第86話 声の主
――王家魔導研究所。
「アウレリアお嬢様。また抜け出してきたのですな」
「だから、お嬢様はやめてって言ってるでしょう?」
金髪の少女は頬を膨らませる。
「私はアウラでいいの」
「所作も、お茶会も、ダンスも嫌」
「私は……魔法が好きなの」
困ったように、研究所長は息をついた。
「しかし、陛下には知らせると約束しておりましてな」
「言ったら泣くわよ」
「……それは困りますな」
「お父様と私、どちらが大事?」
「それは……答えに困る質問ですな」
少女は満足そうに笑った。
「じゃあ、ここにいていいわね」
「……仕方ありませんな」
所長は肩を落とし、奥へ視線を向ける。
「ただし、こちらの者たちの邪魔はしないように」
そこには二人の魔導士がいた。
一人は研究所期待の若手。
無口で、鋭い目をした青年。
もう一人は、静かに魔導書を読む少年。
「魔法、得意なの?」
アウラの目が輝く。
青年は一冊の本を差し出した。
「初級魔法書です」
「わぁ……!」
少女は嬉しそうに受け取る。
所長は苦笑した。
「いやはや、お嬢様には敵わない」
――
それから。
アウラは何度も研究所を訪れた。
魔法について尋ね。
失敗して。
笑って。
学んで。
季節が巡った。
少女は大人になった。
腕には、小さな命。
「ミラ」
母となったアウレリアは、優しく我が子へ語りかける。
所長は退き、研究所は青年へ引き継がれた。
かつての少年は、立派な青年になっていた。
ある日のこと。
研究所近くの泉。
アウレリアは、小さな娘を抱きながら微笑んでいた。
「ここへ来ると落ち着くわね」
「昔から、変わらない場所」
その時。
「そうだな」
低い声が響いた。
「……え?」
驚いた瞬間。
腕の中の赤子が落ちる。
しかし。
落ちない。
見えない力が、優しく包み込んでいた。
「驚かせてしまったな」
泉のそば。
小さな光が浮かぶ。
そこにいたのは――
妖精。
「……貴方、見た目と声の差がすごいわね」
アウレリアが笑う。
「久しく、人と話していなかったのでな」
低い声が、少し柔らかくなる。
「その方がいいわ」
アウレリアは笑った。
妖精もまた笑う。
「ははは……」
「久しいのぉ、人間」
――
その声を。
ミラベルは聞いたことがあった。
いや。
違う。
聞いたことがないはずなのに。
知っていた。




