第25話 家族
ある寒い日、太陽も雲に隠れていた。
そんな日に俺は産まれた。
母親に抱き上げられた俺は、小さな身体を震わせながら泣いていた。
まだ何も知らない赤ん坊だった。
小さな手。
細い腕。
柔らかな肌。
握った拳は、母親の指を包むことすらできないほど小さかった。
「...元気な子ですよ。」
そう言われ、母親は俺を抱きしめた。
父親も俺の顔を覗き込む。
母親の腕の中で、俺は泣いていた。
父親は俺を見つめていた。
「お前の名前はカーネル。」
父親はそう言った。
「カーネル...」
母親もその名前を口にする。
「良い名前ね。」
「そうだろ?」
二人は俺を見て笑った。
俺は何も知らない。
自分がどこで生まれたのかも。
ここがどんな場所なのかも。
両親が何を信じているのかも。
ただ、二人の声を聞いていた。
母親の腕の中は暖かかった。
父親の手が、俺の頭を優しく撫でる。
その感触が心地よくて、俺は泣くのをやめた。
それから数年が経った。
それまでは普通に暮らしていた。
両親から愛されていた。
あの日から全部狂ったのだ。
俺は毒を持つ魔獣に襲われた。
生きたまま腹を食われ、毒に侵され死ぬはずだった。
だが俺は死ななかった。
それどころか怪我も毒もみるみる治っていく。
「...魔女様の祝福だ。」
父親が呟く。
その時から両親はおかしくなった。
いや、元からおかしかった。
両親も近所の人も集落全ておかしかった。
俺は気づいてしまったのだ。
俺の身体には、生まれた時から魔女の祝福があった。
傷ついても、時間が経てば傷が消える。
それは、この集落では特別なものだった。
「この子は、魔女様に選ばれたんだ。」
「きっと偉大な信徒になる。」
周りの人たちは、俺を見ながら口々にそう言った。
母親も嬉しそうに笑っていた。
「この子は、きっと魔女様のお役に立つわ。」
父親も頷く。
「そうだな。」
俺はまだ何も知らなかった。
魔女様が誰なのか。
信仰とは何なのか。
何をすれば偉大な信徒になれるのか。
ただ、両親が喜んでいる。
それだけが嬉しかった。
俺は両親に愛されている。
そう思っていた。
それから数年が経った。
俺は毎日のように祈りを捧げた。
朝起きれば祈り。
食事の前にも祈り。
寝る前にも祈り。
祭事があれば参加した。
両親に言われるまま、魔女様について学んだ。
「魔女様は偉大なお方だ。」
「魔女様は我々を救ってくださる。」
「お前も、いつか魔女様のために尽くすんだ。」
俺は何度も聞かされた。
「うん。」
そう答えた。
それが正しいことだと思っていた。
ある日、俺は外で遊んでいた。
同じくらいの年齢の子供たちが何人かいた。
「カーネル、一緒に遊ぼうぜ!」
俺は頷いた。
その日は、みんなで森の近くまで走っていった。
くだらないことで笑った。
泥だらけになった。
楽しかった。
夕方になり、家へ帰ると。
「どこに行っていた。」
父親が立っていた。
「...友達と遊んでた。」
「友達?」
父親の表情が変わる。
「お前には魔女様の教えを学ぶ時間があるだろう。」
「でも...」
「遊ぶ必要などない。」
俺は俯いた。
「...ごめんなさい。」
「謝ればいいという話ではない。」
その日から、俺は外で遊ばなくなった。
友達とも、話さなくなった。
祈りの時間が増えた。
勉強する時間も増えた。
俺が何かをしたいと言えば、
「魔女様のためになるのか?」
そう聞かれた。
俺が何かを嫌だと言えば、
「魔女様のために必要なことだ。」
そう言われた。
俺は少しずつ、自分の考えを言わなくなった。
何がしたいのか。
何が嫌なのか。
何が好きなのか。
そんなことを考えることすら、なくなっていった。
それでも。
俺は両親が好きだった。
