第3話 市場
朝、こちらの世界に来て一日が経った。
窓から差し込む日差しに目を覚ます。
ゆっくりと上体を起こすと、
柔らかな光が肌を包み込み、
妙に現実感だけを強めてくる。
(...夢じゃない)
小さな手をかざして光を遮る。
力を込めても、見慣れた感覚は返ってこない。
まだ、自分の手だとは思えなかった。
「おっはよ〜う!」
静寂を破る明るい声と同時に、
扉が勢いよく開いた。
ノックもなく入ってきたカレンは、
眩しいほどの笑顔のまま部屋へ飛び込んでくる。
「ね、起きてる起きてる? ちょうどいい!」
「...何だよ、朝から」
眠気混じりに返す間もなく、
彼女は勝手に話を進めていく。
「買い物行こう、買い物!」
カレンが顔を近づけ元気に言った。
「買い物?」
「そう!服とか武器とか、いろいろ必要でしょ?」
確かに否定できなかった。
この世界の常識も、金も、
生活も何一つ知らない。
外に出なければ何も始まらないのも事実だ。
「...分かった。行く」
その返事に、カレンはさらに明るく笑った。
「じゃ、玄関で待ってるね!」
風のように部屋を出ていく。
(ほんと、騒がしいやつだな)
軽く身支度を整え、後を追った。
街は、想像よりずっと“生きていた”。
石畳に響く靴音。
行き交う人々の笑い声と呼び声。
どこを見ても、止まっているものがない。
(ここが、異世界)
そう実感するほど、現実はむしろ鮮やかだった。
「離れないでね。人多いから」
「わ、分かってる」
子ども扱いされるのは癪だったが、
実際問題、少しでも離れれば迷う自信がある。
しばらく歩くと、
大きな木製の看板を掲げた店の前に出た。
「フ、ク...?」
見慣れたようで微妙に違う文字が並んでいる。
「へぇ、アルテ文字読めるんだ」
カレンが少し驚いたように目を丸くする。
「アルテ文字?」
「隣の国アルテナの派生文字だよ。こっちは大陸文字」
(俺以外にも、ここに来たやつがいる?)
心臓が少し跳ねた。
この世界に来て初めて、自分と繋がる痕跡を見つけた気がした。
カレンが扉を開けて中へ入る。
「オッちゃ〜ん!」
「その呼び方やめてって言ってるでしょ」
奥から現れたのは、どう見ても“おっちゃん”ではない女性だった。
紫の長い髪。落ち着いた雰囲気。
年齢すら掴ませない、不思議な空気。
「どこからどう見てもお姉さんなんだけど」
「オーレンだからオッちゃん!」
(原型どこいった)
思わず心の中で突っ込む。
店内を見渡すと、違和感はさらに濃くなった。
棚には見覚えのない骨や牙。
ドクロや剥製が壁に飾られ、空気すら少し重い。
(ここ……服屋だよな?)
そんな疑問が浮かんだ瞬間、
オーレンがこちらへ視線を向けた。
「それで?今日は何しに来たの?」
「この子に合う服探しててさ〜」
次の瞬間、オーレンが距離を詰める。
顔がすぐ目の前まで近づいた。
「んえ?」
「お名前は? かわいいね、まるでお人形さんみたいね。」
その言葉に返す間もなく、思考が止まる。
「え、えっと...ソフィ...」
息を呑むより早く、頬に柔らかい感触。
「ん、美味しい」
「っ!?!?」
反射的に後ろへ飛び退く。
「ちょ、ちょっと!またやってる!」
カレンの声が飛ぶ。
「仕方ないじゃない。可愛いんだもの」
オーレンは悪びれもせず、
今度は軽く頭を撫でてきた。
その温度に、張り詰めたものが少しだけ緩む。
(...悪い人、じゃないのかもしれない)
ただし、
(初対面で頬舐めるのは普通じゃない!)
