EP 5
自動引き落とし魔導陣の罠〜使っていない別荘は固定費の怪物です〜
「お、お嬢様ぁぁぁっ! 大変です! 金庫の魔導金庫から、何も買ってないのにお金が勝手に消えましたぁぁっ!」
翌朝、公爵家の執務室で昨晩の財務諸表を整理していた私の元へ、ミアが血相を変えて飛び込んできた。
息を乱すミアに手を引かれ、地下の宝物庫へ駆け下りると――。
重厚な鉄の扉の奥、金庫の石床に刻まれた幾何学模様の魔導陣が、ボウッと不気味な青白い光を放っていた。
シャリン、シャリン、カラン……。
誰も触れていないはずの金庫から、眩い純金貨がひとりでに宙へ吸い上げられ、魔導陣の中へと消えていく。
「ひゃあああっ! ほ、ほら見てください! 公爵家のお金が、お化けに食べられてますぅぅっ!」
「落ち着きなさいミア。お化けではありませんわ。これは銀行ギルドと魔導士ギルドが連携した、悪名高き【自動給送の魔導陣(自動引き落とし契約)】ですわよ」
私は胸元から銀縁眼鏡を取り出し、キリッと鼻梁へ押し上げた。
青白い光を見つめる私の瞳が、冷徹なハゲタカの光を宿す。
「自ら足を運んで支払う手間を省くための送金術式……現代で言うところの【サブスクリプション(定額自動引き落とし)】ですわね」
「さぶすく……? 自動でお金を払ってくれるなんて、すっごく便利な魔法じゃないですか!」
「おめでたいこと言っていちゃダメですわ、ミア! これこそが、無知な人間から富を永続的に搾り取る――【現代社会の吸血鬼】ですのよ!」
バァンッ! と執務机を叩き、私はミアを連れて豪奢な大広間へと向かった。
大広間のソファーでは、豪奢なローブをまとった三人の老人たちが、朝から最高級エルフワインのグラスを傾け、高価な焼き菓子をボロボロと絨毯にこぼしていた。
かつてアラン父様が『名門の体面』のためだけに雇い入れた、公爵家の専属顧問魔導師たちだ。
「おい、小娘。アラン公爵はどうした?」
リーダー格の老人、筆頭魔導師バルガスが、髭についた菓子の粉を払いながら尊大に言った。
「今月の顧問料の支払いが、まだ魔導陣から全額落ちておらんぞ。さっさと金庫に金貨を補充させんか。我ら高位魔導師の知恵と結界を借りたいのなら、礼儀というものを弁えよ」
ふんぞり返る三人の足元には、散らかった羊皮紙と空の酒瓶。
私は冷ややかに笑い、昨日父から奪い取った【全権委譲承諾書】をひらひらと見せつけた。
「お父様は隠居なさいましたわ。本日よりアークライト公爵家の財務および人事の全権は、このわたくしセシリアが掌握しております。そして――貴方たちに支払う金など、一リンたりともございませんわ」
「な、なんだと……!? 小娘が生意気な口を!」
激昂するバルガスたちを無視し、私は背後のノアに合図を送った。
白衣をまとい、眠たげにアメジストの瞳を瞬かせるノアが、特大の羊皮紙を壁一面にバサリと広げる。
「ノア様、ご苦労様ですわ。……さあミア、これをご覧なさい!」
「は、はいっ! 昨日のお屋敷の健康診断書(貸借対照表)とは違う表ですね……? これはいったい何ですかぁ?」
「これぞ企業の成績表――【損益計算書(プロフィット・アンド・ロス・ステートメント/PL)】ですわ!」
私は赤と黒の魔導ペンを走らせ、表の上部に『収益(入ってきたお金)』、下部に『費用(出ていったお金)』、そして一番下に『純利益(手元に残るお金)』と大きく書き込んだ。
「いいこと、ミア? 家計や企業の再建において、絶対に手を付けてはならない悪手があります。それは『食費を削る』『現場の給料を減らす』といった、日々の変動費をケチることですわ!」
「えっ!? 節約って、まずはご飯のおかずを減らしたりすることじゃないんですかぁ!?」
「愚の骨頂ですわ! そんな微々たる節約はストレスが溜まるだけで効果が薄く、現場の士気を破壊するだけです! 真の会計士が真っ先にメスを入れるべきは――何もしなくても毎月勝手に出ていく【固定費(固定支出)】の完全消殺ですのよ!」
私は黒のペンを魔導陣の契約台帳に突き刺した。
「この公爵家のPLを精査して驚愕いたしましたわ。我が家の銀行口座からは、毎月毎月、吐き気を催すほどの【幽霊サブスク】が垂れ流されておりましたの!」
「ゆ、幽霊サブスク……!?」
「ええ! まず第一に! 王都郊外、南の保養地、東の山間に建てられた、公爵家所有の使っていない豪華別荘三棟! 誰も住んでいない空き家なのに、『最高級魔導防護結界維持費』として、一棟あたり月三十万リン――合計で【月九十万リン(年間一千八十万円)】が自動引き落としされておりましたわ!」
「い、一千万円……!? 誰もいないお家にですかぁ!?」
「そうよ! 最後に父が別荘に行ったのは三年前だそうですわ! 誰も吸わない空気を守るために、なぜ毎年一千万円もの金をドブに捨てねばなりませんの!?」
さらに私は、埃をかぶった分厚い冊子の山をドンッと机に叩きつけた。
「そして第二! 王立印刷所から毎月送りつけられてくる『王立貴族名鑑・魔導速報』の定期購読料――【月十万リン(年間百二十万円)】! 一度も読まれず、包装用の麻紐すら解かれずに地下室でカビを生やしておりましたわ!」
「うわぁぁ……! ポストに入れっぱなしで読まないチラシにお金払ってるようなものですぅ……!」
「そして極めつけが――そこのソファーで朝から酒を飲んでいる、穀潰しの顧問魔導師たちですわ!」