言うことを聞けば、褒めてくれる。
祈りを頑張れば、嬉しそうにしてくれる。
魔女様について話せば、笑ってくれる。
だから俺は、頑張った。
もっと頑張れば。
もっと良い信徒になれば。
もっと魔女様に尽くせば。
きっと両親は、俺自身をもっと見てくれる。
そう思っていた。
けれど。
俺は知らなかった。
両親が愛していたのは、俺ではなかった。
俺に期待していたのは、俺自身ではなかった。
俺はただ。
魔女様に仕えるための息子だった。
それから、さらに数年が経った。
俺は少しずつ大きくなっていた。
けれど、生活は何も変わらなかった。
朝起きれば祈り。
食事の前にも祈り。
寝る前にも祈り。
祭事があれば参加する。
毎日のように教典を読み、魔女様について学ぶ。
それが当たり前だった。
ある日。
集落で祭事が行われた。
その日は朝から多くの人が集まっていた。
俺も両親と一緒に祭壇の前に立っていた。
「カーネル。」
父親が声をかける。
「はい。」
「今日はお前が祈りを捧げなさい。」
「俺が?」
「ああ。」
俺は祭壇の前に立った。
大勢の人が俺を見ている。
少し緊張した。
それでも、教えられた通りに祈った。
魔女様の偉大さ。
魔女様への感謝。
魔女様への忠誠。
最後まで間違えずに言えた。
周囲から拍手が起こった。
「さすが魔女様に選ばれた子だ。」
「立派な信徒になるぞ。」
「将来が楽しみだ。」
両親も笑っていた。
俺も嬉しかった。
その時までは。
そして、ある日。
俺は大きな失敗をした。
祭事の準備をしている時だった。
俺は祭壇に置かれていた道具を運んでいた。
その途中で、手を滑らせた。
ガシャン。
祭具が床に落ちた。
「...!」
周囲の人たちが一斉にこちらを見る。
「カーネル!」
父親が駆け寄ってくる。
「ご、ごめんなさい!」
俺は慌てて拾おうとした。
その時。
父親が俺の腕を掴んだ。
「何をしている。」
「ごめんなさい....」
「これは魔女様に捧げるためのものだぞ。」
父親の顔には怒りが浮かんでいた。
俺は怖くなった。
「謝れば済むと思っているのか?」
「...」
「お前は魔女様に選ばれたんだ。」
「それなのに、こんな失敗をするのか。」
俺は何も言えなかった。
周囲から視線を感じる。
「申し訳ありません...」
「本当にそう思っているのか?」
「...はい。」
「なら証明しろ。」
父親は俺を祭壇の前に立たせた。
「今日の祭事が終わるまで、ここで祈っていなさい。」
「で、でも...」
「何だ?」
「...何でもないです。」
俺は祭壇の前に座った。
何時間も祈った。
足が痛くなった。
喉も渇いた。
それでも、誰も助けてくれなかった。
日が沈んでも。
夜になっても。
俺はそこにいた。
怖かった。
辛かった。
もう嫌だった。
普通に遊びたかった。
自由になりたかった。
誰も助けてはくれなかった。
魔女様だって何もしてくれない。
そして、その夜。
布団の中で一人になった。
俺は初めて、本気で思った。
ここから出たい。
魔女様から離れたい。
両親から離れたい。
この集落から離れたい。
そう思った。
でも。
両親を嫌いになったわけじゃなかった。
俺は両親が好きだった。
だからこそ。
自分でも、どうすればいいのか分からなかった。
それでも。
その日から。
俺は少しずつ、家の外を見るようになった。
集落の外。
森の向こう。
その先に何があるのか。
俺は知らない。
それでも。
そこにはきっと。
俺の知らない世界がある。
そう思った。
そして。
俺は家出を決意することになる。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、
ブックマークや評価をいただけると励みになります。




