第97話 最期に守ったもの
「――セレス!」
遠くから、誰かが自分を呼んでいる。
その声に引かれるように、セレスはゆっくりと意識を取り戻した。
「……っ」
目を開ける。
視界は灰色だった。
瓦礫。
粉塵。
崩れた天井。
身体を動かそうとするが、思うように力が入らない。
「……うう」
動けない。
何が起きたのか。
思い出そうとした、その時。
目の前に――大きな石の腕があった。
「……ゴーレム?」
自分を覆うようにして、巨体が倒れている。
その身体には無数の亀裂。
胸元に埋め込まれた魔法石は、弱々しく明滅していた。
そして。
その腕の中には――
「……日記」
セレスが何日もかけて読み解いていた、古びた一冊。
瓦礫に押し潰されることなく、そこだけは無傷だった。
セレスは息を呑んだ。
「……僕を、守ったのか?」
返事はない。
ゴーレムの瞳から、青白い光が消えていく。
「待て……」
セレスが手を伸ばす。
けれど。
その指先が触れるより先に――
ゴーレムの身体が、静かに崩れた。
ガラ……。
石の身体が、ただの瓦礫へと変わっていく。
「……」
セレスは言葉を失った。
その時だった。
「セレス!」
今度こそ、はっきり聞こえた。
「そこにいるの!?」
ミラベルの声。
「……ミラベル」
セレスは声を振り絞る。
「ここだ!」
「セレス!」
瓦礫の向こうから、ミラベルたちの姿が現れる。
ノアとガルドが駆け寄り、崩れた石を退かしていく。
「無事か?」
「なんとかね」
「なんとかじゃねぇだろ!」
ガルドが荒々しく瓦礫を放り投げる。
「一人で勝手に消えやがって!」
「……悪かったよ」
やがて、セレスの身体が引き出された。
ミラベルはその姿を見つめる。
無事だった。
それを確認した瞬間。
張り詰めていたものが、切れた。
「……よかった」
目に涙が浮かぶ。
その視線が、セレスの足元に落ちた。
崩れたゴーレム。
その腕に守られていた日記。
ミラベルは何も言えなかった。
――一人しか救えない時。
精霊の声が、胸の奥で蘇る。
誰かを選ぶ。
誰かを捨てる。
それが、この試験の意味なのだろうか。
「……ミラベル」
セレスが声をかける。
「どうしたの?」
「このゴーレム……最後まで、日記を守っていた」
ミラベルは日記を見る。
そして、ゴーレムだった瓦礫を見る。
「……うん」
その時――。
ゴゴゴゴゴゴ……!
「……!」
大地が揺れた。
天井から大量の砂埃が降り注ぐ。
「またかよ!」
ガルドが叫ぶ。
「逃げるぞ!」
ノアがセレスの腕を肩に回した。
「歩けるか?」
「……歩ける」
「なら走れ」
「無茶を言うなぁ……」
「死にたくなければな」
ガルドも反対側からセレスを支える。
「ほら、行くぞ!」
四人が出口へ向かって走り出す。
ミラベルも、その後を追う。
けれど。
最後尾にいたエルフィナだけが――
足を止めていた。
「……」
彼女は周囲を見回している。
「エルフィナ!」
ミラベルが振り返る。
「早く!」
「……待って」
エルフィナは返事をしなかった。
崩れた壁。
砕けた研究具。
古びた檻。
床に残る魔法陣。
その全てを、じっと見つめている。
「さっきから……おかしい」
「何が?」
ミラベルが戻ろうとする。
エルフィナは首を横に振った。
「この場所」
「ずっと、何か変なの」
「……魔力?」
「ううん」
エルフィナの顔から血の気が引いていく。
「魔力だけじゃない」
そして。
ゆっくりと天井を見上げた。
「この研究所……」
「壊れてるんじゃない」
「え?」
エルフィナが呟く。
「まだ――動いてる」
その瞬間。
ミシ……。
「……?」
ミラベルが顔を上げる。
亀裂の入った天井。
その一部が、大きく傾いている。
――っ!」
巨大な石塊が、少し先の方
ドォンッ!
轟音とともに、叩きつけられた。
「……っ」
顔を上げる。
その時だった。
「ミラベル!」
エルフィナの叫び声。
反射的に振り返る。
エルフィナの頭上。
亀裂の走った天井が、ゆっくりと沈んでいた。
「……エルフィナ!」
ミラベルが駆け出そうとする。
けれど――
「……!」
視線の先。
ノアとガルドに支えられたセレス。
その三人の頭上でも、天井が大きく軋んでいた。
ミシ……。
嫌な音が響く。
ミラベルは立ち止まった。
目の前には、エルフィナ。
少し先には、ノアたち。
そして。
自分の立っている場所だけが、不思議なほど静かだった。
ついさっき、天井が崩れ落ちたばかりだから。
もう、落ちてくるものはない。
「……」
ミラベルの喉が鳴った。
分かってしまった。
――どちらも、助けることはできない。
「……一人しか」
胸の奥で、あの声が蘇る。
――一人しか救えぬ時。
「……」
ミラベルは拳を握った。
誰かを選ぶ。
誰かを置いていく。
そんなことを――
「……できるわけない」
その瞬間。
ドクン。
胸元のペンダントが、強く脈打った。