私の冷徹な視線が、バルガスたち三人を射抜いた。
「何の研究成果も出さず、屋敷の巡回すらメイドに丸投げし、ただ席に座っているだけで一人あたり月五十万リン……三人合わせて【月百五十万リン(年間一千八百万円)】! これら無駄な固定費の合計は、実に――【月額二百五十万リン(年間三千万円)】に達しておりますのよっ!!」
ミアが両手で頭を抱えて叫んだ。
「さ、さんぜんまんえん……!? ただ息をしてるだけで、毎年お屋敷が一件買えるくらいのお金が消えてたんですかぁぁぁっ!?」
「だ、だまりおれ小娘がぁっ!」
バルガスが顔を真っ赤にして立ち上がった。
「我ら高位魔導師が展開する古代結界があるからこそ、この公爵邸は魔獣や賊の襲撃から守られておるのだ! 結界を止めれば、今夜にでも屋敷は賊に襲われ、火の海になるぞ! 年三千万円など、安全保障の経費として当然の対価だ!」
老魔導師たちが勝ち誇ったように鼻を鳴らす。
知識のない貴族なら、「安全のためなら仕方ない」と恐怖に屈していただろう。
――だが。
「……あの、すみません」
ぼそりと、静かで透き通った声が室内に響いた。
前に進み出たのは、無造作な黒髪の青年――ノアだった。
ノアは手元にあった簡易型の魔導測定器をパチンと鳴らすと、空中に青白い立体的な魔力波形を投影した。
「君たちの張っているその結界……術式の基本構造が五十年前の旧式規格ですよ。魔石エネルギーの九十五パーセントが熱として大気中に無駄に放射されていて、防護障壁としての強度は木板一枚分もありません。エネルギー効率があまりにも劣悪すぎます」
「な、なんだと貴様!? どこの馬の骨とも知れぬ若造が、我らの秘術を愚弄するか!」
「事実を言っているだけです」
ノアは感情のこもらないアメジストの瞳で、淡々と羊皮紙の数式を指差した。
「屋敷の外壁の術式を確認しましたが、四隅の結界杭はすでに魔力枯渇でひび割れ、防護壁には直径二メートルの穴が三箇所空いています。これでは魔獣どころか、野良猫の侵入すら防げません。……それから、毎月申請されている結界維持用の高純度青魔石ですが、市場価格の三倍で架空計上されていますね。納品された安物の魔石との差額……どこへ消えたんですか?」
「うぐっ……!? な、なぜそれを……!?」
バルガスたちの顔から、サーッと血の気が引いていく。
私は眼鏡のブリッジをクイと押し上げ、獲物を追い詰めたハゲタカの笑みを浮かべた。
「中抜き、お疲れ様でしたわね。業務不履行および横領の証拠は、ノア様の解析によって全てエビデンスとして記録いたしました。――これにサインなさい!」
バシィッ! と机に叩きつけられたのは、赤インクで几帳面に記された『顧問契約即時解除通知書』だった。
「本日ただ今をもって、貴方たち三人全員を【即日解雇】いたします! 別荘の結界契約も、読まない新聞も、魔導陣の自動引き落としは今この瞬間に全件アクセス遮断・完全解約いたしましたわ!」
「ふ、ふざけるな! そんな勝手が許されるか!」
「文句があるなら王立裁判所へどうぞ? 過去三年間にわたる魔石代の水増し請求分、金貨百八十枚(一千八百万リン)の損害賠償請求訴訟を即座に提起して差し上げますけれど、受けて立ちますかしら?」
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっっ!!」
横領が公になれば、魔導士ギルドを永久追放され牢獄行きだ。
三人の老魔導師たちは泡を吹いて腰を抜かし、這々の体で大広間から逃げ出していった。
静まり返る大広間。
床の魔導陣の光は完全に消え去り、金庫からの金貨の流出はピタリと止まっていた。
「す、すごすぎますお嬢様ぁぁぁっ!」
ミアがぴょんぴょんと飛び跳ねながら、計算用紙を抱きしめて歓声を上げる。
「本当に、毎月二百五十万リン……年間で【三千万リン(約三千万円)】ものお金が浮いちゃいましたぁぁっ!」
「ええ! いいこと、ミア? 年間三千万リンの利益を事業で増やそうと思えば、どれほど過酷な営業と売上が必要か分かりますこと? 利益率が十パーセントの商売なら、三億リンもの売上を立てなければ手に入らない数字なのよ! それを『不要な固定費の契約を切るだけ』で、ノーリスクで手元に残せる……これこそが家計再建の絶対奥義ですわ!」
「固定費削減、最強すぎますぅぅっ!」
大興奮のミアの横で、私はくるりと振り返り、ノアの前に立った。
「さて、ノア様。屋敷の防護結界に大穴が空いたままでは、さすがにセキュリティ上問題がありますわ。そこで提案ですの」
「俺に……ですか?」
「ええ。アークライト公爵家の【首席魔導工学者】として、屋敷全体の魔導インフラの再構築および結界管理の全権をお任せいたします。報酬として、月給【三十万リン(約三十万円)】、および公爵邸最上階のテラス付き特別室を、貴方専用のプライベート研究室として無償貸与いたしますわ!」
私の胸の内では、そろばんの弾ける音が鳴り響いていた。
(ふふふ……前任の無能魔導師三人に払っていたのは月百五十万リン。それを世界最高峰の頭脳を持つノア様一人に月三十万リンで集約すれば――毎月百二十万リンの純コスト削減! しかも屋敷の結界は最新鋭になり、ノア様の発明品を公爵家が一番乗りで実用化できる! 圧倒的な費用対効果(ROI)、完璧な人員配置ですわ!)
