第134話 閉ざされた山道
ずっと黙っていたルークが、ふいに声を上げた。
「あのさ、さっきからずっと平坦なところを進んでるよね?」
その言葉に、ミラベルが振り返った。
「……あっ」
言われてみれば、確かにそうだった。
山道を進んでいるはずなのに、傾斜はほとんど変わらない。足場こそ悪いものの、登りも下りもなく、同じような道が延々と続いている。
「普通、山を進んでたら、もう少し高低差があってもよさそうだけど」
ルークは周囲を見回しながら、首を傾げた。
「それに、景色もずっと同じじゃない?」
ミラベルは小さく頷いた。
先ほどレオニスに伝えようとした違和感と、同じだった。
「……だから、少し確認したほうがいいと思ったんだけど」
ミラベルが呟くと、レオニスが足を止めた。
「地形だけで進路を疑うのは早計だ。ここがそういう地形だという可能性もある」
「まあ、それはそうだけどさ」
ルークはあっさりと返した。
「でも、確認するくらいなら別にいいんじゃない? 間違ってたら戻ればいいんだし」
レオニスの眉が、わずかに動いた。
先ほどまでミラベルの意見を退けていた彼にとって、今度はルークから同じ疑問を突きつけられたことになる。
ミラベルは二人の様子を見守りながら、周囲の木々に目を向けた。
この道には、何かがおかしい。
そんな予感が、少しずつ確信へと変わり始めていた。
男子三人が進路について話し込んでいる間、ミラベルはそっとリシェルのそばへ近づいた。
「……何?」
気配に気づいたリシェルが、警戒するように顔を向ける。
ミラベルは答える代わりに、彼女の足元へ視線を落とした。
やっぱり、この靴では歩きにくそうだ。
さっき転んだのも、足場が悪かっただけではないのかもしれない。
「ちょっとだけ、じっとしててね」
「えっ?」
ミラベルはしゃがみ込むと、靴の留め具を確かめた。緩みやすい部分を整え、足がずれにくいように小さな細工を施していく。
魔法を使えば、ほんのわずかな時間で済むことだった。
「……何をしているの!?」
「歩きやすくしてるの」
「頼んでいないわ」
リシェルの声が、少しだけ強くなった。
「もう、放っておいてよ」
ミラベルの手が、一瞬止まる。
リシェルは唇を引き結び、視線を逸らした。
「これ以上、あなたに何かしてもらう必要はないから」
助けられたうえに、また世話を焼かれる。
そんな自分が、どうしようもなく惨めだった。
けれど、ミラベルは怒ることも、悲しそうな顔をすることもなかった。
最後の調整を終えると、ぱっと顔を上げる。
「わかった」
「……え?」
「これで最後。もうしないから!」
ミラベルは、いつもの明るい笑顔を浮かべた。
「だから、これくらいはいいでしょ?」
リシェルは言葉に詰まった。
どうして、この人はそんなふうに笑えるのだろう。
拒んでも、冷たくしても、怒らない。
それどころか、こちらが困らないように、わざわざ理由までつけてくる。
「……本当に、もうしないで」
「うん。約束!」
ミラベルは小指を立てかけて、ふと思い直したように手を引っ込めた。
「……あ、こういうのも嫌だったら、ごめんね」
その言葉に、リシェルはかすかに目を見開いた。
ミラベルは無理に返事を求めず、立ち上がる。
「じゃあ、行こう!」
そう言って、何事もなかったかのように男子三人のほうへ戻っていった。
取り残されたリシェルは、しばらく自分の靴を見つめていた。
足を動かしてみる。
さっきまで気になっていた窮屈さが、少し和らいでいた。
歩きやすい。
その事実が、また胸をちくりと刺した。
「……どうして」
小さく呟いても、答えてくれる人はいない。
リシェルは顔を上げ、ミラベルの背中を見た。
感謝すればいいだけなのに。
それができない自分が、ますます嫌になった。
ミラベルは、リシェルから離れると、すぐに三人の輪へと加わった。
「ねえ、話はまとまった?」
「いや、まだだ」
レオニスが短く答える。
「監督官に魔法で連絡を取るという方法もあるが……」
ノアは腕を組み、難しい顔をしていた。
「でも、それだとリタイアと判断される可能性があるんだよな?」
ルークが確認するように尋ねる。
「そうだ。自分たちで進路を判断することも、今回の訓練の一部だからな。安易に助けを求めるわけにはいかない」
「じゃあ、どうすればいいんだろう……」
ミラベルは周囲を見渡した。
相変わらず、目に映るのは密集した木々と、どこまでも続く平坦な道ばかりだ。
本当に、このまま進み続けていいのだろうか。
そのとき、ミラベルはふと思いついたように顔を上げた。
「ねえ、空に魔法を放つのはどうかな?」
「空に?」
ノアが聞き返す。
「うん。ここにいることを誰かに知らせられるかもしれないでしょ? 監督官が見てくれているなら、気づいてもらえるかもしれないし」
「だが、救援を求める合図だと受け取られれば、リタイア扱いになる可能性がある」
レオニスがすぐに反論した。
「それに、誰かが見ているという保証もない」
「そうだけど……」
ミラベルは一度頷いてから、言葉を続けた。
「もう一つ、確かめたいことがあるの」
「何だ?」
「私たち、ずっと平坦な道を歩いているよね。だったら、上に向かって魔法を放ってみたら、何かわかるかもしれない」
三人の視線が、ミラベルに集まった。
「どういうことだ?」
「例えば、魔法が途中で何かに遮られたり、思っていた方向と違うところに出たりしたら……この道そのものに、何か仕掛けがあるのかもしれないでしょ?」
もちろん、確証はない。
ただ、周囲の植生も地形も、二時間半以上歩いているという感覚と、どうにも噛み合わなかった。
「空に向かって魔法を放つことで、今いる場所の異常を確かめられるかもしれない。何もしないで進み続けるよりは、いいと思うんだけど」
「……馬鹿げている。そんなことをして何がわかる」
レオニスは即座に否定しようとした。
しかし、その言葉にノアが口を挟む。
「いや、試す価値はあるだろ。今のところ、進んでいる以外に何もできていないんだからな」
「俺も賛成。ここまでずっと同じ景色って、さすがに変だし」
ルークも軽い調子ながら、はっきりと同意した。
「少なくとも、何か手がかりが得られるかもしれないよ」
ミラベルはレオニスを見つめた。
レオニスは三人を順番に見たあと、苛立たしげに息を吐いた。
「……わかった。ただし、無駄に魔力を消費するな。必要最低限の出力で行う」
「うん!」
ミラベルは頷いた。
そのとき、ルークがふと空を見上げた。
木々の隙間から見える空は、先ほどよりも暗くなっている。
「そういえば、もう結構な時間だよね」
ノアも空を見上げた。
「そろそろ日没かもしれないな」
その言葉に、ミラベルの表情が引き締まった。
出発してから、かなりの時間が経っている。
それなのに、彼らはまだ目的地にたどり着けていない。
もし、このまま日が暮れたら。
視界が悪くなれば、足場の確認も難しくなる。怪我人が出たばかりの今、これ以上状況を悪化させるわけにはいかなかった。
「……早く確かめよう」
ミラベルは空を見上げた。
この道は、本当に山の中に続いているのだろうか。
それとも、自分たちが気づいていないだけで、何かに惑わされているのだろうか。
答えはまだわからない。
けれど、少なくとも今は、ただ前へ進み続けるべきではなかった。




