EP 10
財務大臣ガストン卿の焦り〜破綻前に全額キャッシュアウトいたします〜
王都の中心街、大理石と金箔で彩られた豪壮なメガバンク――『ガストン大商会』の本部貴賓室。
ふかふかの高級毛皮ソファーに深く腰掛けた財務大臣ガストン卿は、太った腹を揺らし、幾重もの宝石指輪をはめた指先でワイングラスを回していた。
「フォッフォッフォ! アークライト公爵令嬢がわざわざ私に会いに来るとはな! アラン公爵から話は聞いておりますぞ。先日の『黄金竜ファンド』の初月配当、金貨二百五十枚(二千五百万リン)……ご満足いただけたかな?」
豚のように細められた狡猾な瞳が、獲物を狙う蜘蛛のように私をねめつける。
「追加で十億リンほど出資したいとアラン公爵が仰っていたが……契約書は持参されたかな、セシリア嬢? 今なら特別に、公爵家のために優先枠をもう一口確保して差し上げてもよいですぞ?」
ガストンは完全に私を「欲に目が眩んだカモ貴族の娘」だと信じ切っていた。
向かいの革張りソファーに腰掛けた私は、優雅に扇子を畳むと、サファイアブルーの瞳を涼やかに細めた。
「ええ、素晴らしいリターンでしたわ、ガストン閣下。ですが――本日は十億リンの追加出資どころではない、【桁違いの超巨大案件】についてご相談に上がりましたのよ」
「……ほう? 桁違い、とな?」
ガストンの眉がピクリと跳ね上がった。
私は背後に控えるノアへ、静かに目配せを送った。
白衣を整え、国宝級の美貌を氷のように引き締めたノアが、抱えていた黒漆塗りの木箱をテーブルの上へ恭しく置いた。
「ノア様、あれをお見せして差し上げて」
「承知いたしました、セシリア様」
カチリ、とノアが木箱の留め金を外すと、中から現れたのは手のひらサイズの幾何学的な魔導装置だった。
中心部には、親指ほどの極小の青魔石が一つ嵌め込まれている。
ノアが指先で軽く魔力を通した瞬間――。
キィィィィン……!
室内の魔導シャンデリアが色褪せるほどの、圧倒的な純白の閃光が部屋中を照らし出した!
熱暴走は一切なく、冷たく澄み切った光がどこまでも空間を満たしていく。
「な……っ!? な、なんだこの魔力光は……!?」
ガストンが思わず立ち上がり、ワイングラスを取り落としそうになって叫んだ。
「そんな極小の安物魔石で、なぜ王宮の大広間を照らすほどの光量が……!? 熱の放射もゼロだと……!?」
「ふふふ、驚くのも無理はありませんわ」
私は胸元から銀縁眼鏡を取り出し、キリッと鼻梁へ押し上げた。
ハゲタカの目が、罠にかかりかけた獲物を冷徹に捉える。
「これこそ、我がアークライト家が独占契約を結んだ天才魔導工学者、ノア・ヴァレンタイン男爵が開発した【超省エネ並列共振型魔導回路】の試作機ですわ! エネルギー伝達ロスを極限までゼロに抑え、従来の十分の一の魔石コストで百倍の稼働時間を実現いたしますのよ!」
「じ、従来の十分の一……!?」
ガストンの呼吸が荒くなった。
金に汚い男だからこそ、この技術が持つ狂気的な破壊力と市場価値を本能で嗅ぎ取ったのだ。
「こ、これを王都中の街灯や魔導列車、家庭用コンロに組み込めば……市場規模は……」
「低く見積もっても、年間【数百億リン】の純利益を叩き出す金の卵ですわ!」
バァンッ! と私はテーブルに扇子を叩きつけた。
「そして我がアークライト公爵家は今、この新事業を単独で立ち上げるか……それとも、公爵領の全財産を担保に換金して、ガストン閣下の『黄金竜ファンド』へ【三十億リン(金貨三万枚)】を一括追加投資し、その配当金で工場を建設するか――最終決定の会議を行っている最中ですのよ!」
「さ……さんじゅうおくリンだとぉぉぉっ!?」
ガストンの喉から、絶叫がほとばしった。
三十億リン(約三十億円)!
