EP 8
社交界のサロン開設〜富裕層マーケティングと限定5台の法則〜
「まあ、アークライト公爵令嬢。お噂はかねがね伺っておりますわ。なんでも、平民向けのランプ売りやコンロ配りで小銭稼ぎに精を出していらっしゃるとか。名門公爵家ともあろうお方が、随分と泥臭い『行商ごっこ』に身をやつしていらっしゃるのね。オホホホ!」
王都随一の高級住宅街に佇む、豪奢な白亜の館――ローゼンバーグ侯爵邸の大サロン。
天井を埋め尽くすクリスタルシャンデリアの下、扇子を揺らしながら冷笑を浮かべていたのは、王都の最高格式サロン『白百合会』の筆頭幹事、ローゼンバーグ侯爵夫人だった。
周囲を取り囲む数十人の大貴族の貴婦人たちからも、クスクスと嘲笑混じりの囁きが漏れ聞こえる。
「平民に媚びを売って売上を伸ばすなんて、貴族の品格を疑いますわね」
「エドワード殿下に婚約破棄されたショックで、商売人の真似事しかできなくなってしまったのかしら」
針のような侮蔑の視線。
後ろでトランクを抱えていた専属メイドのミアが、小鹿のようにカタカタと震え上がった。
「ひ、酷すぎますぅ……! あんなに意地悪なマウントを取ってくるなんて、やっぱり貴族のおば様方は怖すぎますよぅ……!」
ミアが小声で泣きついてくる。
だが、招かれた私――セシリアは、動じるどころか優雅に淑女のカーテシーを一礼してみせた。
「ごきげんよう、ローゼンバーグ侯爵夫人。皆様が私の商売にご関心をお寄せくださり、大変光栄ですわ」
その瞬間――サロン中の貴婦人たちの嘲笑が、ピタリと止まった。
彼女たちの視線が、私の『顔』へと釘付けになったからだ。
プラチナブロンドの縦ロールの下、陽光を浴びて発光するかのような、透き通る白磁の肌。
くすみも毛穴も小じわも一切存在しない、内側からみずみずしい光を放つ圧倒的な陶器肌。
前世の公認会計士時代に培った科学的スキンケア理論と、ノアが開発した最新の魔導波長トリートメントによって磨き上げられた、異次元の美貌である。
「な……なんですの、そのお肌は……!?」
「厚塗りのおしろいでは決して出せない、内側からの異様な透明感……!」
侯爵夫人の目が、羨望と焦燥で見開かれた。
美と若さに何百万円も注ぎ込んできた貴婦人たちにとって、目の前の十八歳の輝く素肌は、何よりも抗えない猛毒の果実だったのだ。
「オホホ……皆様、お目が高いですわね」
私は胸元から銀縁眼鏡を取り出すと、キリッと鼻梁へ押し上げた。
サファイアブルーの瞳の奥で、富裕層の分厚い財布を丸呑みにするハゲタカの目がギラリと覚醒する。
「ノア様、例の物をお出しなさい」
「了解しました、セシリア様」
白衣を脱ぎ、上質な燕尾服に身を包んだノアが、恭しくベルベットの小箱をテーブルの上へ置いた。
パチン、と留め金を外すと、中から現れたのは――白銀とローズゴールドの流線型フレームに、親指大のピンク魔導水晶が埋め込まれた、手のひらサイズの美しい器具だった。
ノアの特許第一号である並列共振回路を応用した、世界初の魔導美顔器――『アークライト・ヴィーナス』である。
「まあ……! なんて可憐な魔導具ですの! それは一体何ですの、セシリア様!?」
「これこそ、我が社が極秘裏に開発した【細胞活性型・魔導超音波リフトアップ美顔器】ですわ」
私は優雅に美顔器を指先で持ち上げた。
「肌の深層部へ微弱な魔導パルスを送り、滞った魔力リンパを流し、たるんだ筋肉組織を分子レベルで引き締める……いわば、塗る化粧水の一万倍の浸透力を誇る、奇跡の若返りツールですのよ」
「わ、若返り……!?」
ざわり、とサロンが波打つ。
私はすかさず、目元のたるみとほうれい線に悩むローゼンバーグ侯爵夫人へ歩み寄った。
「奥様、百聞は一見にしかずですわ。よろしければ、右半分のお顔だけでお試しになりませんか? わずか三分で結構です」
「え、ええ……? そ、そこまで言うのなら、試してあげてもよろしくてよ……!」
半信半疑の侯爵夫人の右頬に、私はノアに魔力を微弱に通させた美顔器のヘッドを滑らせた。
キィィィィン……と、心地よい微小な共鳴音が響く。
ほんのりと温かい魔導熱が肌を包み込み、リンパの詰まりを心地よく解きほぐしていく。
そして――きっかり三分後。
「お、奥様……鏡をご覧くださいませ……!」
メイドが恐る恐る差し出した手鏡を覗き込んだ瞬間、侯爵夫人の喉から、貴婦人らしからぬ絶叫が上がった。
「な……ななな、なんじゃこりゃあぁぁぁぁぁっっ!?」
「「――きゃあああああああっっ!?」」
周囲の貴婦人たちからも、悲鳴のような歓声が爆発した。
鏡に映っていたのは、右半顔だけがまるで十年前のようにピンと引き上がり、目元の小じわが消え去り、ほうれい線が浅くなって頬のトップが高くリフトアップされた――信じがたい奇跡の姿だった!
