第75話 回り出した水車
「ミラベル!」
沢の上流から、ノアとガルドが駆けつけた。
その視線の先では、老婆が水車に寄り添い、静かに涙を流している。
「なんで婆さん泣いてんだ!?」
ガルドは状況がまったく飲み込めず、目を丸くした。
その隣では――。
びしょ濡れになったミラベルが、沢の中で照れくさそうに笑っていた。
「無事だった……!」
先に駆けつけていたエルフィナは堪えきれず沢へ飛び込む。
水しぶきを上げながらミラベルのもとへ駆け寄り、そのまま強く抱きしめた。
「もう……無茶ばっかりね!」
震える声だった。
「ご、ごめん」
ミラベルは照れ笑いを浮かべ、
「服までびしょ濡れになっちゃった」
そう言って立ち上がろうとした瞬間――
ふらっ
身体が大きく揺れた。
「ミラベル!」
エルフィナはすぐにその身体を支える。
「ほら……やっぱり」
「無理しすぎなのよ」
「えへへ……ちょっと力が抜けちゃっただけ」
少し離れた場所で、その様子をノアは静かに見つめる。
何も言わない。
ただ、小さく息を吐いた。
その表情からは、張り詰めていたものが少しだけほどけていた。
「じゃあ、ひとまず、婆さんを村まで送ろう」
ガルド達が老婆の方へ向かう。
その一瞬、セレスだけがミラベルを見る。
(あの魔法……)
(見たことがない)
(魔法陣もなかった)
(詠唱も、この国の術式とは違う)
(それなのに、瘴気だけを消した)
(……あれは何なんだ)
視線を感じ、ミラベルが振り返る。
「セレス?」
「……いや」
「後で少し聞かせて」
笑顔で返す。
老婆を送り届けた後、五人は任務を完了させるため、祠と井戸の調査へ向かう。
「祠の方は何もなかったぞ」
ガルドが崩れた建物を指差す。
「ほら、潰れてる」
屋根は柱ごと崩れ落ち、石だけが無造作に積み重なっていた。
「何もないどころか、一番酷い場所じゃないか」
セレスは苦笑する。
「神様も何もあったもんじゃないな」
ノアが呟く。
「いや、ガルドが体当たりしたんじゃないよね?」
セレスが苦笑する。
「するか!」
ガルドが即座に否定する。
そのやり取りに、ミラベルとエルフィナも思わず笑った。
ミラベルは崩れた祠の前へしゃがみ込み、静かに手を合わせる。
その瞬間――。
胸元のペンダントが淡く光を放った。
「……!」
セレスが息を呑む。
しかし光はすぐに消えた。
「ミラベル……今、光ったよね?」
「え?」
「ペンダントが」
ミラベルは胸元を見る。
「光ってないよ?」
「……そう見えたんだけど」
ノアも首を振る。
「俺には何も見えなかった」
エルフィナも頷く。
「私も」
(僕だけ……?)
セレスは胸の内だけで呟いた。
◇
続いて向かった井戸は、相変わらず底まで干上がっていた。
ノア
「やっぱり枯れてる」
中へ降りる。
魔法陣を見る。
「読めない」
セレスも降りる。
「古すぎるね」
「今ある魔法体系じゃ解析できない」
戻ってきた二人にエルフィナが尋ねる。
「結局、何だったの?」
二人は何も答えられない。
「うーん。わからないや」
「そう」
老婆だけは、水車へそっと手を添えたまま立っていた。
やがて振り返り、ミラベルへゆっくり歩み寄る。
「あんた……名前は?」
「ミラベルです」
「そうかい……」
老婆の視線が胸元へ向く。
ペンダントだった。
「その首飾り……」
震える手が伸びる。
しかし途中で止まった。
「いや……そんなはずはない」
小さく首を振る。
「あれから、何十年……いや、もっとか」
目を細める。
「……よく似とる」
誰に、とは言わなかった。
「ありがとう」
老婆は深く頭を下げる。
その言葉が誰へ向けられたものなのか。
ミラベルには分からなかった。
◇
学園へ戻ると、五人は任務報告を行った。
持ち帰ったのは、水車から外れた木片。
井戸の底に生えていた苔。
祠の前に落ちていた枯葉。
いずれも微量ながら特殊な魔力反応が確認され、任務は「調査・回収完了」と判断される。
教官は静かに頷いた。
「ご苦労だった」
だが、その報告書はその日のうちに王都へ送られた。
◇
王城――。
静まり返った執務室で、一人の女が報告書へ目を通していた。
「ふふっ……」
口元が歪む。
「あははははっ!」
高らかな笑い声が部屋に響く。
「あの女……」
「本当に愚かな女ね」
指先で報告書をなぞる。
「最後の最後まで、人を守ることしか考えなかったのね」
くしゃり、と紙を握り潰した。
「その結果が何だった?」
「国ひとつ守れず、王家は滅び、あなたも死んだ」
冷え切った瞳が窓の外を見つめる。
「守るだけでは、何も変えられない」
「力で奪う者だけが、この国を手にするのよ」
王女はゆっくりと立ち上がる。
「その守護が、いつまで通用するかしら」
窓の外に広がる王都を見下ろし、静かに笑った。




