第88話 掴めそうで掴めない
「掴んで!」
ミラベルは手を伸ばした。
崩れ落ちる足場。
その先にいるセレス。
あと少し。
あと少し届けば――。
その瞬間。
旧魔法研究所全体に、低い音が響いた。
ゴォォォン……。
「……?」
ミラベルが顔を上げる。
中央の魔法陣。
先ほどまで青白く輝いていたそれが、赤く染まっていた。
「まずい」
セレスが呟く。
「これは……」
何かに気づいたように目を見開く。
次の瞬間。
轟音が響いた。
ドォォォンッ!!
広間の一部が爆発する。
「きゃっ!」
爆風が二人の間を引き裂いた。
伸ばした手が届かない。
「セレス!」
ミラベルの身体が吹き飛ぶ。
その瞬間。
「ミラベル!」
ノアが飛び込んだ。
倒れ込むミラベルを抱え、その上へ覆い被さる。
砕けた石片が降り注ぐ。
熱風が頬を焼く。
やがて。
音が消えた。
残ったのは、濃い煙と燃え上がる炎だけだった。
「……っ」
ノアがゆっくり顔を上げる。
「怪我は?」
「私は……大丈夫」
ミラベルは答える。
けれど、その視線はすぐに煙の向こうへ向かった。
「セレス……?」
返事はない。
煙が少しずつ晴れていく。
崩れた床。
燃える瓦礫。
そして。
セレスがいた場所には、深い亀裂だけが残っていた。
「……嘘」
ミラベルの声が震える。
「そんな……」
ガルドが拳を握る。
「くそっ!」
壁を殴りつける。
「何なんだよ、これ……!」
エルフィナも周囲を見回す。
「これも……試験なの?」
答える者はいない。
ガルドが怒鳴った。
「おい!」
「試験官!」
「聞こえてるんだろ!」
返事はない。
王家監察官の姿も、いつの間にか消えていた。
まるで。
ここから先は、自分たちで判断しろと言われているようだった。
「セレスを助けに行かないと」
ミラベルが立ち上がる。
ノアが腕を掴んだ。
「駄目だ」
「離して!」
「今行けば、お前まで落ちる」
「でも!」
ミラベルは振り返る。
「セレスは仲間なの!」
その言葉に。
ノアは一瞬だけ目を伏せた。
「分かってる」
「俺だって助けたい」
「だったら!」
「だから止めてる」
静かな声だった。
「一人で行くな」
ミラベルの動きが止まる。
その言葉が胸に刺さる。
前の自分なら。
きっと、迷わず飛び込んでいた。
誰にも相談せず。
誰にも頼らず。
自分だけで何とかしようとして。
「……」
ミラベルは唇を噛んだ。
⸻
暗闇。
冷たい石の感触。
「……痛いな」
セレスはゆっくり目を開けた。
身体を起こす。
腕に痛みが走る。
どうやら落下の途中で壁へぶつかったらしい。
大きな怪我はない。
しかし。
「……ここは」
周囲を見回す。
そこは先ほどの広間ではなかった。
崩れた書架。
古い魔導具。
壁に刻まれた王家の紋章。
「旧研究区画……」
セレスは呟く。
偶然落ちた。
そう思うには、あまりにも出来すぎていた。
ゆっくり歩く。
その時。
一冊の古びた記録が目に入った。
触れる。
埃が舞う。
けれど。
文字は読めない。
「……」
セレスは苦笑した。
「また、これか」
脳裏に浮かぶのは、学園図書館の地下。
誰も使わない古い書庫。
あの時、偶然見つけた一冊の日記。
名前はなかった。
ただ。
内容だけが異様だった。
王家。
研究所。
泉。
そして――。
一人の王女。
「アウレリア……」
セレスは小さく呟く。
最初は暗号かと思った。
字が汚すぎた。
本当に。
読めなかった。
何日も図書館へ通った。
古文書と照らし合わせ。
一文字ずつ意味を拾った。
それでも。
まだ全部は読めていない。
「研究者の字じゃないよね……」
思わず笑う。
「いや……研究者だからこそ、なのかな」
余白には大量の書き込み。
途中で文章が途切れ。
後から追加された言葉。
まるで本人が思いついたことを、そのまま書き残したような日記。
だが。
その中に何度も出てきた言葉がある。
『研究所』
『泉』
『守護』
そして。
『もし、娘が訪れたなら』
セレスの表情が変わる。
「……」
その先は。
まだ読めていない。
だが。
今なら分かる。
ここにある何かが。
ミラベルへ繋がっている。
セレスは立ち上がった。
目の前には、一つの扉。
王家の紋章が刻まれている。
「僕だけが落ちた理由……」
扉へ手を伸ばす。
「調べる価値はありそうだね」
古い扉が。
静かに開いた。




