第24話:影を踏む者
——山岳・調査区域
山の奥深く。
空気は冷たく、
肺の奥まで刺すようだった。
足元の岩肌には、
微細な魔力の流れが走っている。
それは規則性を持たず、
まるで地面そのものが呼吸しているかのように脈打っていた。
学園を襲った魔物事件。
原因は未だ掴めないまま、
特別科の生徒たちは調査のため山へ派遣されている。
——
霧が濃くなる中、
三人は慎重に進んでいた。
「……誰か、いる……?」
ミラベルの声はかすかに震えていた。
聞こえているわけではない。
けれど。
心の奥へ、
直接触れてくるような“気配”がある。
囁きにも似た何かが、
霧の向こうから滲んでいた。
ノアはすぐに彼女の隣へ歩を寄せる。
その動きに迷いはない。
守る位置へ入るのが当然のように、
自然だった。
セレスは一歩後方で周囲を見渡す。
「奥に行くほど魔力反応が濃い。気を抜くな」
その声には、
冷静さの奥にわずかな緊張が混じっていた。
無線魔導器が小さく鳴る。
『各班、聞こえるか。山の調査区域は東西南北に分散している。中央は特に注意——』
セレスが要点だけを拾い上げる。
「僕らは中央だ。進行は慎重に」
ミラベルは無意識に、
胸元のペンダントを握った。
微かな熱。
それは不安を押さえつけるように、
静かに脈打っている。
(……怖い)
(でも、戻れない)
胸の奥に、
訓練場で感じたノアとの距離感がよぎる。
“守る側になりたい”
その想いが、
今まさに試されている気がした。
さらに進むにつれ、
霧は濃度を増していく。
魔力の流れは不規則に膨張し、
石床の光すら歪ませていた。
「……助けて……」
声がした。
耳ではない。
直接、
心の奥へ触れてくる。
ミラベルの肩がわずかに揺れる。
「……怖がってる。でも、助けを求めてる」
ノアは霧の奥を睨んだ。
その瞳は揺れていない。
ただ静かに、
そこに“何か”がいることを受け入れている。
(守る。ここで終わらせる)
言葉にはしない意思だけが、
空気を引き締めていた。
セレスが低く警告する。
「距離を開くな。分断される」
霧の中で影が揺れた。
岩壁。
木々。
空間そのものに、
歪んだ輪郭が浮かび上がる。
それは時折、
人の形を取りかけては崩れていった。
「……ここ、普通じゃない」
ミラベルの声は小さい。
恐怖と、
理解できない何かへの直感が混ざっていた。
——
その時。
無線魔導器が、
不意に激しいノイズを吐き出した。
『――……』
「今の、通信か?」
ノアの声が低くなる。
セレスも眉をひそめた。
「干渉が強すぎる……」
再びノイズ。
『……タス……ケ……テ……』
ミラベルの指が、
強くペンダントを握る。
その瞬間。
微かな“違和感”が混ざった。
(これは……)
(いつもの声じゃない)
重なるように、
歪んだ音が増幅していく。
『タスケテ』
『タスケテ』
『タスケテ』
その声は、
助けを求めているはずなのに。
同時に——
近づくなと叫んでいるようでもあった。
「っ……!?」
ノアの声に、
初めて動揺が混じる。
セレスが低く呟いた。
「ありえない……これは干渉じゃない」
ミラベルは首を振る。
「違う……これは……」
喉が震える。
「声が……混ざってる……」
次の瞬間。
ノイズが弾けた。
『――ミツケタ』
——
沈黙。
通信は完全に途絶えた。
霧の奥が、
わずかに揺れる。
音が消えた世界で、
三人の呼吸だけがやけに大きく響いた。
ミラベルはゆっくりと顔を上げる。
そこに“それ”はいた。
瘴気を纏いながら、
確かにこちらを見ている存在。
闇そのものではない。
だが、
意思を持つ“何か”。
その視線が、
ミラベルへ向いた瞬間。
胸元のペンダントが、
微かに熱を帯びた。
「……っ」
鼓動が跳ねる。
その視線は、
獲物を見つけたものというより——
試すような静けさを帯びていた。
(恐れるな)
(だが、甘えるな)
声が、
直接心へ触れる。
ミラベルの胸の奥で、
訓練場の違和感と、
この存在が重なった。
(……ここで逃げたら、終わる)
怖い。
足が震える。
それでも。
ミラベルの足は、
まだ一歩も下がっていなかった。
——影の試練は、すでに始まっている。




