EP 4
本体の魔導コンロはタダで配りなさい!消耗品で稼ぐジレットモデル
「な……ななな……なんですってぇぇぇぇぇぇっっっ!?」
アークライト公爵邸の特設開発室に、割れ鐘のような悲鳴が響き渡った。
叫んだのは専属メイドのミアである。両手で頭を抱え、床の上をあわてふためいて転げ回っている。
「お、お嬢様、ご乱心ですかぁっ!? コンロを……タダで配る!? 無料ってことですか!? 一リンもお金を取らないで、タダで街の人にプレゼントしちゃうってことですかぁぁぁっ!?」
作業机の上に鎮座しているのは、ノアが三日三晩かけて試作を完成させたばかりの最新型魔導調理器――新型魔導コンロ『アークライト・フレイム』だった。
重厚な鋳鉄製の本体に、滑らかな耐熱魔導ガラスのトッププレート。
ノアの特許第一号である並列共振回路を応用し、煤も煙も一切出さず、指先一つの火力調整でトロ火からドラゴンをも丸焼きにする超強火まで自在に操れる、台所革命の結晶である。
「セシリア様……さすがにそれは無茶です」
白衣をまとったノアも、眉をひそめて困惑の声を漏らした。
手元の羊皮紙に記された部品原価表を、アメジストの瞳で真剣に見つめている。
「このコンロはランタンと違って、高熱に耐えうる特殊耐熱合金や、安全遮断弁などの高精度パーツを多数使用しています。提携工房の職人たちと極限までコストを削り込みましたが……一台あたりの製造原価は、どうしても【一万二千リン(約一万二千円)】を下回りません」
「一万二千円……! ランタンの十倍以上もお金がかかるじゃないですかぁ!」
ミアが目を白黒させて叫ぶ。ノアは静かに頷き、懸念を口にした。
「ええ。もし一台一万二千リンで作ったコンロを無料で配れば、一台につき丸々一万二千リンの赤字です。王都の一般家庭や飲食店など、普及目標である一万台を配っただけで――我が社は【一億二千万リン(約一億二千万円)】の純損失を抱えて即死します! セシリア様、いくらなんでも危険すぎます……!」
二人のもっともな反論。
だが、執務机で優雅に温かいダージリンティーのカップを傾けていた私は、動じるどころか口元に極上のハゲタカスマイルを浮かべた。
カチャリ、とカップをソーサーに置く。
私は胸元から銀縁眼鏡を取り出すと、キリッと鼻梁へ押し上げた。
「愚か者っ!! 寝言はベッドの中でシーツを頭から被って仰いなさいと言いましたはずですわよ、ノア様、ミアっ!」
「ひゃぅっ!?」
ビシィッ! と私の愛用の扇子が二人の間の机を叩いた。
サファイアブルーの瞳の奥で、冷徹無比な会計士の頭脳が猛烈な回転を始める。
「ノア様、そしてミア。目先の『コンロ本体の売買差益』しか見えていないのは、資本主義の大海原を泥舟で漕ぎ出す三流商人の浅知恵ですわっ!」
「さ、さんりゅう……!? でもお嬢様、一万円以上するものをタダであげちゃったら、誰がどう見たって大損じゃないですかぁ!」
食い下がるミアに、私は壁の黒板をガラガラと引き寄せ、チョークを手に取って激しい音を立てて書き殴った。
「いいこと、ミア? ビジネスの世界にはね、顧客から生涯にわたって莫大なキャッシュを自動的かつ合法的に吸い上げ続ける、恐るべき【悪魔の収益モデル】が存在しますの!
マーケティングの世界において、これを――【ジレットモデル(キャプティブ価格設定/消耗品連動ビジネス)】と呼びますわっっ!!」
「じれっと……もでる……?」
ミアが首を傾げる。ノアも興味深そうにアメジストの瞳を凝らした。
私は黒板に、二つの箱を描き殴った。
「前世の地球で、男性用の安全カミソリを普及させた大企業『ジレット』が編み出した伝説の戦略ですわ。
カミソリの【ホルダー本体】は、信じられないほどの超安値――時には街頭で無料配布同然にタダで客に配りまくります。……さあミア、本体をタダでもらった客はどうしますこと?」
「えっ? そりゃあ……タダなら嬉しいですから、毎日お髭を剃るのに使いますよね?」
「そうですわ! そしてカミソリの刃は、使い続ければ必ず切れ味が落ちて摩耗します。そこで顧客は、新しい【替え刃(消耗品)】を買い足さざるを得なくなるのですわ!
