第89話 掴み損ねた絆
轟音が消えた。
立ち込める煙が、ゆっくりと薄れていく。
崩れた石壁。
燃え上がる瓦礫。
床には大きな亀裂が走り、その先は黒い闇へと落ち込んでいた。
「……セレス」
ミラベルは、その場へ崩れ落ちるように膝をついた。
伸ばした手は届かなかった。
あと少しだった。
あと少しで、掴めたはずだった。
胸の奥が締めつけられる。
「……私が」
もっと早く動いていれば。
迷わなければ。
そんな後悔ばかりが頭を巡る。
誰も言葉を発しなかった。
瓦礫が崩れる音だけが、静かな空間に響いている。
「……いつまで、そうしている」
沈黙を破ったのは、ノアだった。
ミラベルはゆっくり顔を上げる。
「でも……」
「セレスが」
「分かってる」
短く返す。
その視線は崩落した先を見据えたままだ。
「俺だって助けたい」
その一言に、ミラベルは息を呑んだ。
ノアは静かに続ける。
「だけど」
「ここで立ち止まっていても、助けられない」
「……」
「置いていくんじゃない」
ノアは一歩、前へ踏み出した。
「助けるために進むんだ」
その背中は振り返らない。
迷いもなかった。
「セレスなら」
「俺たちがここで立ち止まることを望むと思うか」
答えられなかった。
きっと、望まない。
あの穏やかな笑顔で、
『先へ進んで』
そう言う気がした。
「行くぞ」
ノアはそのまま歩き始める。
ガルドは大きく息を吐いた。
「……ちくしょう」
悔しそうに崩落した穴を睨みつける。
「必ず見つけてやる」
そう呟き、ノアの後へ続いた。
エルフィナはしゃがみ込んだミラベルの隣へ来る。
「ミラベル」
優しい声だった。
「大丈夫?」
ミラベルは唇を噛む。
「……うん」
強がりだった。
それでも立ち上がる。
エルフィナは小さく微笑んだ。
「歩けそうなら」
「私たちも進みましょう」
ミラベルはもう一度だけ崩落した場所を見る。
「……待ってて」
小さく呟く。
「絶対に迎えに行くから」
四人は再び歩き始めた。
◇
通路のあちこちには、爆発で吹き飛ばされた研究具が散乱していた。
砕けた魔導具。
割れた薬瓶。
歪んだ金属器具。
古びた羊皮紙は焦げ、文字も読めない。
「気をつけろ」
ノアが瓦礫を避けながら進む。
床には細かな亀裂が走り、いつ崩れてもおかしくない。
「こんな場所で、何を研究してたんだ……」
ガルドが拾い上げた金属器具は、触れた瞬間に崩れて砂になった。
長い年月が流れている。
それなのに。
空気だけは、不自然なほど濃い魔力を帯びていた。
「ねぇ」
エルフィナが立ち止まる。
「見て」
視線の先。
壁一面に、巨大な魔法陣が描かれていた。
いや。
描かれていた痕跡、と言うべきか。
紋様は擦り切れ、ところどころ剥がれ落ちている。
古代文字も半分以上が失われ、何の術式なのか判別できない。
「読めるか?」
ノアが尋ねる。
ミラベルはゆっくり首を横に振った。
「分からない……」
見たこともない魔法陣。
それなのに。
胸元のペンダントが、微かに震えた。
「……?」
一瞬だけ、淡い光が漏れる。
すぐに消えた。
気のせいだったのか。
ミラベルは壁へ手を伸ばしかけ――
やめた。
今は、進まなければならない。
その時だった。
ガリッ。
何かを引っかくような音が響く。
四人の動きが止まる。
静まり返った通路。
再び。
ガリ……ガリッ……。
壁の向こうから聞こえてくる。
何かが、這う音。
ガルドが剣へ手をかける。
「……来るぞ」
直後。
壁が内側から砕け散った。
轟音とともに飛び散る石片。
暗闇の中から現れたのは――
獣だった。
狼にも似ている。
だが、その身体には黒く変色した魔法陣が幾重にも刻まれている。
皮膚の隙間から漏れる紫色の魔力。
濁った瞳。
喉の奥から低いうなり声を漏らしながら、一歩、また一歩と近づいてくる。
「魔物……?」
エルフィナが息を呑む。
ノアは剣を構えた。
しかし、その魔物は普通ではなかった。
首元には、薄れかけた一枚の金属板。
そこに刻まれていた紋章を見た瞬間。
ミラベルの鼓動が大きく跳ねる。
それは――
見覚えのない紋章だった。




