EP 3
路地裏の割安放置株!不良債権を切って天才魔導師ノアにエンジェル出資しますわ
夜会が開かれていた王宮のきらびやかな喧騒から離れ、ガタゴトと揺れる馬車は王都の裏通りへと滑り込んでいた。
華やかな大通りとは打って変わり、街灯の魔石も薄暗く、煤煙と古びた鉄の匂いが漂う職人街の路地裏だ。
「お、お嬢様ぁ……! こんな真夜中に、こんな治安の悪そうな裏路地へ何をしに行くんですかぁ!? さっき王太子殿下からぶんどっ……じゃなくて、回収したばかりの大金貨三十枚(三千万リン)を奪われたらどうするんですかっ!」
馬車の座席で、ミアが革張りのトランクを必死に抱きしめながら小刻みに震えている。
私は窓の外を流れる陰気な街並みを眺めながら、フッと不敵な笑みを漏らした。
「ミア、投資の世界にはね、『他人と同じ場所でお金を動かしていては、平凡なリターンしか得られない』という絶対の心理がありますのよ」
「へ、へいぼんなりたーん……?」
「そう。皆が群がる人気の一等地に眠るお宝など、とうの昔に高値で買われ尽くしていますわ。真の投資家が目を光らせるべきは――誰も見向きもしない泥沼の底に転がっている、不当に安値で放置された【ダイヤモンドの原石】ですのよ!」
私が前世で培った会計士の嗅覚、そして原作知識の記憶が告げている。
この先の薄汚れた区画に、現代日本の産業革命すら凌駕する規格外の頭脳を持ちながら、誰にも理解されず借金の海に沈みかけている【世界一の割安放置株】が眠っていることを!
「御者、そこで止めなさい!」
馬車を降りた私の耳に、すぐさま薄汚れたレンガ造りの工房から響く怒号と、下卑た笑い声が飛び込んできた。
「おいノア! とぼけるのもいい加減にしろよ!」
「今日が期日だぞ、ヴァレンタイン男爵! 借りた【金貨十枚(百万リン)】を耳を揃えて返してもらおうかぁ!」
半開きになった工房の扉の隙間から中を覗き込む。
床には無数の羊皮紙の設計図や青い魔石の破片が散らばり、薄暗い作業台の前で数人の筋骨隆々な取り立て屋たちが、一人の青年を取り囲んでいた。
「……金なら、もう少し待ってくれと言ったはずだ。この新型回路の動作実験が成功すれば、従来の魔石消費量を十分の一に抑えられる……そうすれば、返済の目処は必ず立つ……!」
絞り出すように答えたのは、くたびれた白衣を着崩した黒髪の青年だった。
無造作に伸びた前髪の隙間から覗くのは、底知れぬ知性を秘めた深いアメジストの瞳。
徹夜続きなのだろう、目の下には薄い隈が刻まれているが、その彫りの深い端正な顔立ちは、泥を拭えば国宝級の輝きを放つことが一目でわかる。
彼こそが――ノア・ヴァレンタイン。
没落した名門魔導貴族の当主にして、人類の常識を覆す天才魔導工学者。
そして――現国王が市井の女性に産ませたため、宮廷闘争の火種として徹底的に冷遇・放置されている『第三王子』その人だった。
「ケッ! どこの工房も相手にしねぇ絵空事のゴミ回路なんざ、誰が待てるかよ!」
ガストン大商会傘下の悪徳金融ギルドの男が、唾を飛ばしながら一枚の契約羊皮紙を突きつけた。
「今すぐ耳を揃えて百万リン払えねぇなら、契約書通り、この工房の土地建物と、そのオモチャみてぇな『超省エネ魔導回路』とやらの設計図の全権利を俺たちにタダ同然で引き渡せ! それで借金百万リンをチャラにしてやるよ!」
「ふざけるな……! この回路は、俺の人生の全てだ……! 百万人を救えるはずの技術を、そんな二束三文で手放してたまるか……!」
「なら今すぐ金を出せって言ってんだよ、貧乏男爵がぁっ!」
男がノアの胸倉を掴み上げ、殴り飛ばそうと拳を振り上げた――その時。
「――そこまでですわ、見苦しい強盗まがいのハイエナたち!」
バァンッ! と音を立てて私が工房の扉を蹴破ると、室内の全員が凍りついたように動きを止めた。
月光を浴びて煌めくプラチナブロンド、王宮夜会用の最高級シルクドレス、そして冷徹なサファイアブルーの瞳。
私は銀縁の眼鏡をスッと指先で押し上げ、獲物を狙うハゲタカの笑みを浮かべてずかずかと土足で踏み込んだ。
「あ、あぁぁん!? なんだこのド派手な金持ちの小娘は!?」
「無礼者! こちらをどなたと心得るのですか! エルディア王国が誇る名門、アークライト公爵家のセシリア令嬢様ですわよっ!」
後ろからトランクを抱えたミアが、ここぞとばかりに胸を張って叫ぶ。
公爵家の名を聞いた瞬間、取り立て屋たちの顔色がサッと青ざめた。
「せ、セシリア……公爵令嬢……!? な、なぜこんなゴミ溜めみたいな工房に……!?」
「通りがかりですわ。……ですが、あまりにも杜撰で不公正なディスカウント取引を見過ごすわけにはまいりませんものね」
私は散らばった設計図の一枚を拾い上げ、瞬時に眼球を走らせた。
幾何学的な魔導術式と、極限まで無駄を削ぎ落とした論理構造。
前世の公認会計士として無数の特許技術や製造ラインの原価計算書を見てきた私の脳内で、恐るべき数字が弾き出される。
(……素晴らしいわ! 従来の魔石エネルギー伝達ロスを九割カットする並列魔導回路……! これが実用化されれば、王国の全工場の動力費、街灯の維持費、魔導列車の運行コストが三分の一に激減する! 潜在的な市場規模は、低く見積もっても年間数百億リン……!)