そして! その替え刃は、ジレット社が特許でガチガチに固めているため、他社の安物刃を取り付けることは絶対にできない!
本体をタダで配って普及させ、一生涯にわたって高利益率の替え刃を買い続けさせる……! 現代の家庭用プリンター本体とインクカートリッジの関係と同じですわね!」
「あ……っ!」
ミアが息を呑んだ。ノアの目つきが、一瞬にして学者から切れ者のビジネスパートナーのそれへと変わる。
「……なるほど。コンロ本体はカミソリのホルダー、そして……」
「ええ! ノア様の新型コンロを動かすための燃料――【専用魔導カートリッジ(アークライト・パワーセル)】こそが、一生買い続けさせる『替え刃』ですわっ!」
私はチョークを踊らせ、黒板に王都の台所事情のデータを叩きつけた。
「市場の現実をごらんなさい! 現在、王都の十万世帯の平民家庭や飲食店は、料理を作るために薪や木炭、あるいは黒鉄商会が売る旧式の青魔石を燃やしています。
煙たくて火事のリスクが高いうえに、彼らが毎月支払っている燃料代は――なんと平均して【月額三千リン(約三千円)】に達しているのですわ!」
「三千円……! お料理するだけで、毎月そんなにお金が消えてるんですね……!」
「そうよ! そこへ我がアークライト商会が、こう持ちかけるのです!
『奥様、煙も出ず安全で、お湯が一瞬で沸く夢の最新型魔導コンロを、今なら【初期費用ゼロ・完全無料】で貴女の台所にお届けいたしますわ!』とね!」
「ひゃあああっ! そんなの、王都中の主婦が泣いて飛びつきますぅぅっ!」
ミアが身悶えしながら叫んだ。私は不敵な笑みを深める。
「ただし! 無料でお渡しする条件として、『我が社が毎月お届けする【特許認証カートリッジ】を定期購入すること』を義務付けるのですわ!
このカートリッジ、一個で一ヶ月間料理し放題で、定価は――【月額千リン(約千円)】ポッキリです!」
「せ、千円……!?」
「顧客から見ればどうかしら、ミア?
本体代金一万二千リンはタダ! しかも毎月の燃料代は、三千リンから千リンへと激減! 買った初月から、家庭の固定費が【毎月二千リン(年間二万四千円)も浮く】のですわよ! 断る理由が万に一つも存在いたしませんこと!」
「すごすぎます……! タダでお客さんを釣って、しかもお客さんも大喜びで固定費を節約できちゃうなんて……!」
感嘆するミアの横で、ノアが素早く数式を黒板へ書き足した。
そのアメジストの瞳が、青白い計算光を帯びて煌めいている。
「……セシリア様。カートリッジの原価構造を試算しました。
外装の真鍮ケースは回収して何度でも再利用できる設計にすれば、実質的な中身は規格外のクズ魔石の粉末だけです。製造原価は、人件費と充填費用を合わせても一台あたり――たったの【二百リン(約二百円)】で収まります」
「素晴らしい手腕ですわ、ノア様! さあミア、計算のお時間ですわよ!」
私はチョークを走らせ、黒板の中央に極太の計算式を叩きつけた。
【売価:1,000リン】 − 【原価:200リン】 = 【限界利益:一台あたり月800リン】
「カートリッジが一個売れるごとに、我が社の手元には毎月【八百リンの純利益】がチャリンと残りますわ!
では、王都の十万世帯のうち、初年度に【一万世帯】へコンロを無料配布して囲い込んだといたしましょう!
