EP 14
第1四半期決算は黒字転換!ノアからの贈り物と『交際費』の仕訳
「お、お嬢様ぁぁっ! み、見てくださいこれっ! 金庫の扉が……金貨が溢れすぎて閉まりませんのおぉぉっ!」
公爵邸の地下大金庫前で、ミアが両手で純金貨の詰まった革袋を押し込みながら、悲鳴のような歓声を上げていた。
かつては銀貨三千リン(約三千円)と怪しげな督促状しか入っていなかった薄暗い金庫の中は、いまや王太子から回収した手付金、ガストンから奪還した五億リン、黒鉄商会からむしり取った懲罰的違約金一億リン、そして王都中の工房から初月分として振り込まれ始めた特許ロイヤリティの山で埋め尽くされていた。
「これ、ミア。はしたなく騒ぎ立てるものではありませんわ」
私は優雅に扇子を畳み、胸元から銀縁眼鏡を取り出してキリッと鼻梁へ押し上げた。
獲物を狙うハゲタカの目が、机上に並べられた三枚の巨大な羊皮紙を冷徹に捉える。
「本日は我がアークライト公爵家の命運を分ける、運命の【第1四半期・包括月次決算日】ですのよ」
「け、けっさんび……! あの、会社のお給料日みたいなやつですかぁ!?」
「違いますわ、ミア!」
カツンッ! と私は愛用の扇子で執務机を叩いた。
「決算とは、一定期間における企業の経済活動を総括し、成績と財政状態を数字で確定させる厳格な儀式ですわ! ノア様、集計データは揃いましたかしら?」
「ええ、完璧です、セシリア様」
執務机の向かいから、涼やかな美声が返ってきた。
白衣を脱ぎ、糊の効いた上質なシャツを身にまとったノアだ。
かつて目の下に刻まれていた漆黒のクマは完全に消え去り、白皙の肌には健康的な血色が宿り、アメジストの瞳は深遠な光を湛えている。
自らの身なりには無頓着だったはずの青年が、今や王宮のどの貴公子よりも気品に満ちた国宝級の輝きを放っていた。
「あなたが命じられた通り、過去三ヶ月間の入出金データおよび各勘定科目の残高を、俺の並列魔導演算器で一リン単位まで完全照合しました」
「素晴らしい手腕ですわ、ノア様! さあミア、刮目してご覧なさい! これが現代会計の三種の神器、最後の一つ――【キャッシュフロー計算書(CS)】ですわっ!」
バサリ! と広げられた特大の羊皮紙。
そこには三つの枠――【営業活動によるキャッシュフロー】、【投資活動によるキャッシュフロー】、【財務活動によるキャッシュフロー】が記されていた。
「ミア、第4話でお見せした『貸借対照表(BS)』、第5話の『損益計算書(PL)』を覚えていますわね?」
「は、はいっ! BSはお屋敷の健康診断書(持ってる財産と借金)で、PLは一年間の成績表(入ったお金と出たお金)でしたよねっ!」
「合格ですわ! ですが、それら二つだけでは見抜けない、企業の命運を握る最大の盲点が存在します。それこそが――『実際に手元にある現金の増減』を追う、このキャッシュフロー計算書なのですわっ!」
「手元の現金……ですかぁ? PLでお金が残っていれば、手元にも残ってるんじゃないんですかぁ?」
「愚か者っ!! それこそが、何千もの経営者を地獄の底へ突き落としてきた【黒字倒産の罠】ですわ!」
私は眼鏡のブリッジをクイと押し上げ、ビシッと黒板の数字を指差した。
「例えば、帳簿上で十億円の商品が売れて『十億円の黒字利益』が出たといたしましょう。しかし、代金の回収が半年後の約束(売掛金)だったらどうなりますこと? 手元には現金が一リンもないのに、今月末に期日が来る取引先への支払いや従業員の給料(買掛金・人件費)は待ってくれませんわ! 帳簿上は大黒字なのに、手元の現金が尽きて不渡りを出し、一瞬で企業は潰れる――これが黒字倒産ですのよ!」
「ひゃあああっ! 儲かってるのに潰れちゃうんですかぁ!?」
「そうよ! だからこそ、一流の投資家はPLの表面的な利益ではなく、現実に財布を出入りした【現金の動き(キャッシュフロー)】を絶対の指標として崇めるのです!」
私は黒板に、赤と黒の魔導ペンで集計結果を大きく書き殴った。
「では我が公爵家の三ヶ月間の実績を総括いたしますわよ!
第一に【投資キャッシュフロー】! ノア様への初期エンジェル出資一千万リン、特許出願手数料百万リン、設備投資五万リン等で――【マイナス一千百五万リン(約一千百万円)】! 将来の成長のために種銭を投じた、極めて健全なマイナスですわ!
第二に【財務キャッシュフロー】! ガストンへの詐欺ファンド元本五億リンの全額解約回収、王太子からの持参金回収三千万リン等で――【プラス五億三千万リン(約五億三千万円)】!
