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08:時間稼ぎ、インキュバスの死

 公子が去り、ボルスフェルト家には表面上平和が戻った。コルネーリラは日常着に着替えて家族と共に昼食の席についた。今日は金曜日――断食日だ。


 貴族の断食とは完全に食を断つとは少々違う。なんとも都合のいい断食だといえるね。私としては有難い限りだ。両親も随分と顔色が良くなった。昨日はさぞかし胃がキリキリとしていただろうからね。そんなお2人に断食日の質素な食事はむしろ好都合だろう。全く持ってコルネーリラの責任ではないものの、コルネーリラのために痛めた胃袋だ。しっかりと養生していただきたい。


 食事の後は、散歩をねだるディルクたちを制した父から、執務室へ来るようにと申し付かった。父は、頬を膨らませてむくれてみせた可愛らしい弟に「話が終わったら、姉さんを返す」と機嫌取りをすることも怠っていなかった。


 母と共に父の執務室へ入る。その場には父ひとりの姿しかなかった。

そこでゼルニケ公子との会話内容について質問され、ひとつひとつに答えていった。


 その会話の中で、父は以前より公子に好印象を持っていたらしいことがわかった。彼にはジジイと違って信仰心がある、それが父にとっては重要な点のようだった。父が家臣としてゼルニケ家に誠意を尽くして仕えているのも、公子の存在が大きいようだな。


 父を通して手紙のやり取りをしたいとの申し出があったことも伝えた。父は立場上頻繁にゼルニケの邸やクルノフの城に出入りしている。これに関しても問題なく了承してくれた。


「ところでコルネーリラ、随分と勉学に励んでいたようだね」


 唐突に話題が変わった。何かやらかしただろうか。まだ数日しかコルネーリラ歴がないのだが。私は思い当たるものがなく、曖昧に笑みを浮かべてごまかした。


「家庭教師から、もう教えるべきものはないとの辞職申し出があってね」


 父の顔は曇りのない笑顔だった。これは額面通り受け取っていい言葉か。私はその言葉にも無難に笑顔を返した。


「そこで考えたのだが、これからは少し私の仕事を手伝ってみないか?」


 父が言うには、いずれ主家へ嫁ぐならば家政のみならず、領地経営の知識もある方がよいだろうと判断した、とのことだ。実際コルネーリラが嫁ぐ頃に、ゼルニケ家がボルスフェルト家の主家であり続けるかはわからぬが、知識が合って困ることはない。


「ご指導お願い致します、お父様」


 主家からの難題と、娘の婚姻の2つが同時に解決したのだ。いや解決というにはいささか早いが、両親の表情はすっかり明るくなっている。これは予想以上に公子への信頼が厚いようだな。



 その後ゼルニケ公子、ハインリヒ様とは何通もの手紙をやり取りした。彼の書く手紙を読めば読むほど、その境遇がいかに窮屈で不自由なものであるかが理解できた。


 ハインリヒ様は、1日の大半をジジイの寝室で過ごしているそうだ。さぞかし異臭――いや、心労が絶えないだろうね。寝室を執務室として使うよう命ぜられていて、父やその他の家臣らとの会談もその室内で行われていると書いてあった。コルネーリラの父も気の毒なことだよ。


 自室に戻ることを許された僅かな時間を利用して手紙を書いてくれているのだと思うと、同情とは別の情が湧いてくるようだった。手紙にはジジイとコルネーリラとの婚姻の話の進展については一切書かれたことがない。かと言って立ち消えになったわけではないだろう。耳に入れないようにとの心づかい、それにも温かい気持ちになった。


 冬が来て、窓の外の景色もすっかり白く覆われた頃、ハインリヒ様は20歳の誕生日を迎えた。ボルスフェルト家からの祝いの品の中に、コルネーリラ個人からの小さな贈り物も添えた。コルネーリラとして用意できる精一杯のものを贈ったつもりだ。返信には手紙の丸々1枚分に喜びと感謝の気持ちが書き綴られていた。こちらの方がこそばゆく感じるほどだったよ。


[いつの日か、いただいた品を身につけた姿をお目にかけたいと、今はただそれを願っております]


 そう締めくくられていた。コルネーリラからはクラヴァットを贈ったんだ。数週間かけてレースを縫い上げた。これも過去に身につけた技術のひとつだよ。質の良い糸が手に入ってよかった。おかげで自分でも満足のいくものを作ることができたからね。この技術に関しては、母親から大層驚かれたが、まあ娘に意外な才能があったとでも思っておいておくれよ。



 冬が終わり、春が来て、太陽の眩しい夏が過ぎ、季節は再び秋になった。

家族で昼食をとった後、父が全員に向けて告げた言葉は長く待ち侘びていたものだった。


「明日、家族皆でゼルニケ家へ向かうことになった。伯爵が天にお戻りになった」


 地獄に落ちたの誤りであろう、と言いたかったがコルネーリラには相応しくないとそれは慎んだ。明日はインキュバスの葬儀か。祭りだな。


 事実、葬儀の場は参列者が黒い衣装に身を包んでいる他は、まるで祝宴のように陽気だったと言える。伯爵の死を悼んでいるものはおよそおらず、棺に土をかける様子もそれは軽快に見えた。


結論:インキュバスの寿命は80年弱。充分に長いと言える。

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