ノア様! 我が社へ転がり込む毎月のキャッシュフローはいくらになりますこと!?」
ノアが涼やかな美声で、死神のように即答した。
「八百リンに一万世帯を掛けると……毎月の経常純利益は【八百万リン(約八百万円)】。
年間換算では――実に【九千六百万リン(約九千六百万円)】ですね」
「「――ひ、九千六百万ぅぅぅぅぅぅっっっ!?」」
ミアの喉から、裏返った絶叫が上がった。
「さらに! コンロ本体の無料配布にかかった初期投資【一万二千リン】は、毎月八百リンの利益によって、わずか【十五ヶ月(一年と三ヶ月)】で全額回収(損益分岐点到達)できますわ!
そして十六ヶ月目以降――顧客がそのコンロで料理を作り続ける限り、向こう十年、二十年にわたって、我が公爵家の金庫へ毎月毎月、莫大な純現金が自動で振り込まれ続ける【永久不労所得の泉】が完成するのですわっっ!!」
「な……っ!? 一年ちょっとで元が取れて、そのあとは……全部丸儲け……!?」
ミアが両手で頭を抱え、腰を抜かして床にへたり込んだ。
「これが、現代マーケティングの神髄――【LTV(Life Time Value/顧客生涯価値)の最大化】ですわ!」
私は眼鏡のブリッジをクイと押し上げ、不敵なハゲタカの笑みを浮かべた。
「他社の商会は、コンロ本体を売りつけて一度きりの利益で終わる。ですが私たちは、本体をエサにして顧客の台所を丸ごと囲い込み、一生涯にわたって継続的な燃料代を吸い上げる……!
しかも、ノア様の自己認証刻印がある限り、他社の海賊版カートリッジを使おうとしても安全装置が作動して火が点かない! 他社への乗り換えコスト(スイッチングコスト)を極限まで引き上げた、完全無欠の市場独占作戦ですわよっ!」
キャンペーン開始から、わずか三日後。
王都の中央大通り、アークライト公爵邸の直営サロン前は、前代未聞の大パニックに見舞われていた。
「おい、マジかよ! 最新型の魔導コンロが本当にタダでもらえるぞ!」
「煙が出ないから、うちの定食屋の厨房がめちゃくちゃ涼しくなった!」
「薪代が月に二千リンも浮くんだよ! カートリッジの定期配達、三年分前払いで契約させてくれ!」
「私にもちょうだい!」「俺の店にも三台入れてくれ!」
押し寄せた王都の主婦、飲食店主、宿屋の親方たちの長蛇の列は、大通りを三往復しても収まらず、王宮前広場まで達していた。
用意していた初期ロット一万台のコンロは、わずか半日で配り切って大蒸発。
手元に残ったのは――山のように積み上がった、十万件を超える『燃料カートリッジ年間定期購入契約書』の束と、前払いされた金貨の山だった!
「お、お嬢様ぁぁぁっ! す、すごすぎますぅぅっ!」
カウンターの奥で、ミアが契約書の山に埋もれながら、涙をボロボロこぼして小躍りしていた。
「王都中の台所が、ぜーんぶアークライト商会のコンロになっちゃいましたぁぁっ! 黒鉄商会の薪炭問屋や旧型ランプ屋さんは、お客さんが一人も来なくなって閑古鳥が鳴いてますよぅ!」
当然だ。
本体を「無料」で配られた競合他社は、価格競争を挑むことすらできない。
本体をタダにする資本力もなければ、クズ魔石で動かせる特許回路も持っていないのだから。
既存のエネルギー利権を、圧倒的なビジネスモデルの差で根こそぎ焼き尽くした瞬間だった!
