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第62話 不穏な社交辞令

ヴァルメイン公爵は、静かにミラベルへ向き直った。


「失礼ながら」


穏やかな声音だった。


「あなたが身に着けておられる、そのペンダントですが……」


ミラベルは思わず胸元へ手を添える。


「夜会の間、何度か拝見しておりました」


「とても大切になさっているご様子が印象に残りまして」


公爵は一拍置き、穏やかに尋ねる。


「差し支えなければ、お聞かせ願えますか」


「そのペンダントは、どなたから受け継がれたものなのでしょう」


ミラベルは少しだけ目を伏せた。


「……母の形見です」


その一言に、公爵の瞳がわずかに揺れる。


しかし、その動揺は一瞬で消えた。


「そうでしたか」


静かに頷く。


「もし失礼でなければ……少しだけ拝見させていただいてもよろしいでしょうか」


「……これを、ですか?」


思わず聞き返す。


このペンダントを見せてほしいと言われたのは、初めてだった。


「はい」


穏やかな眼差しは変わらない。


ミラベルは少し迷った末、首元からペンダントを外し、公爵の手へそっと預けた。


ヴァルメイン公爵は両手で丁寧に受け取る。


「失礼いたします」


静かに表面へ目を落とし、ゆっくりと裏返す。


「……!」


その瞬間。


公爵の瞳が大きく揺れた。


(……この意匠は)


息を呑む。


だが、それ以上の感情は表に出さない。


ゆっくりとペンダントを閉じると、丁寧にミラベルへ返した。


「……失礼いたしました」


「とても美しい品です」


「どうか、これからも大切になさってください」


その言葉には、どこか願いにも似た響きがあった。


「……はい」


ミラベルは小さく頷き、再びペンダントを首へ掛ける。


その時だった。


「やあ、ヴァルメイン公爵」


陽気な声が響く。


振り返ると、レヴァン侯爵がワイングラスを片手に歩み寄ってきた。


「これは、レヴァン侯爵」


ヴァルメイン公爵も穏やかに一礼する。


侯爵はミラベルへ視線を向けた。


「そちらのお嬢さんは?」


「学園の生徒です」


公爵は穏やかに答える。


「王女殿下のお計らいで、今宵は社交界の実習として招かれております」


「ほう」


侯爵は興味深そうにミラベルを見つめた。


「それは結構」


ミラベルも軽く会釈を返す。


侯爵はグラスの中のワインをゆっくりと揺らした。


赤い液面が、シャンデリアの光を妖しく映す。


「ほう……王女殿下らしいお考えだ」


「……近頃、王都の空気は、ずいぶん騒がしい」


「このような折に、若い方を社交の場へお出しになるとは」


小さく笑みを浮かべる。


「あるいは、それほどお急ぎなのかもしれませんな」


「……え?」


ミラベルは思わず聞き返した。


「どういう意味ですか?」


「失礼。年寄りの独り言ですよ」


そう答えると、不敵な笑みを浮かべる。


「今夜は、面白いものが見られるかもしれませんな」


そう言い残し、人混みの中へ姿を消した。


「……」


ミラベルは、その背中を見送る。


冗談には聞こえなかった。


ヴァルメイン公爵も侯爵が去った方角を静かに見つめる。


やがて、小さく息を吐いた。


「では、私もこれで失礼いたします」


ミラベルへ穏やかに微笑む。


「どうか、お気をつけて」


その瞳には、一瞬だけ案じるような色が宿っていた。


公爵は静かに踵を返し、人波の中へ消えていく。


残されたミラベルは、二人との会話を思い返していた。


(……何だったんだろう)


胸の奥に、小さな違和感だけが残る。


その時――


ゴゴゴゴゴ……。


足元が、大地の底から唸るように震えた。


シャンデリアが激しく揺れ、無数のクリスタルが耳障りな音を立てる。


「きゃあっ!」


会場のあちこちで悲鳴が上がった。


貴族たちは体勢を崩し、給仕が運んでいた銀盆が床へ落ちる。


ガシャーン!


割れたグラスと赤いワインが大理石の床へ飛び散った。


「きゃあっ!」


「何が起きた!?」


悲鳴と叫び声が広間に轟く。


「出口へ!」


「ご婦人方を先に!」


「落ち着け! 押すな!」


誰かが叫び、広間の人々は一斉に扉へ押し寄せる。


ミラベルも咄嗟に柱へ手をついた。


(魔法……?でも、こんな揺れ方……)


その震動は、まるで王城そのものが悲鳴を上げているかのようだった。

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