そして極めつけは――第三の【営業キャッシュフロー】ですわっっ!!」
カツンッ! とチョークが粉を散らした。
「使っていない別荘や顧問魔導師の解約による固定費削減効果・月二百五十万リン! 中抜き業者排除による食材・魔石の仕入れ削減効果・月四百万リン! そしてノア様の超省エネ回路のライセンス許諾による初月ロイヤリティ収入・八千三百万リン! 黒鉄商会からの違約金一億リン!
これら本業の稼ぎから日々の運営経費を差し引いた、純粋な営業キャッシュフローは――」
キュキキキッ! と嫌な音を立てて、黒板の中央に巨大な数字が刻まれた。
「【プラス一億八千五百五十万リン(約一億八千五百万円)】ですわーーーーーっっっ!!!!」
「い、いちおく……はっせんまん……!?」
ミアが息を呑み、腰を抜かして床にへたり込んだ。
「息をしているだけで毎日百四十万リンの利息を垂れ流し、債務超過四十七億リンで実質倒産状態だったアークライト公爵家が……! わずか三ヶ月で、本業の儲けだけで毎月数千万円以上の純現金を叩き出す【完全黒字化体質(営業CF大幅プラス)】へと生まれ変わりましたのよっっ!!」
「う、うわああああああああっっ!! 黒字化! 本当にお屋敷が黒字になっちゃいましたぁぁぁっ!!」
ミアが跳び起き、涙をボロボロこぼしながら私の腰に抱きついて歓声を上げた。
大広間の影から恐る恐る覗き込んでいた父アラン公爵も、「セシリアぁぁぁ! 我が家の救世主だぁぁ!」とハンカチを噛み締めながら号泣している。
ふふっ、と私は誇らしく胸を張った。
手元流動性は六億リンを突破。
まだ五十億リンの初期負債を全額完済したわけではないが、毎月莫大なプラスキャッシュを生み出す【金の卵を産むガチョウ(特許ビジネス)】を手に入れた今、借金の完済はもはや単なる時間の問題にすぎない!
「よし! 今夜は公爵邸の全使用人を集めて、高級ローストビーフとワインで大決算祝勝会を開きますわよ! もちろん、経費削減に貢献した使用人たちへの二十%インセンティブボーナスの現金支給式も同時に執り行います!」
「わーいっ! お肉! ボーナス! お嬢様大好きですぅぅっ!」
大広間が歓喜の渦に包まれ、使用人たちが宴の準備へと駆け出していく。
熱気に包まれた広間の中、ふと気がつくと――ノアが静かに私の前に歩み寄ってきていた。
「……セシリア様」
「あら、ノア様。貴方にも今夜、特許の共同開発者としての巨額の役員報酬を口座に振り込みますからね。楽しみにしていてくださ――」
言いかけた私の言葉は、ノアが懐から取り出した【小さな小箱】によって遮られた。
濃紺のベルベットで包まれた手のひらサイズの箱。
ノアが白く長い指先でパチンと留め金を外すと――中から、息を呑むほど美しい宝飾品が姿を現した。
プラチナの繊細な台座に嵌め込まれているのは、深海のように透き通った最高純度のサファイア。
私の瞳と同じ、鮮烈なブルーの輝きを放つ髪飾りだった。
しかも、ただの宝石ではない。
石の内部には、ノア独自の超微細な魔導回路が幾何学模様のように美しく刻み込まれており、部屋の灯りを受けて淡い光の粒子をフワリと宙に漂わせている。
「……え? ノ、ノア様……? これは……?」
思わず瞬きを繰り返す私に、ノアはアメジストの瞳を柔らかく細め、微かに頬を朱に染めながら囁いた。
「受け取っていただけますか、セシリア様。先日、俺の口座に初めて振り込まれた特許ライセンスの配当金で購入した……あなたへの贈り物です」
「な……っ!? 貴方の、初めてのロイヤリティで……!?」
私は絶句した。
貧困に苦しみ、身ぐるみを剥がされかけていた青年が、生まれて初めて自らの頭脳で手に入れた正当な報酬。
その全額を注ぎ込んだと言わんばかりの、あまりにも贅沢で、狂おしいほどの手間がかけられた特注品だったからだ。
石の内部に刻まれた回路を凝視した瞬間、私の公認会計士としての頭脳が、猛烈なパニックを起こして高速回転を始めた。
(ちょ、ちょっと待ちなさい! な、なんですかこの超高純度の魔導サファイアは!? 時価数百万リンは下らない逸品ですわよ!? しかも石の中に精神安定と防護結界の超高度並列術式まで彫り込まれている……! こんなの、国宝級の価値がありますわ!?)