私の胸が高鳴った。
こんな超弩級の技術革新の塊が、たった金貨十枚(百万リン)の借金のために闇に葬られようとしていただなんて!
「ミア、トランクから【大金貨一枚(百万リン)】を出しなさい」
「えっ!? ひゃ、百万円ですかぁっ!?」
ミアがおろおろと取り出した、眩い魔導刻印入りの大金貨。
私はそれを指先で弾き、取り立て屋のリーダーの足元へチャリンと転がした。
「ひゃ、百万リン……本物の大金貨……!?」
「ノア・ヴァレンタイン男爵が貴方たちに負っている元利合計百万リン、アークライト公爵家が第三者弁済として全額即時決済いたしましたわ。さあ、借用証書の原本をこちらへ渡し、一秒以内にこの工房から立ち去りなさい!」
「ひっ……! た、助かったぁぁぁ!」
男たちは大金貨を拾い上げ、転がるようにして夜の闇の中へ逃げ出していった。
静まり返る工房。
床に座り込んだままのノアが、茫然と私を見上げている。
「あ、あなた……は……? なぜ、俺なんかの借金を……? 名門公爵家の令嬢が、何の得があってこんなことを……?」
戸惑いと警戒に満ちたアメジストの瞳。
ミアも横から、不思議そうに首を傾げて尋ねてきた。
「そうですよう、お嬢様! 王太子殿下からせっかく取り返した大切なお金なのに、見ず知らずの人の借金をポンと肩代わりしちゃうなんて……お嬢様は実は、すっごくお人好しなんですか?」
「お人好し? 心外ですわね、ミア!」
私は鼻先で笑い飛ばし、眼鏡のブリッジをクイと押し上げた。
「いいこと、ミア? これぞ資本主義の醍醐味にして、富豪への最短ルート――【バリュー株(割安放置株)投資】ですわ!」
「ばりゅーかぶ……?」
「そう! 世界一の投資家ウォーレン・バフェットの言葉に『価格とは支払うもの、価値とは得るものだ』という至言がありますの! 世の中には、中身がスッカラカンなのに見栄えだけで超高値がついているゴミ企業がある一方、中身は神がかった実力があるのに、広報不足や一時的な資金難で不当に安値で叩き売られている『お宝企業』が存在しますのよ!」
「お、お宝……! じゃあ、ノア様はそのお宝なんですか!?」
「お宝どころの騒ぎではありませんわ! この超省エネ魔導回路の特許価値は、将来的に数十億、下手をすれば数百億リンのキャッシュを生み出す金の卵! それをたかだか百万リンで買い叩けるなんて、時価純資産の万分の一以下で放置されている超絶ディープバリュー株をドブから拾い上げるようなものですわ!」
ハゲタカの目で熱弁を振るう私に、ノアは呆気にとられたように瞬きを繰り返した。
「……俺の、回路の価値が……わかるのか……?」
「当たり前ですわ。数字と将来のキャッシュフローは嘘をつきませんもの!」
私は歩み寄り、ノアの埃まみれの作業台の上に、ドンッ! と重たいトランクを丸ごと乗せて蓋を跳ね上げた。
目も眩むような大金貨の山が、夜の工房を黄金色に照らし出す。
「な……っ!? 大金貨が……こんなに……!?」
ノアが息を呑む。
私はサファイアの瞳を妖しく光らせ、人差し指をピシッと突きつけた。
「ノア・ヴァレンタイン男爵! 先ほどの借金肩代わりなど、単なる前座にすぎませんわ。アークライト公爵家は、貴方の研究開発に対し――手元資金から【金貨百枚(一千万リン)】のエンジェル出資を執行いたします!」
「い、一千万円の出資ぃぃぃっ!?」
ミアの悲鳴のようなツッコミが響く。ノアも顔色を変えて立ち上がった。
「ま、待ってくれ! 一千万リンなんて巨額の資金、俺には背負いきれない……! なぜそこまで……!?」
「勘違いしないでくださる? これは慈善事業でも寄付でもありませんわ。立派なビジネスです! 出資の絶対条件として、貴方がこれから立ち上げる新会社――アークライト・ヴァレンタイン魔導研究所の【株式の五十一%(支配権)】を我が公爵家に譲渡していただきますわ!」
「か、株式の……五十一%……?」
「ええ! ミア、ここが試験に出る超重要ポイントですわよ!」
私はミアに向き直り、黒板を叩く教授のようにビシッと解説した。
「会社の意思決定は、株主総会の多数決で決まります。全体の二分の一を超える【五十一%】の議決権を握るということは、取締役の選任や解任、事業方針の決定など、会社の経営支配権を完全に掌握することを意味しますのよ! これにより、先ほどの悪徳商会のようなハイエナどもが裏から買収を仕掛けてきても、一瞬で叩き潰せる鉄壁の防壁となるのです!」
「す、すごいです……! 出資して助けるだけじゃなくて、悪い人たちから会社を丸ごと守る城壁まで作っちゃうんですね……!」
(ふふふ……表向きはそういう美談にしつつ、実態は将来時価総額数兆リンに化ける超有望技術の富と権利を、公爵家が永久に半永久的に独占するためですけれどね! 資本主義の掟、最高ですわ!)
