第十章 裏取り
翌日の昼過ぎ。
リーベルタース首都の高級住宅街。
整然と並ぶ家々。どれも大きすぎず、小さすぎず、裕福な市民が暮らす区域だ。通りは静かで、人通りも少ない。
その一角に、一人の男が立っていた。
「こんにちは!煙突掃除に来ました!」
軽快な声が響く。
扉が開く。
中年の女性が顔を出した。
「デクスター・グレイヴズさん?」
男はにこやかに頭を下げる。
「はい。煙突掃除人のデクスター・グレイヴズです」
女性は扉を開ける。
「どうぞ中へ」
「失礼します」
中へ入る。
室内は整っている。暖炉も台所も、きちんと使われている形跡がある。
女性が説明する。
「煙突は暖炉の大きいものと台所の小さいものの二つなので、二つともお願いね」
デクスターはすぐに答える。
「分かりました。大きい方は中に入れそうなので、中に入って直接掃除します。台所の方は道具を使って屋根から掃除します」
女性が興味深そうに聞く。
「どうやって掃除するの?」
デクスターは手にしていた道具を軽く持ち上げる。
「これはチムニーボールと言うんですが、ロープの先に鎖、その先に見ての通り、鎖を中心に放射状にブラシが付いてますよね。その先に錘がついてるんで屋根に上って錘を煙突の中に垂らして錘の上に付いたブラシで煙突の中を擦って灰や煤を落とすんです」
女性が感心したように頷く。
「なるほどねぇ」
デクスターは軽く笑う。
「どちらも煙突の中の灰や煤が落ちてくるんで、汚れない様に周りは片づけておいて下さい」
「分かったわ。それじゃお願いね」
「分かりました」
デクスターはまず暖炉の大きな煙突へ向かう。
迷いのない動きで中に入り、手早く掃除を済ませる。作業に無駄がない。慣れた職人の手つきだった。
やがて外へ出る。
次は屋根だ。
軽く足をかけ、体を引き上げる。
音は立てない。
屋根の上に立つと、周囲を一度だけ見渡す。
誰も見ていない。
台所側の細い煙突へ近づく。
チムニーボールを垂らす。
ロープを煙突に巻きつけ、固定する。
そのまま――
ロープから手を離す。
屋根伝いに、二軒隣の家へ移る。
足取りは軽い。
迷いもない。
目的の家の煙突を覗く。
暖炉の火は入っていない。
一瞬だけ確認すると中へ滑り込む。
暗い煙突の中を、静かに降りていく。
足音はない。
呼吸すら、ほとんど感じさせない。
暖炉のすぐ手前で動きを止めると声が聞こえてきた。
「パターソンさん、お手数おかけしてすみません」
続いて、別の声。
「全くだ。お前たちがマイク・タッカーの始末に失敗したおかげで余計な手間がかかった」
デクスターは息を潜める。
一切動かない。
「すみません。しかし、パターソンさんが都市司令官に根回ししてくれたお陰でジェフリー・タッカーの殺害の件も併せて捜査は打ち切りになりました。ありがとうございます」
「ギルドの会合で値上げが決まったら、この件も含めて、それなりの見返りをもらうぞ」
「分かっております」
わずかな間。
「会合の決議の方は大丈夫なんだろうな?」
「はい。私とモーガンとで根回ししておりますし、ギルドのメンバーはギルド長である私の意見に従いますから大丈夫です。反対していたジェフリー・タッカーは死にました。あとはロドルフォに命じて今度こそ、マイク・タッカーを始末します。そうすれば反対する者はおりませんから確実に値上げできます」
「しっかり頼むぞ」
そこで会話は途切れた。
(なるほど。黒幕はパターソン。ギルド長とモーガンが手下でロドルフォってのが実行犯か……)
デクスターは動かない。
数秒。
さらに数秒。
完全に音が消えたことを確認する。
それから、ゆっくりと体を動かす。
音を立てないように。
煙突を登る。
屋根へ出る。
何事もなかったかのように元の家へ戻る。
チムニーボールを手に取り、作業を再開する。
ブラシが煤を削る音が、ようやく響く。
“本来の仕事”に戻る。
すべてを終え、屋内へ戻る。
落ちた灰や煤を丁寧に片付ける。
何もなかったかのように。
やがて女性に声をかける。
「奥さん、終わりましたよ」
女性が顔を出す。
「ご苦労様。これ代金ね」
デクスターはそれを受け取る。
「ありがとうございます」
にこやかに笑う。
それは、ただの煙突掃除人の顔だった。
デクスターは外に出ると一度だけ振り返るがそのまま歩き出す。
足取りは軽い。
だが、その目は先ほどまでとは違っていた。




