05:衝撃の来訪目的
明朝、普段通りに礼拝を済ませて朝食の席についた。衣装は昨日と同じものを着せられた。この季節の一張羅のようだ。不満はないよ。ストマッカーだけは昨日とは別のものを留められた。ドレスの刺繍の色に合わせた水色の生地に、上品な刺繍が施されている。この刺繡は母が手ずから刺してくださったものだ。これひとつで随分と印象が変わる。便利なものだよ。これを考えた人は偉大だね。
そして今、ボルスフェルト家の客間では昨夜から滞在中である主家、ゼルニケ家の公子と我々が向き合って座っている。真ん中に父、私はその左だ。さあ話してもらおうか。来訪の主旨とやらを。
意外にも、この場で公子が最初に話しかけたのは父ではなくコルネーリラだった。
「ボルスフェルト嬢にお聞きしたい。あなたはゼルニケ家についてどこまでご存知ですか?」
参った。そう来たか。よもや抜き打ちテストとは思いもよらなかった。コルネーリラは不思議なまでに主家の知識がない。だからかつての知識がよぎるのだ。困った。まさかこの場で「インキュバスをお飼いで?」などとは口が裂けても言えぬ。コルネーリラは清く恥じらいのある娘だ。なんと答えようか――
すかさず口を開いたのは父だった。口を開くより前に頭を深く下げている。
「申し訳ございませんゼルニケ公子。娘には折を見て学ばせる予定でございましたが、それが間に合わず――申し訳ない」
父親の向こうに座っている母親も、動揺しているように見える。しかし、対して座っている公子の方はいたって機嫌がよさそうだ。
「ボルスフェルト閣下、私はそのことを好ましくさえ思っておりますから、どうぞお気になさらず。夫人もお顔を上げてください」
無知を好ましいと言うか。やはり相当の理由があると思ってよさそうだ。こうなったらなるようにしかならぬ。小細工は不可、出たとこ勝負といったところか。うん、嫌いではないよ、こちらは場数だけは踏んでいるのでね。
そこで公子は再びコルネーリラに視線を向けた。
「ボルスフェルト嬢、少し庭を歩きませんか。昨日は遅くに着いたので、庭を拝見することができませんでしたから。歩きながらゼルニケ家について説明いたしましょう」
あのゼルニケの男と2人きりになる、ということにはどうも気が進まなかった。しかし断れる身分ではない。大丈夫だ、この男はインキュバスではない。多分……。己の手が僅かに震えていた。長く生きてきたつもりだが、まだ恐れるものが残っていたとはな。
ええい、ままよ。避けて通れぬならばさっさと済ませるに限る。私は立ちあがり礼を取った。
「ご案内させていただきます」
笑みを浮かべたゼルニケ公子が近づいてくる。思わず後ずさりしそうになる身体を辛うじて食い止めた。ただの人間だ、恐れるな。
扉を開けてマルタが待っている。側にいてくれるのかマルタ、それは大変心強かった。
9月も終盤に差し掛かり、陽射しは秋めいていた。日常的な散歩では主に裏庭を歩くコルネーリラにとって、邸の表側の庭を歩くことは久しぶりのことだった。
ボルスフェルト家の庭は、派手さはないが丁寧に手がかけられていることが伺える、趣味のよい造りとなっていた。庭はその家の女主人の好みが反映されやすい。コルネーリラの母親はかなりよいセンスをしていることが、この庭からも見て取れた。優しい色をしたダリアの花が美しく咲いている。
「良い庭ですね」
少し前を歩いていた公子が立ち止まって、コルネーリラを振り返った。
「お褒めに与り光栄でございます」
そう返しながら見上げた公子は柔らかな笑みをコルネーリラに向けていた。つい先ほどはぞわりとしたその笑みが、今度は自然なものに感じられた。太陽のせい、だろうか。
「あの東屋にお邪魔しましょうか」
公子と共に東屋のベンチに腰を下ろす。もちろん隣には座らなかった。向かい合うベンチに静かに腰を下ろす。さあ、なんなりと話せ。
最初に公子は、自分の話を始めた。
「まずは僕の名前から話しましょうか。僕はハインリヒ・ヤン=ゼルニケと言います。今年19になりました。ゼルニケ家の嫡男であり、唯一の息子です」
ハインリヒ、それは初めて聞く名だった。それ以前にコルネーリラはゼルニケ伯爵の名すら知らなかった。考えれば妙な話だ。コルネーリラに授けられてきた教育に照らし合わせてみれば、知っていて当然のことではないだろうか。唯一の息子と念を押すような発言にも引っかかりを覚えた。まあ、それは次期当主だってことだろうね。私はそれに黙って相槌だけを返した。
少し呼吸を整えるような仕草を見せた公子が、再び話し始める。
「あなたのご両親、ボルスフェルト伯爵夫妻がゼルニケ家についてあなたに教えてこなかった理由は、おそらく父にあります。僕の父、現ゼルニケ伯爵は名をバルトロメーウス・クリストッフェルと言います。78歳です」
「なっ……」
危うく「78だと?」と叫びそうになった。舌を噛みそうな名前だ。もしかしてその男か?私がかつて歌で聞いたあのクルノフ城の――
「ご長寿でいらっしゃいますね」
私としたことが、なんとも間抜けな返事をしたものだ。しかし年齢など驚くに足りなかった。ゼルニケ公子は、小さく微笑むと淡々と話を続けた。
「僕は9番目の妻の子です。先ほども言いましたが、ゼルニケに息子は僕ひとりです。娘は42人いました。そのうち39人は既に嫁いでいて、何人かはもう亡くなりました。今、僕と同じ邸に住んでいるのは3人の娘です。3人ともゼルニケ姓ではありませんが、僕の妹であることには変わりありません」
待て。待て待て待て――
情報量が多すぎる。初めに何と言った?9番目の妻、だと?この時代、この国では離婚は認められていないのではなかったか? 娘が――何人と言った?これは10番以降の妻も確実におるではないか。ゼルニケの姓が認められていない娘がいる?ダメだ、頭が痛くなってきた。これは敬虔なクリスチャン一家として生きてきたコルネーリラの強い拒絶から来る痛みだ。
そうか、全てわかった。我が父は、自分が仕える主家の乱れた生活を認め難かったのだな。娘の耳に入れたくないのも容易にわかる。何故許されている?改宗していないのか?城主様からのお咎めすらなしか?やはり現伯爵がインキュバスと言われていた男か?
ゼルニケ公子の前だということも忘れて私は盛大に頭を抱え込んでいた。
が、そこで「はて?」と我に返る。
結局公子の来訪目的はなんだったのだ?ゼルニケ家の恥部を晒してこい、などと言われてのこのこ出向いてきたわけではあるまい。
恐る恐る顔を上げると、コルネーリラの正面で困り顔をしていたゼルニケ公子と目が合った。この話を聞いた後では、なんとなくこの男に同情すらおぼえたよ。
しかし同情などしている場合ではなかった。次にこの男が言った言葉がわかるか?
「父は、あなたを12番目の妻にと希望しております」