私が内心で悪役令嬢らしく舌なめずりをしていると――。
不意に、ノアがフラリと私へと歩み寄ってきた。
長身の彼に見下ろされ、影が私を包み込む。
(な、なんですの……? 経営権の過半数を要求されて、怒って殴りかかってくる気かしら……!?)
身構えた私の手元へ、ノアの節くれだった温かい両手がそっと伸びてきた。
そして――私の指先を、壊れ物を扱うかのように優しく包み込んだのだ。
「……え?」
見上げると、ノアの深いアメジストの瞳が、熱を帯びて潤んでいた。
その表情には、怒りなど微塵もない。
まるで、深い暗闇の底で光を見た巡礼者のような、圧倒的な崇拝と熱情が宿っていた。
「……今まで、誰も俺の回路を認めなかった。出来損ないの第三王子だと蔑まれ、実家からも見放され……悪徳商人に技術を奪われそうになっていた俺に……」
「ノ、ノア様……?」
「全財産のような大金を差し出し、俺の技術の価値を誰よりも理解し……そして、生涯離れられない絆(五十一%の支配権)で、俺をあなただけのものにしてくれるというのですね……」
「……は? き、絆……?」
ちょっと待ちなさい。
株式の過半数取得は、冷酷な資本の論理に基づいた企業買収(M&A)の初歩ですわよ!?
「セシリア様……。あなたが『作れ』と仰るなら、俺は神の領域の魔導具だって形にしてみせます。俺の技術も、頭脳も、この命の鼓動さえも……すべてあなたの資産の一部です。好きに使ってください」
至近距離で囁かれた低く甘い美声と、触れ合う指先の熱に、私の理性がショートしかけた。
(重い! 重いわノア様!! 打算百%の投資契約を、生涯の愛の誓いみたいに解釈しないでくださるーーーっっ!?)
「お、お嬢様ぁっ! ノア様がすっごく熱い目で見てますよぅ! これって実質プロポーズじゃないですかぁ!?」
「だ、黙りなさいミア! これは純粋な資本業務提携ですわっ! ゴホンッ、と、とにかく契約は成立ですわね! ノア様、今すぐ研究機材をまとめて我が馬車に乗りなさい!」
私は真っ赤になりそうな顔を必死に誤魔化し、扇子で胸元をパタパタと仰ぎながら命じた。
「我が公爵家の再建計画・第二フェーズ――【超有望スタートアップの買収と、最強の共同開発体制の構築】は完了いたしましたわ! さあ、屋敷へ帰りますわよ!」
「はい、セシリア様。あなたの行く場所なら、地の果てでもお供します」
無駄に麗しい笑みを浮かべて頷くノアを従え、私たちは夜の王都を馬車で駆け抜ける。
手元資金は残り二千万リン弱。
だが、手に入れた頭脳と技術の価値は無限大だ。
(待っていなさい、お父様……! 今夜のうちに公爵家の財務諸表を完全に丸裸にして、明日から容赦なき大リストラと固定費削減の嵐を巻き起こして差し上げますわよ……っ!)
馬車の窓から夜空を見上げ、私は冷徹な会計士の笑みを再び滾らせるのだった――。
【巻末付録】セシリアお嬢様の3行マネー講座
「価格」と「価値」は全く別物ですわ! 見た目の豪華さに騙されず、将来どれだけのキャッシュを生み出すかという「本質的価値」を見抜く目を養いなさい!
安易に株式(経営権)を手放してはなりませんことよ! 資金調達の際、株式の過半数(51%以上)を他人に渡すと、会社を合法的に乗っ取られてしまいますわ!
最もリターンが大きいのは「才能ある人間」への投資ですわ! 設備や贅沢品に浪費する暇があるなら、将来を切り拓く知識・技術・人的資本にお金を投じなさい!
読んでいただきありがとうございます。
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