エルディア王国の年間国家予算の数パーセントに匹敵する、天文学的な巨額マネーである。
背後でトランクを抱えるミアが、小刻みに震えながら小声でツッコミを入れてくる。
「(お、お嬢様ぁっ! 公爵家にそんな大金どこにもないのに、嘘の投資話がデカすぎますぅぅぅっ!)」
「(黙っていなさいミア、これが交渉という名の心理戦ですわ)」
私は涼しい顔で眼鏡のブリッジをクイと押し上げ、目を血走らせるガストンに極上の微笑みを向けた。
「もちろん、閣下の黄金竜ファンドが謳う『月利五%・元本保証』が本物なら、三十億リンを預ければ毎月一億五千万リンもの不労所得が手に入りますもの! 我が家としても、ぜひ全額を閣下に預けたいと考えておりますわ」
「おお……! おお、そうでしょうとも、セシリア嬢! 賢明なご判断だ! さあ、今すぐその三十億リンの出資受託書を――」
唾を飛ばして契約書に飛びつこうとするガストン。
だが、私はすっと優雅に手を挙げてそれを制した。
「――ですが、一つだけクリアしなければならない【重大な社内規定】がございますの」
「……規定?」
「ええ。我がアークライト家の資産運用監査規律・第三条。『十億リンを超える大口投資を行う際は、対象ファンドの流動性と健全性を担保するため、既存の預託金が契約通りに即座に全額現金で払い戻される実績を確認しなければならない』――という厳格な内規ですわ!」
「な……っ!?」
私は金箔押しの黄金竜ファンド契約書原本を、ガストンの鼻先へ突きつけた。
「我が家が先週預けた元本【五億リン(大金貨五百枚)】! これを本日ただいま、この場で全額即時キャッシュアウト(中途解約)していただきますわ! そして我が家の金庫へ全額が着金したエビデンスを確認でき次第――明日の朝一番で、正式に三十億リンの新規出資契約書に調印いたしますわよ!」
「ば、馬鹿なっ!」
ガストンの顔色がサッと青ざめ、慌てて契約書の条項を指差した。
「け、契約書の約款を読まれよ! 『中途解約は六ヶ月前の事前予告を要する』と明記してあるはずだ! 今すぐ五億円もの現金を返還するなど、規約違反だ! 出来ん!」
「あら? 出来ませんの?」
私はサファイアブルーの瞳をスッと細め、侮蔑と失望に満ちた冷ややかな溜め息を吐き出した。
「おかしな話ですわね。新大陸との香辛料貿易で莫大な利益を上げ、王国有数のメガバンクを率いるガストン閣下が……たかだか五億リンの即時返還すらできないなんて」
「うぐっ……!?」
「まさか……閣下の黄金竜ファンドは、手元流動性が完全に枯渇していて、出資者の解約に応じられないほど【資金繰りが火の車】でいらっしゃるのかしら?」
「な、なにを無礼なっ!」
「もしそうなら、三十億リンもの巨額資金を預けるわけにはまいりませんわね」
私はわざとらしく首を振り、立ち上がってドレスの裾を払った。
「ノア様、ミア、帰りましょう。王都には他にも、信用第一で即日決済に応じてくださる堅実な大商会ギルドがいくらでもございますもの。この三十億リンの出資枠と、年間数百億リンを生む魔導回路の独占販売権は、王立中央商会へお持ち込みいたしましょう」
「かしこまりました、セシリア様」
ノアが完璧なタイミングで試作品の木箱を閉じ、冷たい笑みをガストンへ投げかける。
「ま、待て! 待つのだセシリア嬢っ!」
ガストンの額から、滝のような脂汗が噴き出した。
彼の脳内では、猛烈なそろばんの音が鳴り響いていたはずだ。
(ここで五億リンを渋れば、三十億リンという前代未聞の巨額出資がライバル商会へ逃げてしまう……! それだけではない、あの世界を揺るがす新型魔導回路の利権まで奪われる……! だが、今ここで五億リンを一度返金して信用させれば、明日の朝には三十億リンが我が懐に転がり込んでくるのだ……! 差し引き二十五億リンの純増……!!)