私が打算百パーセントの悪役令嬢スマイルを浮かべていると――。
「…………っ」
ノアが息を呑み、アメジストの瞳を大きく見開いた。
そして、その白皙の頬をカッと赤く染め、信じられないものを見るかのようにプルプルと震え始めたのだ。
「月給……三十万リン……? 俺の工房の、半年分の生活費だ……。それだけでなく……日当たりの良い最上階に、俺だけの研究室まで……?」
「え、ええ。不足でしたかしら? 成果が出れば、特許のロイヤリティからさらにインセンティブを……」
「不足なわけが、あるはずないでしょう……っ!」
ノアが一歩踏み込み、私の両手をギュッとその長い指で包み込んだ。
至近距離で見つめ合う形になり、彼の熱い呼気が私の前髪を揺らす。
その瞳に宿っているのは、打算への怒りなどではない。
魂をまるごと差し出すかのような、狂気的なまでの感謝と崇拝の光だった。
「実家を追われ、誰からも『金食い虫の出来損ない』と罵られてきた俺に……こんな破格の待遇と、温かい居場所を与えてくださるなんて……。セシリア様、あなたは本当に……神か何かなのですか……っ!?」
「は、はい……!? か、神……!?」
ちょっと待ちなさい!
私は人件費を八十パーセントも安く買い叩いてほくそ笑んでいた極悪経営者ですわよ!?
「セシリア様。俺の魔力も、技術も、この命の鼓動さえも……すべてあなたのものです。あなたが望むなら、この屋敷どころか、王都全土を覆い尽くす不可侵の恒久結界だって一人で編み上げてみせます。生涯、あなたのお側で尽くさせてください……!」
「ひゃっ、お、重い! 感情の出力が高すぎますわノア様ーーーっっ!!」
「きゃあぁぁぁっ! お嬢様、ノア様の愛の魔力濃度が限界突破してますぅぅっ!」
赤面してジタバタと手を引き抜こうとする私と、満面の笑みで茶化すミア。
しかしその時――私の目は、ノアの顔に刻まれた『ある異変』を捉えていた。
整った国宝級の美貌。だが、その目の下には濃い青黒い隈が張り付き、肌は青白く、手首は驚くほど細い。
ふらり、とノアの身体が微かに揺れたのを、私は見逃さなかった。
「……ノア様? 貴方、最後にまともに栄養のある食事を摂り、ベッドで眠ったのはいつですの……?」
「え……? ええと……回路の計算に没頭していたので……三日前の朝に、固い黒パンの耳をかじったくらいでしょうか……」
「なんですってぇぇぇぇぇぇっっっ!?」
私の雷鳴のような絶叫が、大広間に響き渡った。
「三日徹夜で絶食ですって!? 冗談じゃありませんわ! 貴方は我が社の時価総額を左右する、替えの利かない【最重要無形固定資産(人的資本)】ですのよっ! そんな粗末な扱いをして過労死でもされたら、公爵家にとって何百億リンの特別損失(減損処理)になると思ってますのっ!」
「えっ……? あ、あの、セシリア様……?」
目を丸くして戸惑うノアを、私はビシッと指差した。
「ミア! 今すぐ厨房に最高級のステーキと野菜スープを用意させなさい! それから一番ふかふかの高級羽毛布団をノア様の部屋へ運び込むのです! 本日より、ノア様の健康管理はわたくしが二十四時間体制で徹底監査いたしますわよっ!」
無駄な固定費を秒で削り落とした悪役令嬢の次のターゲット――それは、ボロボロの天才魔導師に対する、打算百パーセント(?)の徹底的な健康投資だった――!
【巻末付録】セシリアお嬢様の3行マネー講座
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読んでいただきありがとうございます。
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