第91話 追いかけた先の闇
四つ足の魔物は、一度も振り返らずに歩き続けていた。
崩れた石壁。
ひび割れた床。
天井からは砂埃が絶え間なく降り注ぐ。
誰も口を開かない。
足音だけが、静かな研究所に響いていた。
やがて、通路の先に重々しい鉄扉が現れる。
扉は半ば朽ち、片方だけが大きく開いたまま止まっていた。
魔物は迷うことなく、その奥へ入っていく。
「……行くしかないか」
ノアが短く言う。
四人は顔を見合わせ、小さく頷いた。
扉をくぐった瞬間――。
鼻を刺す、薬品とも血ともつかない、古びた匂いが漂ってきた。
思わずミラベルは口元を押さえる。
「この匂い……」
「研究室、か?」
ガルドが眉をひそめた。
広い空間だった。
壁際には砕け散った棚が並び、床には割れた薬瓶や錆びついた器具が散乱している。
長い年月を経ているはずなのに、その独特な匂いだけが今も残っていた。
エルフィナは足元にしゃがみ込む。
「これは……薬草?」
乾ききった葉を拾い上げるが、指先で触れただけで崩れ、粉となって消えていく。
「保存薬品も混ざってるわ。でも、見たことのない調合ね」
ノアは部屋の奥へ視線を向けた。
そこには、太い鉄格子が並んでいた。
一つや二つではない。
部屋の壁に沿うように、いくつもの檻が続いている。
そのほとんどが壊れ、扉は内側から引き裂かれたように歪んでいた。
「檻……?」
ガルドが低く呟く。
床には太い鎖。
壁には深く刻まれた爪痕。
ところどころに、巨大な牙で噛み砕かれたような跡まで残っている。
「ここで……何を飼ってたんだ?」
誰も答えられない。
魔物を閉じ込めていたのか。
あるいは――
ここで、生み出していたのか。
その考えが頭をよぎり、誰も口にはしなかった。
ミラベルは静かに部屋を見回す。
その視線が、奥の壁で止まった。
「……あれ」
壁一面に、大きな紋章が刻まれている。
王家の紋章ではない。
見覚えはないはずなのに。
「……似てる」
思わず漏れた声に、ノアたちが振り返る。
「何がだ?」
ミラベルは、部屋の入口でこちらを見守るように座る四つ足の魔物へ視線を向けた。
「あの子の首元にある紋章……」
よく見ると、薄く掠れているものの、壁に刻まれた文様とどこか重なって見える。
円を描くように伸びる線。
絡み合う蔦のような紋様。
中心には、羽根にも花にも見える不思議な意匠。
「偶然……なのかな」
ノアは壁へ近づき、指先で紋章をなぞった。
長い年月で擦り減っている。
それでも、不思議な温もりだけが残っていた。
その時だった。
先を歩いていた四つ足の魔物が、部屋の奥で静かに座り込む。
じっと、一枚の石壁を見つめている。
「どうした?」
ガルドが声をかけても動かない。
ミラベルが近づくと、胸元のペンダントが小さく脈打った。
ドクン。
それに呼応するように。
石壁へ刻まれた紋章が、淡く光を帯びる。
ゴゴゴ……。
低い地鳴りが響いた。
「なっ……!」
四人が身構える。
ゆっくりと。
石壁が左右へ動き始めた。
その奥から流れ出してきたのは、ひんやりとした空気。
そして、さらに濃くなった異様な匂い。
闇は静かに口を開けていた。
まるで。
何十年もの間、誰かが訪れるのを待ち続けていたかのように。