これぞ、詐欺師の最大の急所――【より巨大な利益に目が眩み、自ら警戒の鍵を開けてしまう強欲心理】そのものだった!
「わ、分かった! 返金しよう! ガストン大商会の流動性を疑われては心外だからな!」
ガストンは奥の金庫室へ駆け込み、青ざめた顔で部下の銀行員たちを怒鳴り散らした。
やがて、屈強な衛兵たちが運び込んできたのは――黒塗りの重厚なトランク五箱。
蓋を開けると、ぎっしりと敷き詰められた魔導刻印入りの大金貨が、眩い黄金の輝きを放っていた。
「大金貨五百枚――きっかり【五億リン(約五億円)】だ! これで満足かね、セシリア嬢!?」
「ミア、ノア様、現物監査(実地棚卸し)をお願いできますかしら」
「は、はいぃっ!」
ノアが指先を鳴らし、透視と計量の魔導波を展開する。
わずか三秒。ノアのアメジストの瞳が美しく煌めいた。
「金貨の純度、魔導刻印、枚数ともに偽りなし。きっかり五億リン、即時現金化完了です」
「ご苦労様でしたわ」
私はガストンに向き直り、今日一番の華やかな笑顔を浮かべて、受領証の控えにサラサラとサインした。
「確かに公爵家の出資金五億リン、全額現金にてキャッシュアウト回収いたしましたわ。先週いただいた配当金二千五百万リンと合わせれば、我が家としては見事な【利回り五%の短期鞘取り(アービトラージ)成功】ですこと!」
「ふ、ふん! そんな小銭はどうでもよい! さあセシリア嬢、約束通り、明日の朝一番で三十億リンの出資契約書に――」
前のめりになるガストンに対し、私はトランクの鍵をカチャリと閉め、冷酷なサファイアの瞳で言い放った。
「あら? 約束? わたくし、『明日の朝一番で、正式に三十億リンの新規出資契約書に調印いたします』などと【契約】した覚えは一度もございませんわよ?」
「……は?」
ガストンが間抜けな声を漏らす。
「わたくしが申し上げたのは、『社内規定として返金実績を確認でき次第、調印するかどうかを【最終決定する】』ということだけですわ。そして――今この場で監査した結果、解約にこれほど難色を示し、危うく資金拘束されそうになった危険極まりないファンドなど、我が家の厳格な投資適格基準を到底満たせませんこと!」
「な……ななな……っ!?」
ガストンの顔が、怒りと恐怖で真っ赤に染まる。
「よって、三十億リンの追加投資案件は――【否決(完全却下)】とさせていただきますわ! ポンジ・スキームの泥舟から綺麗サッパリ逃げ切れて、最高の気分ですわね!」
「き、貴様ぁぁぁっ! 謀ったなあああっ!? 私の五億リンを返せぇぇぇっっ!!」
狂乱したガストンが机を乗り越えて掴みかかろうとした瞬間――。
バチィィィッ!!
ノアの全身から放たれた紫電の衝撃波が、ガストンの巨体をソファーの奥へと吹き飛ばした。
「セシリア様に触れるな、豚が」
氷の刃のようなノアの美声が、室内の空気を凍結させる。
「これ以上騒ぐなら、この商会の魔導動力炉を暴走させ、全フロアの帳簿ごと灰にして差し上げますが……どうしますか?」
「ひ……ひぃぃぃぃぃぃっっ!!」
殺気に呑まれたガストンは、腰を抜かして床にへたり込み、泡を吹いて震え上がった。
「それではガストン閣下、ごきげんよう! 自転車操業のファンドがいつまで持つか、高みの見物を決め込ませていただきますわね!」
私は華麗にドレスを翻し、五億リンのトランクを従えて、ガストン大商会を堂々と後にしたのだった。
大通りに出た公爵家の馬車の中。
「す、すごすぎますぅぅぅっ! お嬢様ぁぁぁっ!」
ミアが黄金の大金貨の山を抱きしめ、涙を流して狂喜乱舞している。
「本当に……本当になけなしの五億円が、まるまる現金で戻ってきちゃいましたぁぁっ! 詐欺師から逆にお金を奪い返すなんて、お嬢様は本物の魔法使いですかぁっ!?」
「魔法ではありませんわ、ただの行動経済学と交渉術の基本です。詐欺師というのはね、目先の五億を失う恐怖よりも、将来の三十億を逃す損害を異常に恐れる生き物なのですもの」
ふふっ、と笑って扇子をパタパタと仰ぐ。
これで公爵家の手元流動性は、先日の王太子からの回収分と合わせ、一気に【五億二千五百万リン超】へと跳ね上がった!
