↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
6/9

06:インキュバスの息子

 当たりだと思っていた今世も、どうやら雲行きが怪しくなってきた。78歳のジジイに嫁げだと?うら若き15歳の娘に?このような話が出たのは初めての経験ではないが、それにしても身の毛がよだつ。冗談じゃない。ふざけるなと追い返してしまいたいところだが、それができぬ身分が悔しい。


 どうでもいい時間稼ぎのような質問をいくつか投げた。


「11番目の夫人はお亡くなりになったということでしょうか?」


 ゼルニケ公子は澱みなく流れるようにジジイの黒歴史を語ってくれた。


「はい、正式に婚姻した11名全てが死別です。他に娘をもうけた女性が23名いるそうです。末の2歳の妹の母親のみ邸で使用人を続けていまして」


 ……すごいね。神話に出てきそうな話だよ。既に私の目は完全に据わっていた。

いや、ちょっと待て。末の妹が2歳だと?私にはインキュバス邸で働く女性がいることの方が不思議に思えてきた。全員逃げ出していても何ら不思議ではない。しかも歴代の夫人全てが死別ときた。いかにも胡散臭い。


 もうひとつだけ……確認のために聞いてみようか。違うとは思うが。


「伯爵の瞳の色をお聞かせいただけますか?」


 公子は碧の瞳をしている。同じ、だよな?――その私のささやかな期待が裏切られることはなかった。


「僕と同じ色です」


 安心した。全力で逃げよう。

と、思いつつも一方では受け入れる以外の選択がないことも理解していた。主家からの命令だ。父も背くことはできまい。


 が、話は思わぬ方向へと進むこととなる。


「僕からもお聞きしてよろしいでしょうか、ボルスフェルト嬢」


「はい、なんなりと」


 何が知りたい?何を聞かれてもコルネーリラの人生に恥ずべき点はない。気の済むまで聞けばよい。

と、心の中で啖呵を切ったところに返ってきた公子の問いは、まるで想定外のものだった。


「あなたはこの婚姻を望みますか?」


「――?!」


 まさかそれを聞かれるとは思っていなかった。コルネーリラに選択肢が与えられるはずがないからだ。

ジジイの妻になるということは、すなわち公子が息子となる……というわけか。この男に母と呼ばれるのはかなり不快、だろうな。

顔に出ていただろうか。公子は優しく微笑むと、再び静かに話し出した。


「僕は望んでいません。あなたに直接それを伝えたくて、昨日はわざと遅くに訪問しました」


 公子は続けた。口調は穏やかだが自分の父親に対する嫌悪や侮蔑と言ったものが端々に感じられる。


「僕は自分が恥ずかしい。母は真っ当な人であったと思いたいが、ほとんど記憶にも残っていない人なんですよ。今のあなたのように追い込まれて泣く泣く嫁いだのだと思います、思いたいのです」


 正妻であったにせよ、この時代に9番目の妻という言葉の放つ響きは重く仄暗い。それは本来ならば全く公子の瑕疵ではないが、彼の気持ちは理解できる。


「43人も子供がいて息子はたったのひとり、僕だけです。伯爵の僕への執着は異常でした。邸の庭に出ることすら許可がなければ許されませんでした。僕ね、馬にも乗れないんですよ」


 今度はまともに同情したよ。口調と行動のチグハグさ。きっと教育は施されてきたのだろうね。それはそれは期待されて、詰め込まれたことだろう。家臣家とは言え、コルネーリラの父とも堂々と会話をこなしていた。次期伯爵家当主としての資質は充分に備わっていると言えるだろうね。

半面行動は完全に管理されていた、と。ひとりしかいない息子を失ってはいけないと、過保護になりすぎたんだろうね。それを愛情だと感じられないことも無理はない。この歳まで自由を知らずに生きてきたのだろう。


 身なりだけは立派なこの男のことが、少し気の毒になった。今コルネーリラにはこの男に同情している余裕などないはずだというのに。

返事をすることすらできずにいたところへ、公子は続けた。それもかなり返答に困る質問だった。


「ボルスフェルト嬢、僕のことはどう思いましたか?」


 さてなんと答えたらよいものか。コルネーリラとして答えねばならぬ。15歳の娘にこの男はどう映っているのか、私はしばし考えた。主家の次期当主とは言っても、今はまだそれではない。多少は本音を言っても許されるだろうか。何故かこの男はそれを期待しているような気がする。


「正直に申し上げますと、最初は少々誤解しておりました」


 午前に先ぶれを出しておきながら、日暮れに到着したこと。それをやんわりと指摘した。しかし、夜間の気遣いがあったことに驚きと感謝の気持ちが芽生えたことも伝えた。

今はその意図も理解しているつもりだ。この男は窮屈な邸から初めて外へ出る許可を得た。それも当主の代理という名分だ。それを存分に利用して少しでも長く外の世界を味わいたい、そう思ったのだろう。


 伯爵のことはわからぬが、少なくともこの男には信仰心がある。その点にコルネーリラは好感を持った。よくよく見れば、見目も悪くはない。肌が青白く線が細いのも、歪んだ伯爵の愛情によるものか。こんなひょろひょろで戦争でも起こったらどうするつもりなんだよ。まあこの先、この男が生きている間にこの国で戦争は起こらないだろうけれどね。


「ボルスフェルト嬢、僕はあなたに好意を持ちました。この感情を不快に思いますか?」


「いいえ」


 どうしてか即座にそう答えてしまった。あのジジイの息子だぞ?いや、息子だから、かもしれないな。反面教師というやつさ。この男はジジイの醜悪な部分を見て育った。出会ったばかりのコルネーリラに好意を持ったという部分に関しては、少々ジジイの血を感じないわけでもないが、私の勘がこの男は誠実だと言っている。


 公子は今までの控えめなそれとは違う、顔面一杯に笑みを浮かべていた。


「その言葉を聞けて満足です。そしてここからは提案です。父ではなく、僕と交際していただけないでしょうか」


 いやいや――

それは無理というもの。君は自分の立場がわかっているのかい?君は今、ゼルニケ伯爵家の使者としてこの邸に来ているのだよ。その話が通るなら苦労はしない。


「それは難しいでしょう。主家の当主様からのご指名でございますから」


「安心して下さい。どうか僕を信じてください。あなたが望まぬのならば決して父の妻にはさせません」


 昨日の今日で君を信じることができるほど、私は無垢ではなくてね。信じるに足る理由を聞かせてはくれないか。ジジイの人形のような君に何ができるというのだ?


「公子様を信じたいとは存じますが――」


 男は無邪気な笑みを浮かべた。こちらは全くそのような気分ではないのだが。


「父は現在ベッドの上で生活をしています。もう2年が過ぎました。家門の印だけは肌身離さず身につけておりますので、今は印を押すだけの存在です。実務は全て僕が代理を務めているんですよ」


 その後公子はこう続けた。僕が時間を稼ぐ。あなたは決してゼルニケ家に来てはならない。僕は今日帰れば再びボルスフェルト家を訪問することは難しい。だから文通しましょう。あなたのお父上を通してやり取りしましょう。それならば抜かれることも、読まれる心配もありませんから。あなたのお父上にならば読まれても構わない。読まれても恥ずかしくないものを書きます。必ず守ります、と。

そして最後にこう付け加えた。


「心配しないで下さい。僕が父を手にかけることはありません。僕は父とは違いますから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。