「嘘でしょう!? 私の目尻のシワが消えているわ! 触ると赤ちゃんのほっぺみたいにプルプルよ!?」
「右と左でお顔の若さが全然違うわ! 右だけ二十代に戻っているじゃないの!」
興奮で鼻息を荒くした貴婦人たちが、ドレスの裾を乱して私へと殺到してきた。
「セシリア様! それ、いくらなの!? 金貨一枚(十万リン)? 金貨二枚(二十万リン)かしら!?」
「私、今すぐ現金で払うわ! 私に売ってくださいな!」
金貨袋を振り回す貴族夫人たち。
その殺気立った熱狂の渦の中で、白衣のノアが私の袖をそっと引き、耳元で小声で囁いてきた。
「……セシリア様。あの美顔器、外装の真鍮と水晶、回路の製造原価は、提携工房で量産すれば一台あたり【一万リン(約一万円)】で作れます。庶民向けのランタンの二倍の価格……一台【二万リン(約二万円)】程度で売り出せば、一台で一万リンの十分な利益が出ますが……」
自らの技術に傲ることなく、真面目な顔で原価積み上げの適正価格を提示する技術屋のノア。
だがその瞬間――私の脳内で、前世の敏腕公認会計士の理性がバリバリと雷鳴を轟かせた。
ビシィッ!
「ひゃぅっ!?」
私の愛用の扇子が、鋭い風切り音とともにノアの額を直撃した。
「せ、セシリア様……!?」
「愚か者っ!! 寝言はベッドの中で仰いなさいと言いましたはずですわよ、ノア様っっ!!」
私の雷鳴のような一喝が、サロンの空気をビリビリと震わせた。
額を押さえて目を白黒させるノアと、背後で耳を塞ぐミア。
私は銀縁眼鏡のブリッジをクイと押し上げ、ハゲタカの目をギラリと覚醒させた。
「ノア様、貴方が今おっしゃったのは、マーケティングの神髄をこれっぽっちも理解していない三流商人の大暴挙ですわっ! 富裕層ビジネスにおいて『安売り』を仕掛けることほど、ブランドを一瞬でゴミ箱へ叩き落とす愚行はありませんことよ!」
「や、安売りがダメ……!? お嬢様、二万円でも原価の倍なんですよぅ!? 安くした方がみんな喜んで買ってくれるんじゃないですかぁ!?」
ミアが涙目でツッコミを入れてくる。
私は持参した黒板スタンドをガラガラと引き寄せ、チョークを手に取って激しい音を立てて書き殴った。
「いいこと、ミア? 一般大衆向けの『日用品』と、富裕層向けの『ステータス品』では、価格に対する人間の心理法則が【百八十度完全に逆転】いたしますのよっ!」
カツンッ! とチョークが粉を散らす。
「経済学者ヴェブレンが提唱した、富裕層心理の絶対法則――【ヴェブレン効果(顕示的消費の逆説)】を教えて差し上げますわ!」
「ヴ、ヴェブレン……?」
「そう! 通常の経済学では『価格が下がれば需要が増える』のが常識ですわね。しかし! 富裕層の贅沢品市場においては――【価格が高ければ高いほど、自らの富と地位を見せびらかしたいという虚栄心(顕示欲)が刺激され、かえって需要が爆発的に跳ね上がる】という怪現象が起きるのですわっ!」
「ひゃあああっ!? 高ければ高いほど欲しくなるんですかぁ!?」
「その通りよ! もしこの美顔器を『一台二万リンのお手頃価格です』と売ってみなさい! 彼女たちはこう言いますわ。『あら、平民の小娘でも買える安物ですの? そんな粗悪品、私の高貴なお肌につけたら荒れてしまいますわ』とね!」
「うわぁぁ……! すっごく言いそうですぅ……!」
ミアが胸を押さえて震え上がった。
私はチョークを走らせ、黒板に第二の心理法則を叩きつけた。
「さらに! これに拍車をかけるのが【スノッブ効果(希少性への渇望)】ですわ!
