第三章 決断
その夜。
リーベルタース首都、政務区に隣接する高級住宅街。
都市評議会長ベネディクト・パターソンの住まいは、その一角にあった。周囲の家々と比べれば造りはひと回り大きく、外壁も新しいが、王族や貴族の邸宅のような威圧感はない。隣家との距離は近く、同じような屋根が連なっている。
表から見れば、裕福な市民の家の一つに過ぎなかった。
その屋敷の応接室に、コンラッド・ヘリオットとモーガン・エルナンドは通されていた。
広さはあるが、無駄な装飾はない。机も椅子も質は良いが、必要以上の贅沢は感じさせない。選ばれたものだけが置かれている空間だった。
エルナンドは落ち着かない様子で指先を弄び、部屋の中を見回している。対してヘリオットは背筋を伸ばしたまま、ただ静かに座っていた。
やがて、扉が開く。
「お待たせした」
ベネディクト・パターソンが姿を現す。
年齢は五十前後。穏やかな物腰だが、その目には隙がない。相手の内側まで見透かすような視線を向けてくる。
二人は立ち上がり、頭を下げた。
「夜分に失礼いたします、評議会長」
「構わん。座れ」
短い言葉で形式を切り捨て、自らも腰を下ろす。
「話は聞いている。道具屋ギルドで意見が割れたそうだな」
すでに事情は把握しているという言い方だった。
ヘリオットが頷く。
「はい。回復薬の値上げについて、全会一致が取れませんでした」
「理由は?」
「ジェフリー・タッカーが反対しています」
ベネディクイト・パターソンはわずかに目を細める。
「……あの店主か」
名前だけで思い当たる程度には、人物を把握しているらしい。
「理屈は通っているのだろう」
「はい。長期的な市場の縮小を懸念しています」
「なるほど」
それだけ言い、背もたれに体を預けた。
ヘリオットは迷わず答える。
「値上げは必要です。現状の需要を考えれば、利益を取りに行くべき時期かと」
「全会一致が条件だな」
「はい」
「評議会の許可も必要だ」
「承知しております」
短い応酬。だが、それで十分だった。
エルナンドが口を開く。
「評議会長のご判断をいただければ、話は早いかと――」
パターソンの視線が向く。
「順序を間違えるな」
穏やかな声だったが、逆らえる余地はない。
「ギルドがまとまらなければ、こちらは動けん。形は整えろ」
「……失礼いたしました」
エルナンドはすぐに頭を下げた。
パターソンはそれ以上触れず、視線をヘリオットへ戻す。
「一人、か」
「はい」
「その一人が動かない限り、全体が止まる」
「その通りです」
しばしの沈黙。
パターソンは指先で肘掛けを軽く叩きながら、何かを計算しているようだった。
やがて、口を開く。
「……どうする」
それは問いだったが、確認でもあった。
ヘリオットは迷わなかった。
「片付けます」
短く、はっきりとした言葉。
エルナンドがわずかに息を呑む。
パターソンの表情は変わらない。
「そうか」
一言だけ。
そして、ゆっくりと口の端をわずかに上げた。
「ギルドで値上げを決定すれば、評議会の方は私が納得させる。その時は見返りを忘れるなよ」
空気が、ほんのわずかに変わる。
ヘリオットは一拍置き、静かに答える。
「勿論」
エルナンドがすぐに続いた。
「しっかりと上納させて頂きますよ」
パターソンは何も言わない。
だが、そのやり取りだけで十分だった。
この話がどこに向かっているのか。
誰のために動いているのか。
すべて、はっきりした。
ベネディクイト・パターソンは立ち上がる。
「形が整えば、こちらも動く」
背を向けたまま言う。
「無駄な騒ぎは起こすな。面倒になる」
「承知しております」
コンラッド・ヘリオットが答える。
それで会話は終わった。
屋敷を出ると、通りは静まり返っていた。
似たような家々が並び、窓の灯りだけが点々と続いている。人の気配は薄いが、完全に閉ざされた場所でもない。
モーガン・エルナンドが小さく息を吐く。
「……やはり、ああいう方だな」
声には緊張と、わずかな高揚が混じっていた。
ヘリオットは答えない。
ただ前を見たまま歩く。
「……一人、か」
ぽつりと呟く。
その声は、夜の中に静かに消えた。




