第二章 値上げ
三日前。
リーベルタース首都、商業区の一角にある道具屋ギルド会館。
厚い扉を閉めると、外の喧騒は嘘のように遠のいた。長机を囲んで八人の商人が席に着いている。壁には交易路の地図と各地の物価表。この部屋で決まることが、この街の値段になる。
席の中央、コンラッド・ヘリオット――ギルド長が静かに口を開いた。
「では、本題に入ろう。この街は冒険者で成り立っている。魔王は倒されたが、残党は各地に散り、討伐依頼は尽きていない。回復薬の需要は、当面落ちないだろう」
数人が頷く。異論はない。
「そこで提案だ。回復薬の価格を引き上げる」
室内の空気が、わずかに張り詰めた。
「単独での値上げは客を逃がす。しかし、全店舗で足並みを揃えれば話は別だ。冒険者は買わざるを得ない」
言葉は淡々としていたが、その意味は重い。
最初に反応したのはモーガン・エルナンドだった。
「なるほど……確かに理に適っています。需要がある以上、適正価格を見直すのは当然でしょう」
椅子に深く腰掛けたまま、口元だけで笑う。
「利益を取りに行くなら、今が好機かと」
何人かが小さく頷く。だが、積極的に賛成の声を上げる者はいない。
業を煮やしたコンラッド・ヘリオットは言う。
「ここで、決を採りましょう。賛成の方は挙手を」
モーガン・エルナンドが勢い良く手を上げる。
しかし、それに追従する者はいない。
ヘリオットは苦々しい表情をしながら続ける。
「では、反対の方は挙手を」
一人だけが手を上げる。
ジェフリー・タッカーだった。
「私は反対です」
短く、はっきりとした声だった。
視線が一斉に集まる。
「回復薬は命に関わる品です。値上げすれば、駆け出しの冒険者は買えなくなる。結果として、死者が増えるでしょう」
エルナンドがわずかに眉を動かす。
「……それは極端では?」
「現場を見ていれば分かります。余裕のない者ほど無理をする。薬がなければ、そのまま死ぬこともある」
タッカーは視線を逸らさない。
「短期的には利益が出るでしょう。しかし、冒険者が減れば需要も減る。長い目で見れば損です」
しばしの沈黙。
ヘリオットはすぐに結論を出さず、机の上に視線を落としたまま口を開いた。
「……どちらにも挙げていない者は?」
名指しされた数人が、わずかに身じろぎする。
「美味しい話だとは思いますが、タッカーさんの言い分も理に適っているかと……」
「少し考える時間が欲しい」
「急いで決める話でもないでしょう」
「ギルドで全会一致でも、都市評議会が許可を出さなければ大規模な値上げはできない」
曖昧な言葉が続く。
賛成も反対もせず、判断を先送りにする声ばかりだった。
エルナンドが小さく息を吐く。
「誰か一人でも従わなければ、値は崩れる」
その言葉に、ヘリオットがゆっくりと頷いた。
「……結局、どちらにしても全員一致でなければ決行できない、ということだな」
ヘリオットはタッカーに目を向けると続ける。
「……タッカーさん」
静かに名前を呼ぶ。
「もう一度聞く。賛成できないか」
視線が集まる。
ジェフリー・タッカーは一瞬だけ目を伏せ、そして顔を上げた。
「できません」
迷いはなかった。
しばしの静寂。
やがてヘリオットが、わずかに息を吐いた。
「……分かった。今日はここまでにしよう」
その一言で会合は終わった。
椅子が引かれ、書類がまとめられ、各々が席を立つ。だが誰もが、結論が出ていないことを理解していた。
タッカーは軽く一礼し、部屋を出る。
扉が閉まる。
その音が、やけに重く残った。
タッカーが去った後、部屋には数人だけが残った。
エルナンドが小さく息を吐く。
「……このままでは話が進みませんね」
苛立ちを隠しきれない声だった。
ヘリオットはすぐには答えず、机に指を置いたまま動かない。
「全会一致が条件だ。崩せない以上、方法は限られる」
淡々とした口調だった。
その言葉に、エルナンドがわずかに顔を上げる。
「……では」
ヘリオットは視線だけで制した。
「今日は解散だ」
それ以上は何も言わない。
だが、その沈黙の中に、次の一手があることだけは、はっきりと伝わっていた。