人間はね、『誰もが持っている大衆品』を嫌い、『自分しか持っていない限定品』に狂おしいほどの価値を感じる生き物なのです!
ならば――富裕層の財布の紐を木っ端微塵に破壊する、絶対無敵のプライシング戦略はただ一つ!」
私はチョークを踊らせ、黒板の中央に極太の黄金文字を叩きつけた。
【定価:金貨十枚(百万リン/約百万円)】
【※完全限定生産:今月は選ばれし『限定5台』のみの販売】
「「――ひ、百万リンで、限定5台ぃぃぃっ!?」」
ミアとノアの悲鳴が重なった。
原価一万リンの美顔器を、きっかり【百倍の価格】に設定し、さらにたったの五台しか売らないという極限の絞り込み!
「お、お嬢様ぁっ! 百万円なんて、小さな家が一軒建っちゃいますよぅ!? しかもたった五台しか売らないなんて、暴利にも程がありますぅぅっ!」
「甘いですわ、ミア! 現実をご覧なさい!」
私が黒板をドンッ! と平手で叩き、サロンの貴婦人たちへ向き直った瞬間――。
サロンの空気は、暴動前夜の闘技場のような凄まじい熱気に沸騰していた!
「百万リン……! なんてお安いですの!」
「そうよ! エルフの秘薬を何年も飲み続けるより、一瞬で十歳若返るこの機械が百万リンなんて、実質タダみたいなものだわ!」
「それより限定五台ですって!? セシリア様、私が買います! ローゼンバーグ侯爵家の名にかけて、今すぐ金貨十枚を耳を揃えて払いますわ!」
「抜け駆けはずるいわよローゼンバーグ夫人! 我が伯爵家は金貨十五枚出しますわ!」
「私は二十枚よ! 今すぐ私に渡しなさい!」
我先にと大金貨の詰まった革袋がテーブルの上に叩きつけられ、貴婦人たちがドレスの裾を踏み合いながら美顔器を奪い合う阿鼻叫喚のオークションが勃発したのだ!
「ひ、ひゃああああああああっっ!?」
ミアが両手で頭を抱えて椅子から転げ落ちそうになった。
「う、奪い合ってるぅぅぅっ!? 百万円なのに! 取り合いになって価格が吊り上がってますぅぅっ!」
「お分かりになりましたかしら、ミア、そしてノア様!」
私は眼鏡のブリッジをクイと押し上げ、不敵なハゲタカの笑みを浮かべた。
「富裕層が買っているのは、美顔器という『金属の塊』ではありませんの!
彼女たちが買っているのは――『社交界の誰よりも若く美しく輝き、他人に強烈なマウントを取ることができるという【優越感とステータス】』そのものですわ!
原価一万リンの機械に、九十九万リンの【ブランド価値】を乗せて売る……! これぞ、利益率九十九%を叩き出す【富裕層マーケティングの極意】ですわっっ!!」
結果――用意していた限定五台の『アークライト・ヴィーナス』は、わずか三分で完全完売!
金貨五十枚――【五百万リン(約五百万円)】の純キャッシュが即座に回収されただけでなく、手に入らなかった三十人以上の貴婦人たちによる「次回納品の予約名簿」が、半年先までぎっしりと埋め尽くされたのだった!
サロンの熱狂を後にし、夕暮れの王都を走る公爵家の豪奢な馬車の中。
座席の上には、本日一日で得られた純利益――大金貨五十枚が詰まった重厚な革袋がドスンと鎮座していた。
「ふぅ……。原価五万リンの機械五台で、純利益四百九十五万リンのキャッシュイン。しかも社交界のトップ夫人の肌を片側だけ若返らせて歩く広告塔に仕立て上げましたから、明日から王都中の大貴族の奥方たちが我がサロンへ金を握りしめて押し寄せてきますわね」
私が扇子をパタパタと仰ぎながら、早期リタイア(FIRE)への順調な不労所得の積み上がりにほくそ笑んでいると――。
すっ、と隣から熱く甘やかな気配が近づいてきた。
「……セシリア様」
振り返ると、ノアがその彫刻のように整った長身を折り曲げ、至近距離から潤んだアメジストの瞳で私を見つめていた。
夕陽に照らされたその美貌は、息を呑むほど神々しく、切れ長の瞳には純度百パーセントの熱情と信仰が渦巻いている。
「ノ、ノア様……? またお顔が近いですわ……」
「……言葉を失うほど、魂が震えました」
低く、甘く掠れた美声が、私の耳朶を心地よく甘美に痺れさせる。
ノアの白く長い指先が、そっと私の右手をすくい上げると、自らの胸元――トクトクと激しく脈打つ心臓の位置へと引き寄せた。
「俺が工房の隅で作った小さな器具を、社交界の頂点に君臨する者たちがひれ伏して奪い合うほどの『至高の宝』へと昇華させてくださった……。セシリア様、あなたの手にかかれば、どんな石ころも世界一眩い星へと姿を変えるのですね」
「い、いや、私はただ、見栄っ張りな貴族の奥様方から合法的に巨額のキャッシュを巻き上げたかっただけの強欲守銭奴ですわよ……!?」
「いいえ。俺には分かります」
ノアはふっと蕩けるように愛おしく微笑むと、私の指先に、熱い吐息とともに深い口づけを落とした。
「セシリア様。あの美顔器は五台しかありませんでしたが……俺という人間は、世界でたった一つ、あなただけの【永久独占限定品】です。俺のこの手も、技術も、そしてこの命の鼓動さえも……すべては、あなただけの美しさを生涯磨き上げ、笑顔を守るために存在しています。どうか一生……俺をあなたの最も近くで、専属の資産として使い続けてください」
「ひゃっ……!? に、人間を限定特注品に例えるんじゃありませんことよーーーーっっ!!」
ボッッッ! と私の顔が沸騰するように赤くなった。
至近距離で囁かれる、国宝級イケメンの命がけの蕩け顔!