倒産寸前だった我が家にとって、これ以上ない強力な反撃の軍資金だ。
満足感に浸っていると――ふと、隣から熱い視線を感じた。
見ると、ノアがその彫刻のように整った顔を至近距離まで近づけ、潤んだアメジストの瞳で私を熱烈に見つめていたのだ。
「……ノ、ノア様? 近いですわ……」
「……セシリア様。あなたの完璧な知略、相手の強欲を手玉に取る冷徹なまでの美しさ……言葉を失うほど、見事でした」
ノアの白く長い指先が、私のプラチナブロンドの髪をそっとすくい上げ、熱い吐息とともに唇を寄せた。
「俺の作った回路を、あなたのための一番の武器として使っていただけた……。その事実だけで、俺の心臓は狂いそうなほど満たされています。セシリア様、あなたの頭脳が求めるなら、俺は国中を欺く巨大な幻影回路だって作ってみせる。どうか、一生俺をあなたの隣に置いてください……」
カアァァァッ! と私の顔が一瞬で沸騰した。
まただ! この天才魔導師、打算百パーセントの詐欺師カツアゲ劇を、命がけの愛の共謀劇みたいに受け取っているんですのよ!
(重い! 相変わらず愛のボラティリティ(変動率)が高すぎるんですのよノア様ーーーっっ! 私は単に、自分の将来の早期リタイア資金を守りたかっただけですわよっ!)
「きゃあぁぁぁっ! お嬢様、車内がノア様の甘い魔力で窒息しそうですぅぅっ!」
「だ、黙りなさいミア! コホンッ! ノ、ノア様、とにかく素晴らしいサポートでしたわ。貴方への成功報酬インセンティブは、後ほどたっぷり上乗せいたしますからね!」
赤面を誤魔化すようにトランクをポンと叩く。
外部からの巨額詐欺は見事に防衛し、種銭は確保した。
――だが。公爵邸の門をくぐった私の耳に飛び込んできたのは、またしても耳を疑うような怒号だった。
「おい! 今月の野菜と魔石の請求書、先月の二倍になってるぞ! どういうことだ!」
「へへっ、文句があるなら執事長様に言ってくだせぇ。公爵家の帳簿は、俺たち出入り商人と執事長様がツーカーで回してんだからよ!」
裏口で繰り広げられる、出入り商人と若い使用人の小競り合い。
その光景を見た瞬間、私の眼鏡の奥で、真のハゲタカの目がギラリと光った。
(……外部の敵を叩いたら、今度は屋敷の内部に巣食う【中抜きのシロアリども】のお出ましですわね……!)
手に入れた五億の軍資金を手に、悪役令嬢セシリアの次なる大掃除――公爵邸の腐敗した組織構造を根本から叩き直す【内部監査とインセンティブ革命】の幕が上がろうとしていた――!
【巻末付録】セシリアお嬢様の3行マネー講座
詐欺師を動かす唯一の鍵は「より大きな欲」ですわ! 逃げ道を塞がれた詐欺師には、さらに大きなエサをチラつかせて自ら金庫を開けさせなさい!
怪しい投資話からは「疑った瞬間」に全額引き上げよ! 規約や義理に縛られて躊躇している間にファンドは破綻し、あなたの元本は全額蒸発いたしますことよ!
エビデンスのない口約束は1リンの価値もなし! 「手元に現金が着金した事実」だけを信じ、相手の甘い言葉には絶対に調印してはなりませんわ!
読んでいただきありがとうございます。
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