夕暮れのサロン、心地よい風が吹き抜けるテラス席。
机の上には、今月だけで確定した定期カートリッジの継続月商――【八百万リン(約八百万円)】の受領明細書が美しく揃えられていた。
「ふふっ……毎月何もしなくても八百万円の純キャッシュが確定するストックビジネス……早期リタイア(FIRE)の不労所得基盤として、これ以上ない美しさですわね」
私が満足感に浸りながら紅茶を口に運んでいると――。
すっ、と背後から甘く暖かな気配が近づいてきた。
「……セシリア様」
振り返ると、ノアが長身を屈め、息を呑むほど整った顔を至近距離まで寄せていた。
夕陽に照らされたアメジストの切れ長な瞳には、一片の曇りもない純度百パーセントの熱情と狂信が宿っている。
「ノ、ノア様……? またお顔が近いですわ……」
「……言葉を失うほど、見事でした」
低く、甘く掠れた美声が、私の耳朶を甘美に痺れさせる。
ノアの白く長い指先が、私のプラチナブロンドの髪を優しく梳き、耳の後ろのサファイアの髪飾りにそっと触れた。
触れ合う肌の熱に、私の心臓がトクトクと激しく警報を鳴らす。
「俺の作った回路を、ただの道具として売るのではなく……王都中の人々の家庭に温かい火を灯し、一生途切れない絆で結びつけてみせた……。セシリア様、あなたの魂の慈悲深さと偉大さに、俺の心臓はまたしても奪われました」
「い、いや、私はただ、毎月チャリンチャリンとお金が入ってくるサブスクが欲しかっただけの守銭奴ですわよ……!?」
「いいえ。俺には分かります」
ノアはふっと蕩けるように微笑むと、私の右手首を引き寄せ、自らの胸元――激しく脈打つ心臓の上へと押し当てた。
「セシリア様。俺という【本体】も、生涯あなたのものです。原価も、権利も、命さえも……すべてあなたに無料で差し上げます。だからどうか……あなたという唯一無二のカートリッジで、俺の人生の燃料を一生満たし続けてください」
「ひゃっ……!? に、人間をジレットモデルに例えるんじゃありませんことよーーーーっっ!!」
ボッッッ! と私の顔が沸騰するように赤くなった。
至近距離で囁かれる、国宝級イケメンの命がけの蕩け顔!
(重い! 相変わらず愛のボラティリティが危険水準ですのよノア様ーーーっっ! 打算百パーセントの囲い込み戦略を、永遠の愛の誓いに魔改造しないでくださるーーーっっ!?)
「きゃあぁぁぁっ! お嬢様ぁっ! ノア様から『生涯の無料本体提供&独占カートリッジ補給プロポーズ』いただきましたぁぁっ! 早く充填してあげてくださいぃぃっ!」
「だ、誰かミアの口にカートリッジを詰め込みなさいっ! ノ、ノア様も離れなさいなっ! これは純粋なLTV最大化戦略ですわっ!」
真っ赤になって手を引き抜こうとする私と、満面の笑みで囃し立てるミア。
エネルギー市場の完全独占作戦は、大勝利のうちに幕を閉じた。
――しかしその頃。
王都の中心街、ガストン大商会の豪奢な執務室では、怒りと焦燥のグラスが床に叩きつけられていた。
「おのれぇぇぇっ! アークライトの小娘めがぁっ! ランタンに続いてコンロの市場まで奪いおって……!」
顔面を真っ赤に染めて泡を吹く財務大臣ガストン卿の前に、黒鉄商会の生き残りの部下が震えながら進み出る。
「か、閣下……! アークライト商会の強さの根源は、すべてあの男――ノア・ヴァレンタインの異常な技術力です! ならば……あの青二才を、金と権力、そして『男爵領の復興』をエサにして、我が陣営へ【電撃引き抜き(ヘッドハンティング)】してしまえば……! セシリアの商会など、一瞬で技術を失って崩壊いたしますぞ!」
「……ほう? 引き抜き、か……」
ガストンの豚のような細い目に、狡猾で邪悪な光が宿った。
「よかろう。あのアークライトの小娘から、ノアの首根っこを金貨の山で買い取ってやれ……!」
忍び寄る敵の魔の手。
だが、悪役令嬢セシリアの備えに、死角など一リンたりとも存在しないのだった――!
【巻末付録】セシリアお嬢様の3行マネー講座
「本体安売り+消耗品課金」の罠を見抜け! プリンターやゲーム機のように、本体を安く買って喜んでも、その後の専用消耗品で一生毟り取られるのが資本主義の掟ですわ!
目先の価格ではなく「LTV(生涯に支払う総額)」で計算せよ! 初期費用がゼロでも、毎月の固定費が高ければ大損。トータルでいくら払うのかを常に逆算しなさい!
ビジネスで勝つなら「スイッチングコスト(乗り換え障壁)」を築け! 他社へ乗り換えにくくする仕組みと定期課金を作った者だけが、永続的な富豪になれますことよ!
読んでいただきありがとうございます。
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