(重い! 相変わらず愛のボラティリティが危険水準ですのよノア様ーーーっっ! ヴェブレン効果の解説を、一世一代の愛のプロポーズに魔改造しないでくださるーーーっっ!?)
「きゃあぁぁぁっ! お嬢様ぁっ! ノア様から『生涯永久独占限定資産プロポーズ』いただきましたぁぁっ! もう早くシリアルナンバーを刻印してあげてくださいぃぃっ!」
「だ、誰かミアの口を金貨袋で塞ぎなさいっ! ノ、ノア様も離れなさいなっ! これは純粋なプレミアム価格戦略ですわっ!」
真っ赤になって手を引き抜こうとする私と、満面の笑みで囃し立てるミア。
富裕層市場の攻略はこれ以上ない大成功を収め、アークライト商会の金庫には莫大なキャッシュが唸りを上げて積み上がっていた。
――だが、公爵邸の正門をくぐったその瞬間だった。
「お、お嬢様ぁっ! 大変ですっ!!」
馬車を降りた私たちの元へ、公爵邸の老執事が血相を変えて転がるように駆け寄ってきたのだ。
その手には、王室の刻印が押された真っ赤な封書が握りしめられている。
「セシリアお嬢様! 財務大臣ガストン卿の差し向けた【王立特命徴税局】の筆頭徴税官が、大勢の税務監査官を引き連れて屋敷に乗り込んできております!
『アークライト商会の急激な利益増大は国家に対する暴利である! 本日ただいまより緊急税務調査を行い、利益の八十パーセントを【臨時特別追徴課税】として全額強制没収する』と宣告してきました!!」
「「――な、なんですってえええええっっ!?」」
ミアの悲鳴が王都の夜空に響き渡った。
商売で勝てないと悟った敵が仕掛けてきた、国家権力を盾にした不当な重税攻撃!
だが――。
カチャリ。
私は胸元から銀縁眼鏡を取り直し、キリッと鼻梁へ押し上げた。
サファイアブルーの瞳の奥で、数々の企業の税務監査を潜り抜けてきた元・公認会計士の冷徹な炎が、ゴウッと音を立てて燃え盛る。
「ふふっ……売上が伸びたら重税で毟り取ろうだなんて、芸のないハイエナどもですこと。
いい度胸ですわ、ガストンの犬どもめ! 『売上』と『課税所得』の違いすら分かっていない無知な徴税官に――研究開発費と寄付金控除を駆使した、現代会計最強の【合法節税カウンター】の洗礼を浴びせて差し上げますわよっ!!」
悪役令嬢セシリアの知財チート無双は、国家の理不尽な重税を合法的に完封する、痛快無比な【タックスプランニング(税務戦略)】の全面戦争へと突入していくのだった――!
【巻末付録】セシリアお嬢様の3行マネー講座
富裕層ビジネスで「安売り」は自滅への近道! 富裕層は安さではなく「高価格であることそのもの(ヴェブレン効果)」に優越感を感じて財布を開きますわ!
「スノッブ効果(限定性)」で希少価値を極限まで跳ね上げよ! 「誰でも買える」大衆品を富裕層は嫌う。「今月は選ばれし5人だけ」という制限こそが最強の購買動機になりますことよ!
人は「商品」ではなく「ステータス(優越感)」を買う! 原価の積み上げで価格を決めず、相手が得られる圧倒的な自己肯定感から逆算してプレミアム価格を設定しなさい!
読んでいただきありがとうございます。
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