カアァァァッ! と私の顔が沸騰するように熱くなった。
心臓がドクン、ドクンと耳の奥で激しく警報を鳴らす。
動揺を隠すため、私は慌てて手元の帳簿をバタバタと扇ぎながら、早口でまくし立てた。
「な、何を考えていらっしゃるのノア様っ! こ、こんな高価な宝飾品を筆頭株主であるわたくしに渡すなんて……! わ、分かりましたわ! これはあれですわね!? 会社法および税務上の【交際費(パートナー企業との良好な関係維持のための接待贈答費)】ですわねっ!? そうに決まってますわ! 勘定科目は『販売費及び一般管理費・交際費』として公爵家の損金に算入……いいえ、贈与税の控除枠を確認して――」
必死に簿記と仕訳の盾の後ろに逃げ込もうとする私。
しかし――。
「違いますよ、セシリア様」
スッ、と長い影が私を包み込んだ。
ノアが一歩間合いを詰め、長身を屈めて私の顔を覗き込んできたのだ。
至近距離で見つめ合う形になり、彼のアメジストの瞳が熱い光を帯びて潤んでいる。
ノアの冷たくて温かい指先が、私のプラチナブロンドの髪を優しく梳き、耳の後ろへとそっとサファイアの髪飾りを挿し込んだ。
カチリ、と微かな魔力の共鳴音が響き、淡い光のヴェールが私の髪をふわりと包み込む。
「……よく似合っています。あなたの美しい瞳と同じ色だ」
「ノ、ノア様……っ」
ノアは私の右手首をそっと引き寄せ、逃げ場を塞ぐように自らの胸元へと抱き寄せた。
布越しに伝わってくる、トクトクと激しく波打つ彼の心臓の鼓動。
そして、私の耳元に唇を寄せ、甘く掠れた美声で囁いたのだ。
「これは経費でも、交際費でもありません。……俺の個人の財布から支払った、世界でたった一人のあなたに対する――【生涯独占投資】です」
「……っっっ!?!?!?」
息が止まった。
世界中の音が消え去り、耳元で囁かれた低く甘い声だけが脳内でリフレインする。
し、生涯独占投資……!? ポケットマネーからの、プライベート支出……っ!?
「俺が手に入れる富も、名誉も、特許も……すべては、あなたに笑顔でいていただくための軍資金にすぎません。セシリア様、あなたの人生のポートフォリオに、俺という資産を……一番近くに組み込んでいてくれますか?」
至近距離から注がれる、狂おしいほどの純情と、殺傷能力百パーセントの蕩け顔!
私の胸がバクバクと暴れ回り、顔どころか全身から湯気が噴き出しそうになった。
(重い! 重い重い重いわノア様ーーーっっ!! 損金算入できない個人的な純度百パーセントの愛を、そんな殺人的なイケメンフェイスで囁かないでくださるーーーっっ!?)
「きゃあぁぁぁぁぁっっ!! お嬢様ぁっ! 『生涯独占投資』いただきましたぁぁっ! もう実質プロポーズを通り越して永久配偶者契約ですよぅ! ご馳走様ですぅぅぅっ!!」
柱の陰から覗き見していたミアが、両手で頬を押さえて黄色い悲鳴を上げながら床を転げ回っている。
「だ、誰かミアをつまみ出しなさいっ!! ノ、ノア様も離れなさいなっ! こ、これは後で資産台帳に『受贈益』としてきっちり計上しておきますからねっ!!」
私は真っ赤になった顔を両手で隠し、逃げるように大広間のバルコニーへと飛び出した。
冷たい夜風を浴びながら、髪に挿されたサファイアにそっと指先で触れる。
じんわりと伝わってくる魔導の温もりに、なぜか胸の奥がキュッと締め付けられるように甘く疼いた。
(……全く、調子が狂いますわ……。私はただ、前世のリベンジとして優雅な配当金生活(FIRE)を目指していただけなのに……)
夜空を見上げ、ふっと自嘲気味に微笑む。
だが、これで第一四半期は完全なる勝利で幕を閉じた。
公爵家の財務基盤は整い、手元には潤沢なキャッシュと世界最強の技術者が揃っている。
――しかしその頃。
王都の華やかな大通りを挟んだ向こう側、豪奢な王宮の別邸では――。
私たちが手放した【維持費ばかりかかる不良債権(元婚約者)】と、見栄に狂った男爵令嬢の足元に、破滅の暗雲が音を立てて立ち込め始めていた――。
【巻末付録】セシリアお嬢様の3行マネー講座
「黒字倒産」の恐怖を知り、キャッシュフロー(現金)を追え! 帳簿上の利益がどれほど黒字でも、手元の現金が尽きれば会社は一瞬で潰れますことよ!
「事業の経費」と「個人のポケットマネー」は厳格に分けよ! 私的なプレゼントや贅沢を経費に偽装するのは脱税の第一歩。公私の財布を分けるのが一流の鉄則ですわ!
最も尊い投資は「大切な人への還元」ですわ! 蓄財そのものを目的にせず、愛する人や仲間の笑顔のために使うことで、お金は最高の価値を生み出しますこと!
読んでいただきありがとうございます。
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