という結論も同時に残った。
オーレンは少し離れ、
今度はじっくりとこちらを見る。
頭から足先まで、品定めのような視線。
やがて小さく頷くと、奥へと消えていった。
手持ち無沙汰になり、視線を店内へ戻す。
天井には、不思議な石が埋め込まれていた。
柔らかな光が部屋全体を照らしている。
「あれは?」
指差すと、カレンが視線を追う。
「あれは光魔石。魔導灯の元みたいなものだよ」
激しい足音が店の奥から忙しく聞こえる。
「おまたせ~」
オーレンが一着の服を抱えて戻ってくる。
その顔はとても楽しそうに笑っていた。
「見て、これ」
彼女は服を掲げる。
「この店の中で、一番あなたに似合うやつ」
掲げられた服は、
ブラウンを基調とした服の上に、
黒いポンチョが重なるように付いた一着だった。
正直、嫌いじゃなかった。
落ち着いた色合いで、変に派手でもない。
「可愛いでしょ?あなたに絶対似合うと思ったの。ね、着てみて?」
(うぅ、圧が凄い...)
「こ~ら!オッちゃん!ソフィ困らせちゃダメだよ~」
カレンは服を受け取ると、すぐにソフィの後ろへ回り込む。
広げたまま軽く体に当て、全体を眺めた。
「うんうん、めちゃ可愛いよ~!」
「でしょ!?」
オーレンが嬉しそうに身を乗り出す。
二人の視線が一斉に集まった。
「...まぁ悪くない」
カレンとオーレンが顔を見合わせ笑った。
カレンが財布を取り出し、
「あ、これでお願いね」
カウンターに硬貨のようなものを置き、さっと支払いを済ませる。
「じゃあ次行こう!」
店の奥で、オーレンが満足そうに手を振った。
「またね~ソフィちゃ~ん」
オーレンの店を後にし、次の目的地へと歩き出した。
人々の話し声や笑い声が、通りに溢れている。
「次は武器だよ!武器!」
「武器...!」
(異世界といえば剣、剣といえば男のロマン!)
この世界に来てから初めて、心が躍った。
「ここだよ!」
カレンが指差した先にあったのは、
オーレンの店のような建物ではなく、
簡易的なテントを張った露店だった。
並べられた剣や槍の奥で、
一人の男がこちらを見ている。
「今日も元気だなカレン。」
「えへへ~ 今日はお客さん連れてきたよ~!」
カレンが俺の背中を軽く押す。
「ほら、この子ソフィ! 今日武器を見に来たの!」
綺麗に装飾された剣や、
ノコギリのような刃を持つ奇妙な武器。
見たこともない武器が所狭しと並び、
視線はすっかり釘付けになっていた。
「かっこいい!」
「ははっ、嬢ちゃん見かけによらず見る目があるじゃねぇか」
男は嬉しそうに笑った。
「気になるなら触ってみるか?」
「いいの!?」
思わず身を乗り出す。
「おう。ただし振り回すなよ」
「分かってる!」
俺は並べられた剣の中から、一番格好いい一本へ手を伸ばした。
磨き上げられた銀色の刀身、装飾の施された柄。
まるでゲームに出てくる勇者の剣みたいだった。
(これだ!)
柄を握り持ち上げようとしたが。
「...あれ?」
剣は両手でも思うように持てなかった。
「重っ!」
思わず剣を支え直す。
「ははっ!コイツを扱うには、ちょっと早かったか!」
「ソフィちっちゃいもんね~」
「ぐぬぬ...」
店主は笑いながら別の武器を手に取った。
渡されたのは一本の短剣だった。
先程の剣ほど派手な装飾はないが、
磨かれた刃が鋭く光っている。
恐る恐る受け取る。
さっきの剣とは比べ物にならないほど軽かった。
「おぉ...」
「気に入ったか?」
「うん!」
思わず即答していた。
大剣みたいな迫力はない。
それでも、手の中に収まる感覚は妙にしっくりきた。
「そうかそうか」
店主は満足そうに頷いた。
「じゃあ、その短剣にするか?」
迷う理由はなかった。
「これでお願いね!」
カレンが財布から硬貨を取り出し、店主へ差し出す。
店主は慣れた手つきで硬貨を数えると、満足そうに頷いた。
「毎度あり」
そう言って、鞘に収まった短剣をこちらへ差し出す。
恐る恐る受け取る。
この世界で初めて手に入れた、自分だけの武器だ。
少しだけ胸が高鳴った。
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