第110話 名残惜しそうな背中
解放命令は、突然だった。
その日の朝。
いつものように、部屋の外で待機していた男のもとへ、一通の命令書が届いた。
「……解放?」
男は何度も紙を読み返した。
「そうだ」
向かいに立つ宮廷魔導師は、淡々と答える。
「本日付で、対象を学園へ返還する」
「急だな」
「上からの指示だ」
「……理由は?」
「必要か?」
「いや、俺はただの監視役だからな」
男は肩をすくめた。
「何が分かったのかくらい、教えてもらってもいいと思っただけだ」
宮廷魔導師は答えない。
ただ、ミラベルへ視線を向ける。
「君はこれからも――」
静かな声。
「観察対象だ」
ミラベルは黙って聞いている。
「今回の件が終わったからといって、王家の監視から外れたわけではない」
「はい」
「不審な動きをすれば――」
一拍。
「どうなるかは、分かっているな?」
男は思わず眉をひそめた。
(……相変わらず、言い方が怖ぇんだよ)
もう少し言い方ってものがあるだろう。
だが。
「肝に銘じておくことだ」
「はい!」
ミラベルは素直に頷いた。
「肝に銘じます!」
「……」
宮廷魔導師が僅かに目を細める。
「……いい返事だ」
「ありがとうございます!」
(褒めるところ、そこか?)
男は心の中で突っ込んだ。
宮廷魔導師は踵を返す。
「お前」
「……俺か?」
「学園まで送り届けろ」
「なぜ俺が」
「お前が監視していたからだ」
「いや、だからって……」
反論しかける。
しかし。
「命令だ」
「……はいはい」
男はため息を吐いた。
(いつの間に俺がこいつの部下になったんだよ)
◇
魔導車が、学園へ向かって走っていく。
窓の外を流れる景色を、ミラベルはじっと眺めていた。
「……戻れるんですね」
「ああ」
男は前を向いたまま答える。
「よかったな」
「はい!」
ミラベルは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
「俺は何もしてねぇよ」
「でも」
ミラベルは少し考えてから。
「ずっと一緒にいてくれました」
「……監視だからな」
「それでもです」
男は返事をしなかった。
しばらくして。
遠くに、魔法学園の建物が見えてきた。
「……着いたぞ」
魔導車が止まる。
扉が開いた。
ミラベルが外へ降りる。
そして。
振り返った。
「お世話になりました」
深々と頭を下げる。
「……」
男は少しだけ黙った。
「まあ……」
頭を掻く。
「短い間だったがな」
そして。
「頑張れよ」
「はい!」
ミラベルは笑った。
そのまま、学園へ向かって歩いていく。
数歩進んだところで。
「……あ」
ミラベルが振り返る。
男はまだ魔導車の前に立っていた。
「どうしました?」
「……いや」
男は首を振る。
「なんでもねぇ」
ミラベルは小さく笑って、もう一度頭を下げた。
そして。
今度こそ、学園の門をくぐっていった。
男は、その背中をしばらく見送っていた。
やがて。
「……変な娘だったな」
ぽつりと呟く。
けれど。
その声には、どこか名残惜しさがあった。
「さて、戻るか……」
学園の正門の茂み、男の後ろ姿を見つめる影がそっと覗いていた。




