第15話:断たれた声
霧の山道。
四人は無言のまま、山の奥へ進んでいた。
踏みしめるたび、湿った土が鈍く沈む。
霧は、前回来た時より濃い。
まるで——何かを隠すように。
ミラベルは胸元を押さえた。
ペンダントが熱い。
脈打つように、強く。
(……近い)
嫌な感覚なのに、
なぜか足を止められない。
前を歩くノアが低く言う。
「怯むな」
短い声。
その直後——
霧の奥で、何かが揺れた。
ミラベルの鼓動が跳ねる。
『……かえ……せ……』
頭の奥へ直接響く声。
苦しげで、
掠れていて、
それでも確かに“意思”があった。
(また……この声)
足が止まる。
セレスが気づいた。
「どうした?」
「……聞こえる」
小さく呟く。
ノアの目が細くなる。
「また声か」
警戒が混じった声音。
ミラベルは霧の奥を見る。
そこに——“それ”はいた。
歪んだ黒く霧ががった影。
片目だけが異様に光っている。
けれど前回より、
輪郭が少しだけ安定して見えた。
まるで、
こちらを認識しているみたいに。
『……かえ……せ……』
胸が締めつけられる。
怖い。
でも——
(……違う)
ただ暴れているだけじゃない。
ミラベルは無意識に一歩前へ出ていた。
ノアが鋭く振り返る。
「行くな」
「でも……」
声が震える。
それでも、
目を逸らせなかった。
(返してって……何を?)
その瞬間。
闇がわずかに揺れた。
片目の光が、微かに明滅する。
『……ぁ……』
掠れた声。
まるで、
必死に言葉を掴もうとしているみたいだった。
ミラベルはそっと息を呑む。
(あなた……苦しいの?)
黒く霧がかった影が震える。
『……あの……人間……に……』
空気が軋む。
『……うば……われ……』
ミラベルの瞳が揺れた。
(奪われた……?)
(この子は……何を……)
さらに一歩、近づく。
「あなたは——」
その時。
——轟音。
黒い閃光が霧を裂いた。
「——っ!?」
闇精霊の身体を、魔法が貫く。
苦鳴。
空間が激しく揺れた。
霧が暴れ、
“それ”の輪郭が崩れていく。
ミラベルの目が見開かれる。
「……待って!」
思わず手を伸ばす。
だが。
"それ"は苦しむように後退し、
そのまま霧の奥へ消えた。
静寂。
ゆっくり振り返る。
そこにいたのは——セドリックだった。
片手を軽く上げたまま、
平然と立っている。
「危ないなぁ」
軽い声。
まるで、
当たり前のことをしただけみたいに。
ミラベルの呼吸が止まる。
「……どうして」
セドリックが瞬きをする。
「どうして?」
「あと少しだったのに……!」
思わず声が強くなる。
胸が痛い。
届きかけていた。
あの声は、
確かに何かを伝えようとしていたのに。
セドリックは霧の奥を見たまま言う。
「あと少しで暴走してた」
淡々とした声。
「違う?」
言葉が詰まる。
確かに、
最後の魔力は不安定だった。
空間も軋んでいた。
でも——
(違う……)
(あれは、ただの敵じゃない)
(助けを求めてた)
「それでも……!」
ミラベルが反論しかけた時。
「……実際、危なかった」
ノアの低い声が落ちる。
ミラベルの肩が小さく揺れた。
ノアは剣を下ろさないまま続ける。
「お前、限界近かっただろ」
否定できない。
呼吸は乱れ、
まだ指先も震えている。
セレスも静かに口を開く。
「結果だけ見れば、セドリック先輩の介入で崩壊は止まった」
冷静な分析。
感情はない。
でも。
「……ただ」
セレスは霧の奥を見る。
「“会話の可能性”まで断ったのも事実です」
空気が重くなる。
セドリックは小さく笑った。
「可能性に命は賭けられないよ」
その言葉が、
胸に刺さる。
ミラベルは俯いた。
(……違う)
(あの子は、“化け物”じゃなかった)
(ちゃんと……苦しんでた)
霧が再び山を覆っていく。
その向こうは、もう何も見えない。
セドリックがぽつりと呟いた。
「……でも、面白いな」
誰へ向けた言葉かは分からない。
ミラベルはペンダントを強く握る。
熱はまだ消えていなかった。
まるで——
『……たす……け……』
最後に聞こえた気がした。
ミラベルの胸が強く痛む。
その時。
ノアが低く言った。
「……次は止める」
ミラベルが顔を上げる。
ノアは霧の奥を見たまま続けた。
「お前、あれに引っ張られすぎてる」
責める声ではない。
だが、
警戒は確かに混じっていた。
ミラベルの胸が、小さく軋む。
霧の奥は、
何も答えなかった。
王城、王女の私室。
重厚な扉に守られた空間には、張り詰めた静寂が満ちていた。
「……報告はまだなの?」
低く、冷たい声が響く。
控えていた側近が、深く頭を下げたまま答える。
「現在、学園側が調査を進めておりますが——」
「遅いわね」
言葉を遮る。
それだけで、空気が凍りついた。
王女は窓辺に立ち、外を見下ろしている。
「たかが山の調査に、どれだけ時間をかけているの?」
静かな声。
だが、その奥には苛立ちが滲んでいた。
「あの山に、何があるのかしら……」
ゆっくりと、自らの片目に触れる。
「……確かに感じたのに」
指先が、わずかに震える。
(あの気配……まだ残っている)
「……邪魔なのよ」
ぽつりと落ちる言葉。
「私の邪魔をするものは——」
一瞬の沈黙。
「すべて、排除しないと」
その声には、迷いが一切なかった。
側近は何も言えず、ただ頭を下げ続ける。
王女は再び窓の外を見つめる。
その瞳には、確かな執念が宿っていた。
⸻
——見えない声。
——語られない真実。
そして、静かに動き出す王女の思惑。
それぞれの思いが交錯しながら、物語は次の局面へと進んでいく。




