第14話:二重の声と揺らぐ霧
——朝。
薄い霧が、まだ学園の石畳を覆っていた。
冷えた空気を吸い込みながら、
ミラベルは胸元のペンダントを握る。
(……また任務だ)
胸の奥が落ち着かない。
あの山で感じた、
嫌な感覚がまだ残っていた。
「緊張してる?」
隣を歩くセレスが静かに声をかける。
「……少しだけ」
答えると、
セレスはそれ以上聞かなかった。
⸻
広い訓練場にいるのは、
特別科一年の三人だけだった。
教官が前に立つ。
「今回の任務は、北西山域の異常調査だ」
空気がわずかに張る。
山。
その言葉だけで、
胸の奥がざわついた。
「なお、今回は特別観測員が同行する」
その瞬間。
「やーやー、お邪魔するよ」
軽い声が空気に割り込んだ。
視線が集まる。
黒髪の少年。
鋭い目をしているのに、
口元には薄く笑みが浮かんでいる。
どこか掴みどころがない。
教師が告げる。
「特別科二年——セドリック・ヴァレンタインだ」
ざわ、と小さく空気が揺れる。
セドリックは軽く手を振った。
「よろしく」
軽い。
けれど——
ミラベルは妙な違和感を覚えた。
(……なんだろう)
視線。
セドリックの目が、
ゆっくりとこちらへ向く。
止まる。
(……っ)
まるで、
値踏みされているような感覚。
「……へぇ」
小さな呟き。
それだけなのに、
背筋が冷えた。
ノアが一歩前へ出る。
「見るな」
低い声。
セドリックは肩をすくめた。
「怖いなぁ」
そのやり取りは軽いのに、
空気だけが妙に張っていた。
⸻
山へ向かう道。
進むほどに、霧が濃くなる。
静かすぎた。
風もない。
鳥の声すら聞こえない。
セドリックがふと呟く。
「ここ、変だね」
ノアが短く返す。
「何がだ」
「空気かな」
軽い調子のまま、
霧の奥を眺める。
「揺れてる感じがする」
セレスが周囲を見渡した。
「魔力干渉でしょうか」
「どうだろ」
セドリックは曖昧に笑う。
「まだ分かんない」
それ以上は言わない。
ただ観察している。
⸻
霧の奥で、
何かが揺れた気がした。
ミラベルの鼓動が跳ねる。
(……いる)
胸元のペンダントが熱を帯びる。
その瞬間。
『——かえせ』
声が響いた。
頭の奥へ直接落ちてくるような、
低く掠れた声。
(……!)
思わず足が止まる。
ノアが前へ出た。
「構えろ」
違う。
そう思った瞬間、
口が先に動いていた。
「待って!」
空気が止まる。
ノアが鋭く振り返る。
「何だ」
言葉に詰まる。
聞こえた。
でも——
説明できない。
その沈黙を、
少し離れた位置からセドリックが見ていた。
じっと。
観察するように。
「……反応、早いね」
ぽつりと落ちる声。
ミラベルの視線が揺れる。
そのとき。
茂みが大きく揺れた。
小型魔物が飛び出す。
「っ!」
隊列が乱れる。
ノアが即座に剣を抜いた。
セレスが術式を展開する。
霧が渦を巻き、
魔物が低く唸る。
ミラベルも遅れて構える。
その後ろで——
セドリックだけが動かなかった。
ただ静かに、
戦闘を見ている。
「なるほどね……」
独り言のように呟く。
視線は、
魔物ではなく——
ミラベルへ向いていた。
⸻
戦闘後。
霧がわずかに薄れる。
セレスが小さく息を吐く。
「……一旦、静かになりましたね」
ノアは剣を下ろさない。
「いや、まだいる」
その声に、
ミラベルの胸がざわつく。
(……また、あの声……)
霧の奥を見る。
何も見えない。
なのに——
“見られている”。
そんな感覚だけが、
ずっと消えなかった。
少し離れた場所で、
セドリックが小さく笑う。
「……面白いな」
誰にも届かないほど、
小さな声だった。




