ平成初期だけど。なんとなく因習という名の呪縛を感じて?」
「おぼえたばかりの単語を使おうとするな」
「いいえ、発田さんの言うことにも一理はあります。この旧弊には、抗いがたい負の側面がある」
言いながら、ヒナノは周囲を見まわしつつ、動こうとはしない。
チューヤはしばらくヒナノの挙動を見つめていた。
──なぜわざわざ駅前でクルマを降りたのかはわからないが、ここからさき、くだんの店にむかうのだろうから、道を探しているはずだ。
クルマのメリットとして、店の目前に直接、横づけできるというのがある。そのほうが早いに決まっているのに、わざわざ駅のそばに止まってくれたのは、きっと自分の鉄道趣味に敬意を表してくれたのだろう……などという妄想をたくましくしている余裕があるくらい、いつもは時間を無駄にしないヒナノが動かない。
「あなたの好きな駅が、ここにあるのでしょう?」
どきり、とした。
まさかの妄想実現モード!? という説の現実度が微粒子レベルで存在。
「ああ、人形町ね。日比谷線と浅草線が乗り入れていて、ごらんのとおり水天宮通りの交差点の地下にある……」
ヒナノをならって周囲を見まわすが、交差点からは、よほど注意しなければ駅名標は見えない。
ほとんどの出入り口が周辺ビルと一体化していて、そのビルにはいってはじめて「あ、地下鉄がある」と気づくこともある。
どうやらヒナノは、「人形町」という目的地を指示はしたものの、その「駅」がどこにあるのか、よく解っていないようだった。
──駅に行けと言ったのに、ここはただの交差点ではないか?
ヒナノはいらいらした口調で、
「早く行きなさい、あなたの好きな駅に」
「ねえ、ヒナノン。チューヤ甘やかすと癖になるよ?」
いぶかしげに言うサアヤ。
まさかのチューヤ趣味優先モードかと思ったが、もちろんそんなわけがない。
「あなたの悪魔相関プログラムは、駅を支配する悪魔に直接、アクセスできるのでしょう?」
重大な基本設定への言及。人形町といえば邪神アンドロマリウスだ。
チューヤはすとんと納得して、
「あーね。てか悪魔相関プログラムをもっていれば、タイプに関係なくできるとは思うけど、交渉という点ではSタイプが優位かもしれないね」
「アンドロマリウスは遊びの悪魔なのです。彼との交渉は、彼との遊びにどれだけ付き合い、勝てるかによります」
めずらしい悪魔との戦いの道が、このさきには開かれているらしい。
東京に巣くう悪魔は、もっぱら「交通の量」からみずからのエネルギー、エキゾタイトを収集する権利を獲得している。
異世界線の地下にはそれを収集するための炭鉱も張りめぐらされ、資源奪い合い闘争が激化しているらしい。
悪魔相関プログラムを起動し、必要な手順を踏んでホーム内をひととおり往復すると、境界へ能動的にアクセスできる。
最後に開いた空間に投影された、アンドロマリウスの紋章。
悪魔それ自体は出現しなかったが、わかりやすい「起動画面」が現れている。
「ゲーム……?」
「目的地は、ここです」
ヒナノが差し出したのは、一枚の名刺。
会社名に「安藤丸夫工房」とあり、代表・安藤丸夫(三代目)とある。
デザイン性豊かな名刺で、手触りもいい。裏返すと、奇妙な直線の組み合わせがあった。
「これは?」
「駅から工房までの道順らしいです」
なるほど、とチューヤは瞬時に理解した。
周囲に目印や道路などを記載していないので地図としてはかなり中途半端だが、「遊び」の要素を考えればじゅうぶん理解できる。
名刺に駅周辺のマップを重ねて、その線のとおりに進めば工房へたどり着く、ということなのだろう。
ダンジョンマスターとしては、とても「にやり」とする演出だ。
「当初はふつうに店に行ったのですが、安藤氏はその名刺をくれて、そういう話をしたいなら、その資格があることを示してくれ、と」
考えるまでもない。アンドロマリウスの「遊び」に付き合え、ということだ。
駅のホーム端に開いた扉からは、境界のさきへと広がるダンジョン。
チューヤにとっては、慣れたプレイ空間だ。
「了解。行こうか、遊びに」
悪魔相関プログラムがゲームを読み出し、走り出す。
さすが「遊び」を理解した悪魔だけあって、そのダンジョンは精緻を極めていた。
適当な悪魔を4体、配置しないと進めない廊下。
体力パラメータが一定以上ないと昇れない階段。
パズルを解かないと開かない扉。
悪魔を召喚できない、魔法が使えない、スキルが限定されるなどの特殊エリア。
そして要所要所、強力な中ボス悪魔。
「おもしろいじゃないか、アンドロマリウス……!」
いちいち楽しんで遊びつくしたいところだが、いまは時間がない。
ヒナノが提示した「マップ」を参照し、最短距離を選ぶチューヤ。
