第4話 黒牙
必要な物は一通り買い揃え、街の空気も少し落ち着き始めていた。
空はいつの間にか、淡い茜色に染まり始めている。
「今日は疲れたね~」
夕飯の材料を抱えたカレンが、隣で軽く伸びをした。
賑わっていた通りにも、少しずつ夜の気配が混じり始めていた。
街灯がぽつり、ぽつりと灯り始める。
その光の下を並んで歩く。
「よぉ、昨日ぶりだな。」
その声は、すぐ背後から聞こえた。
振り返るより先に、理解していた。
アイツだ。
「...っ」
振り返った瞬間、喉の奥がひきつった。
そこに立っていたのは、昨日路地裏で俺を襲った金髪の男。
薄く笑うその顔を、忘れるはずがない。
男の手には、一本のナイフが握られていた。
「ソフィ、下がって!」
カレンが鋭く叫び、同時に手をかざした。
風が渦を巻くように集まり、
一気に放たれ、風が男を飲み込んだ。
男は咄嗟に腕で顔を庇い、
吹き荒れる風に足を止めた。
「逃げるよ!」
カレンが俺の手首を掴み駆け出した。
突然引かれた腕に体勢が崩れる。
それでもカレンは走ることを止めない。
石畳を蹴る足音だけが、やけに大きく響いていた。
「クソっ!!」
背後から怒鳴り声が響く。
男は追ってきていたが、
距離は十分に離れていた。
(大丈夫、この距離なら追いつかれない!)
突然、男が足を止めた。
「死ねぇ!」
男の腕が大きく振りかぶり、
ナイフが男の手から放たれた。
銀色の刃が一直線にこちらへ放たれ、
夕暮れの空気を切り裂いていく。
何が起きたのか理解するより早く、
カレンが俺を突き飛ばした。
「っ……!」
鈍い音と共に、
カレンの肩へナイフが深く突き刺さっていた。
「カレン!」
思わず叫ぶ。
しかしカレンは立ち止まらない。
「いいから走って!」
苦しそうに顔を歪めながらも、
俺の手を強く引いた。
肩から流れる血がカレンの服を赤く染めていく。
(俺のせいだ)
その考えが頭から離れなかった。
俺がもっと動けたら。
俺がもっと早くに気づけたら。
今さらどうにもならない後悔だけが、
何度も頭の中を巡っていた。
どれほど走ったのか分からない。
気づけば、男の姿はもうどこにもなかった。
家へ辿り着くまでの記憶は曖昧だった。
ただ、カレンの手に引かれるまま走り続けたことだけは覚えている。
玄関の扉を閉めた瞬間、カレンがようやく膝に手をついた。
「っ...はぁ...はぁ...」
肩から血が滴り落ちる。
それでもカレンは顔を上げた。
「ソフィ……怪我、してない?」
「そんなことよりカレン!」
肩に突き刺さったナイフへ視線が向く。
服は赤く染まり、傷の深さを嫌でも想像させた。
カレンは傷口を一瞥すると、
躊躇うことなく肩に刺さったナイフの柄を握る。
「いっ...」
苦痛に顔を歪めながらナイフを引き抜いた。
引き抜かれたナイフの先から、
血が床へ滴り落ちる。
カレンが乱れた呼吸を整え、
近くの机にナイフと荷物をそっと置いた。
「これは...黒牙っ!」
刀身に刻まれた紋様を見た瞬間、
カレンの表情が強張る。
その顔は痛みに耐えていたものと違い、
恐怖に似た表情だった。
「...その紋様を知ってるの?」
恐る恐るカレンに尋ねる。
カレンは少し俯き少し間を置いて頷いた。
「黒牙は、この街で一番有名な犯罪者グループだよ。」
その声は震えており、
いつもの明るさは、どこにもなかった。
「ただのチンピラじゃ無かったのか...」
「街の傭兵だって、簡単には手を出さない相手だよ。」
重たい沈黙が部屋を包む。
俺は机の上のナイフを見つめた。
その刃に付いた血が妙に目に焼き付く。
「なんで黒牙は俺たちを...」
「仕返し、だろうね。」
カレンはそう言って視線を落とした。
(俺のせいだ...)
昨日、路地裏に入らなければ。
俺があのチンピラ共を追っ払えるほど強ければ。
カレンが傷つくこともなかった。
握り締めた拳に、自然と力が入る。
「ごめんなさい...」
気づけば言葉が漏れていた。
「俺のせいで...カレンが...」
涙が目頭に溜まっていく。
「違うよ。」
カレンは静かに首を横に振った。
「悪いのは黒牙だよ。」
「今、出来る事をしよう。」
傷ついたのはカレンの方なのに、
手も震えて怖いはずなのに。
俺よりもずっと前を向いている。
昨日、強くなると決めたばかりなのに。
なのに俺は今、
カレンに慰められている。
このままじゃ駄目だ。
昨日決めたんだ、強くなるって。
机の上の短剣へ視線を向ける。
今日手に入れたばかりの武器。
俺はまだ弱い。
だけど、もう二度と
大切な人が傷つくのを見ているだけは嫌だ。
まだ俺はカレンに何も返せていない。
強くならなければ。
このまま弱い自分のままでは居られない。
「カレン。」
顔を上げたカレンを真っ直ぐ見つめる。
「俺は絶対に強くなる、だから...」
この続きを口に出せばもう後戻りはできない。
正直、怖い。
初めて向き合う、自分よりも強い相手。
黒牙という大きな敵。
だけど覚悟はもう決まっていた。
「戦い方を教えてくれ、この世界で強くなる方法を。」
「ソフィ...」
カレンが目を見開いた。
黙ったまま俺を見つめていた。
俺は目を逸らさず、真っ直ぐカレンを見つめた。
逃げないと決めた。
守ると決めた。
やがてカレンは小さく笑った。
「...うん。」
その返事は、いつもの明るい声より少しだけ優しかった。
「じゃあ明日から、いっぱい頑張らないとね。」
胸の奥に残っていた後悔は消えていない。
悔しさも、無力さも、そのままだ。
でも、もう立ち止まるつもりはなかった。
俺は強くなる。
大切な人を守れるように。
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