第78話 月明かりが照らす古書
夜。
誰もいなくなった図書館。
月明かりだけが、机の上を照らしていた。
セレスは古びた本へ向き合っている。
何度も開いたページ。
何度も書き写した文字。
それでも、まだ読み解けない部分が残っていた。
「何を読んでいるんだい?」
声に振り返る。
「セドリック先輩」
「やあ」
いつもの柔らかな笑顔だった。
「とっくに閉館時間は過ぎているけどね」
「でも、扉が開いていました」
「あれ?」
セドリックは目を丸くする。
「それは、うっかりだ」
悪びれる様子もなく笑った。
セレスの手元に視線を落とす。
「地下から持ち出したのかい?」
「……はい」
「困るなぁ」
セドリックは肩をすくめる。
「地下の資料は、階を越えたら持ち出し扱いなんだ」
「図書委員としては見過ごせない」
「……すみません」
「でも」
セレスは本を抱き寄せる。
「見逃してください」
しばらく見つめ合う。
やがてセドリックは小さく笑った。
「いいよ」
「……いいんですか?」
「うん」
「僕も少し気になっていたからね」
その一言の意味は分からなかった。
⸻
「それで?」
「読めたのかい?」
セレスは苦笑する。
「……少しだけです」
「でも、分からないことの方が増えました」
セドリックは本を覗き込む。
数ページめくる。
「なるほど」
「やっぱり難解だね」
「内容がですか?」
「いや」
セドリックはページを指差す。
「字が」
沈黙。
「……そこですか?」
「重要だよ」
真顔だった。
「この世には、魔法より解読が難しいものがある」
「それは?」
「本人の字」
セレスは思わず笑う。
「そんなに酷いですか?」
「酷い」
即答だった。
「読ませる気があるとは思えない」
「……」
「でも、不思議なんだ」
セドリックは一ページだけ見つめる。
「急いで書いた字じゃない」
「え?」
「この人、たぶん普段からこういう字なんだ」
「……」
「つまり、字が汚い」
「身も蓋もないですね」
「真実は時として残酷だからね」
「まあ、それはそれとして」
セドリックは本を閉じ、セレスへ返した。
「読めたところまででいい」
「君の考えを、今度聞かせてくれないか」
「僕の……考えを?」
セレスは少し驚く。
「僕なんかの意見をですか?」
「もちろん」
セドリックは穏やかに微笑んだ。
「魔法は、一人で考えていると視野が狭くなることがある。」
「だから僕は、他人の考えを聞くのが好きなんだ」
「柔軟な人間でいたいからね」
セレスはしばらく本を見つめる。
そして、小さく頷いた。
「……分かりました」
「もし、もう少し読めたら」
「その時は、お願いします」
「喜んで」
セドリックは軽く手を振る。
「じゃあ、僕は失礼するよ」
「君もほどほどにね」
「はい。ぼちぼち帰ります」
セレスが返事をした時にはもう、セドリックの姿はなかった。
「あの人、神出鬼没だな」
「そういえば……」
「また鍵、閉め忘れてる」
「あの人、本当に図書委員なのかな」
苦笑しながら本を閉じる。
夜風がページをめくった。
セレスは慌ててそれを押さえ、再び文字へ目を落とす。
まだ読めない。
それでも、あと少しで何かが分かる気がしていた。
窓の外には、満天の星が静かに瞬いていた。