つまらないやつだな、とでも言いたげに周囲の雰囲気が変わる。
ボスエリアに特有の雰囲気がある。
その道へ踏み込もうとするチューヤの横で、ヒナノが別の入り口を気にしている。
「……お寺かな?」
サアヤも興味を惹かれているさきからは線香の香りが漂い、墓地らしき雰囲気。
進もうとしたが、チューヤの足はそれ以上、さきへ進めない。
「フラグ未回収……?」
脳内のナノマシンが警告を発している。
途中のアップデートで、悪魔相関プログラムにシナリオテーブルが追加された。
どこで分岐し、フラグが立ち、回収したかが、タイムライン的に把握できるようになっている。
脳内マップ上、関連エリアとしての「上野」がグレイアウトしている。
──人形のお焚き上げで有名だった、上野・清水観音堂。
堂内におびただしい数の人形が奉納され、毎年秋の彼岸に「人形供養会」が行なわれ、各家庭で愛されてきた人形、人形造り、人形店主などが感謝と商売繁盛を願った。
最近まで数万体が燃やされていたが、昨今はダイオキシン問題で小規模となったらしい。
清水寺を模して、1631年、上野摺鉢山に建立され、1778年、現在地に移築された。本尊は千手観音だが、堂内の子育観世音が異彩を放つ。
チューヤは、データの海を流し読む。
関連悪魔としてテンカイが表示されているが、こちらもグレイアウトしていてアクセスできない。
おそらく上野シナリオの途中の選択肢で、分岐したのだろう。
脳裏には上野公園で絡んだマフユ、そしてケートの姿。
──そうか、あそこでシナリオ分岐していたんだな。
天海僧正とゆかりがあり、湯島の天神様にも絡む。
チューヤの選択によっては、そちらがメインシナリオになった可能性もあるが……いまはロックがかかって、永久に失われたパラレルワールドだ。
「行かないの? チューヤ」
「ひとりには、ひとつの人生しかないんだよ。……行くぞ、目的地は安藤丸夫工房だ」
失われたものは、もうどうしようもない。
手の届くものに対して、最善を尽くすのだ。
その最後の関門のまえで、チューヤたちは立ち尽くしていた。
「広き門より入れ」
チューヤが門前の碑文を解読する。
隣でそれを読んでいたヒナノの表情が、みるみる変わっていく。
サアヤも一応、ナノマシンをもっているので理解できる。
「なになに? 唯一なる神を退ける者、広き門よりはいれ。しからずんば、狭き門より入れ。以下略……?」
「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、これより入る者は多し。生命にいたる門は狭く、その路は細く、これを見出すものは少なし。──『マタイ伝』です」
アンドレ・ジッドの小説のタイトルでも知られる有名な一文だが、その意味は、楽な道より厳しい道を選べ、ということ。
楽な道を選ぶと、努力を怠るので身を滅ぼすことになる。厳しい道・困難な道を選べば、その努力がいつか実を結ぶ。
「神を捨てるだけで、こっちの広い道からはいれるらしいね」
いまにもそちらに歩き出しそうな、ノンポリのチューヤ。
仏教徒のサアヤもうなずいて、
「店主がキリスト教ぎらいなのかもしれないね。まーいいじゃん、ヒナノン。神さま捨てて進もうよ」
やおら、ヒナノは激昂した。
この異端者の国・日本の一般ピープルたちの瀆神ぶりといったら、言語に絶するレベルだ。
たかが店にはいるだけのことで、神を捨てるキリスト教徒がどこにいるだろう?
「いいかげんにしなさい。狭き門よりはいります。方法を探しなさい」
「えー? だって簡単なんだよ。一時的でいいんだからさー」
悪魔との契約により、唯一神という概念に対する「拒絶」を承認すればよい。
チューヤもサアヤも、もちろん最初から信じていないので、この場で「唯一神を信じません」という契約書にサインするのは、あまりにも簡単だ。
そしてもちろん、ヒナノはそういうわけにいかない。
「冗談ではありません。なぜわたくしが、このようなところで棄教しなければならないのですか」
「……いや、俺もまえ、進行上の都合で信仰を変更したことあるよ?」
イスハークというウラマーの導きにより、チューヤはムスリムになった。
自身、基本的には神道系だと思っているが、仏教にもシンパシーはあるし、悪魔たちとも交流が深い。
それがニュートラル、といってしまえばそれまでだが、唯一神のみに帰依する一神教徒にとっては、それを「捨てろ」というのはハードルが高すぎる。
「無神論者の棄教や改宗とは、わけがちがいます。……見なさい、方法はあると書いてありますよ」
どうやらヒナノは、どうしても狭き門よりはいる以外、このさきに進むつもりはないらしかった。
チューヤは嘆息し、むずかしいほうの問題に目を落とした。




